第3章 運命の女神は語らない 2


 アマリアは振り返りもせず薄暗い通路を通り抜けると、扉を開け放って、街路へ出ていく。門番はアマリアの険しい表情に狼狽えて、止めるどころではない。


 俺が玄関から飛び出した時には、アマリアの後ろ姿は人混みに紛れかけていた。見失わないよう、慌てて追いかける。

 アマリアの歩みは、やたら速い。人混みの間を縫うようにして、先ほど臥與で通ってきた道を引き返していく。


 人の波に逆らい、遮二無二、アマリアを追いかける俺に、通行人の肩や腕がぶつかる。罵声を投げつける奴もいたが、構っていられない。短い謝罪を言い捨て、前へ進む。


「アマリア! 待てよ!」


 しばらく旧サラリア街道を進んだところで、アマリアに追いついた。腕を掴んで引き留める。

「放しなさい!」

 アマリアは鋭い声で命じ、俺の手を振り払おうとする。だが、俺は放さない。


「焦って行動したって、事実は変わらないだろう。少し落ち着けよ」

「私は、焦ってなんかないわ! 急いでいるだけよ! 手を放しなさい!」

 アマリアが、きっ、と目を怒らせて反論する。だが、アマリアの言葉を素直に信じる俺じゃない。今のアマリアは、いつものアマリアらしくないのは、明白だ。


 往来のど真ん中で立ち止まり、大声でやり合う俺達を、何事かと周りの人々が興味津々の目で眺めながら通り過ぎていく。絹のストラを纏ったアマリアと、着古した生成りのテュニカの俺の身分差は、一目ちらっと見ただけでも、歴然だ。


「おい、お前! 何をしている!」

 アマリアが身分の低い奴に絡まれていると勘違いしたお節介な男が、俺とアマリアの間に割って入った。房飾りがついたテュニカに、指には騎士階級である証の金の指輪を嵌めている。


「俺は、家出娘を連れ戻したいだけだ」

「あなたには関係ないわ!」


 俺とアマリアが、同時に男に言い返す。俺達の剣幕に鼻白んだ男は、何か言い返そうと、魚のように口をぱくぱくさせた。が、結局、憮然とした顔で立ち去っていく。


 俺が男の背を振り返った隙をついて、アマリアが自由になろうと身をよじる。

「諦めろよ。俺に力で敵うわけがないだろう」

 俺が握るアマリアの腕は、このまま力を込め続ければ、折れてしまうのではないかと不安になるほど華奢だ。


 アマリアは剣さえあれば、今にも斬りかかってきそうな目で、俺を睨みつけた。

「だから、放しなさいと言っているでしょう! 私は、あなたの雇い主よ。雇い主の言うことが聞けないの!」


「聞けないね。俺の仕事は荷物運びであって、あんたが逃げ出す手伝いじゃない」

 俺の言葉に、アマリアの頬にさっと朱が散る。


「私は、逃げてなんかないわ!」

 どうやら俺は、アマリアの心の琴線に触れてしまったらしい。感情が昂ぶったあまり、アマリアの眦には、うっすらと涙が浮かんでいる。


 俺は、小さく吐息すると、さっとアマリアの身体に腕を回した。腰を屈めて肩を落とすと、アマリアを右肩に載せるようにして抱き上げる。

 アマリアが小さい悲鳴を上げた。かと思うと、


「何をするの! 下ろしなさい!」

 自由になった両手の拳を握り締め、俺の肩や背中を叩く。容赦がないので、痛い。しかし、俺は放さない。


「暴れると、落ちるぞ」

「望むところよ!」

 アマリアは水揚げされた魚のように藻掻く。この状態のまま、屋敷へ連れ帰っても、また出ていこうとするだけだろう。アマリアは、下手に行動力がある分、始末に負えない。まずは、アマリアを落ち着かせなくては。


「下ろしなさい! 放して!」

 耳元で喚くアマリアを無視して、俺は素早く辺りを見回した。のんびりしていると、アマリアに髪の毛を掴んで引き抜かれそうだ。若い身空で、ログルスみたいな頭になるのは、勘弁だ。


 右手にこんもりと茂る緑が見えた。有名なルクルスの庭園だろう。アマリアを抱え上げたまま、俺は庭園へ足を向ける。俺とアマリアは道行く人々の注目の的だ。


「大声を上げてて、知り合いに見つかっても、知らないぞ」

 身分の低そうな男に抱き上げられている姿は、お嬢様のアマリアとっては、かなりの醜聞になるだろう。折角、忠告してやったのに、アマリアは声の音量を落とさず、即座に鋭く言い返した。


「そんな気を回すなら、今すぐ下ろしなさい!」

 正論だ。だが、俺はアマリアを逃す気は欠片もない。

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