水森飛鳥と絶望へのカウントダウンⅣ(こんなに近くに居るのに)


「……?」


 その人は、私の声に気づいてか、ゆっくりと顔を上げ、声を発することなく、ぼんやりとしながら、こちらへと視線を向けてくる。

 たとえ顔を向けてくれなくても、この人だと断言できるほどに、今もなお忘れることがない人。


「やっぱり、雪冬ゆきとさんだ」


 この人に関しては、見間違えるはずがない。


「……飛鳥あすかちゃん?」


 その声も、間違いなく本人のもので。


「はい、そうです。水森みずもり飛鳥あすかです。夏樹なつきの幼馴染の」


 このような返しをしたのは、私が彼女の知る『水森飛鳥わたし』であることを示すためだ。

 雪冬さんは『飛鳥ちゃん』としか呼ばなかったが、それが名字なのか、名前なのか、私たちの関係性を教えることで、本人であるということを訴えるためのもの。


「……な、で……」

「雪冬さん?」

「何で、飛鳥ちゃんがここに居るの? まさか、夏樹もこっちに来ていたり――」


 私が本人だというのが分かったからだろう。

 勢いよくこちらに来ようとしていた雪冬さんだが、途中で止まる。


「……あ、そっか。そういうことか」


 何をどう納得したのか、胸に手を当て、うつむいてしまう。


「あの……?」

「大きくなったね、飛鳥ちゃん。今は……高校生?」


 雪冬さんの様子に対して疑問に思っていたら、不意打ちでそんなことを言われた。


「はい、星王せいおうの二年生です」

「そっか。じゃあ、夏樹も十七か。もうそんなに経ったんだね」


 この学校ではなく、星王の名前を出したのは、そっちの方が良いと判断してのことだ。

 夏樹の名前を出す度に、悲しそうな、申し訳なさそうな顔をする雪冬さんに、何て声を掛けたらいいのか分からなくなる。


「受験の時、一緒に居られたら、いろいろとアドバイス出来たんだろうけど、ごめんね」

「気にしないでください。私も夏樹もちゃんと合格して、通えてますから」


 どうしよう。現在の状況を教えるべき?

 さっき聞き掛けていたことに関しても、きっと自分の中で結論出してるよね?

 そのままじゃ駄目だ。絶対に。

 だから、頭を下げて、謝罪する。


「っ、すみません、雪冬さん!」

「飛鳥ちゃん……?」

「私がここに居る理由とかは言わなくても、何となくでも理解していらっしゃるかと思います。でも、これだけは言わないと! 言っておかないと、駄目だと思ったから……!」


 伝えないと、伝えておかないといけない。


「夏樹も、この世界にいます」


 その一言で、雪冬さんが目を見開く。


「夏樹、も……?」

「すみません、私がほとんどきっかけのようなものです。そのせいで……その、せい、で……!」


 夏樹をあんな風・・・・にしてしまったのも、女神が元凶とはいえ、きっかけは私だ。


「飛鳥ちゃん、頭を上げて?」


 何となく、雪冬さんが動いたような気配がしたけど、そう言われたので、そっと顔を上げる。


「大丈夫。貴女のせいじゃない。自分を責めちゃ駄目」


 そして、一度目を閉じ、ふぅ、と息をいた雪冬さんは告げる。


「本当は私も手伝えたら良いんだけど……」


 雪冬さんは手を前に出すのだが、私の前でその手を止める――いや、止めざるを得なかった。


「ここから、出られないからね」


 まるで透明な、見えない壁があるかのように、雪冬さんの手のひらは見えるのだが、それ以上は進めないのだと、指先が私の方へ近くなることは無く。


「出られないって……!」

「協力者である飛鳥ちゃなら、分かるよね? 私も失敗しちゃったんだ」


 その言葉で、そういうことか、と全てが繋がった気がした。

 確かに、こんなところに閉じ込められていたら、どんなに帰りたくても、あちらへは帰れない。


「だからね。無責任だけど、まだもう少しだけ、夏樹のことを頼んで良いかな」


 やっぱり、『お姉ちゃん』だなと思う。

 雪冬さんから見れば、何があっても夏樹は弟だろうし、私にとっての春馬はるまみたいなものだろう。


「でも、私は……」

「うん、無理にとは言わない。ただ、様子を見てくれるだけでもいい」


 だから、と彼女は言う。


「今のあの子だけを見て、見捨てるのだけは待ってくれないかな。それと、私がここに居ることは、まだ内緒にしておいてもらえると有り難いかな」

「ここまで一緒に来ておきながら、見捨てるようなことはしません。でも、本当に内緒にしておいていいんですか? 無理矢理にでも連れてこられますよ?」


 でも、雪冬さんは首を横に振る。


「駄目だよ。そんなことしたら、飛鳥ちゃんが夏樹に嫌われちゃうかも知れないからね」

「それは……」


 そんなことは無い、と言いたいところだけど、夏樹がどう思ってるかなんて、夏樹にしか分からないんだから、私が断言するのも何かおかしくて。

 でも、こんなに――こんなに近くに居るのに、姉弟が再会することも、触れ合うことも出来ないままなんて。


「だから、無理にこの場所に連れてこなくてもいいよ。飛鳥ちゃんが知ってくれたしね」

「雪冬さん……」


 やっぱり、この人は凄い人だ。ざっと見た限りだけど、ずっとこの場に一人ぼっちみたいだし、きっと物凄くつらいはずなのに、少しばかり表情には出しても、言葉には出さないのだから。


「貴女が来てくれただけで、少しだけ希望が見出だせたから、それは私にとって、収穫だよ」


 ほら、いい加減泣き止みなよ、とは言われるが、止まらないのだから仕方がない。


「雪冬さんみたいな、『お姉ちゃん』を目指していたはずなんですがね」

「私みたいなの?」

「身近な『姉』っていう、お手本っていうんですかね。でも、何で雪冬さんの前じゃ、こんなんなのかな。私って」


 少しは雪冬さんの代わりや、彼女のような感じになれるように頑張ってたつもりなんだけど。


「私みたいになる必要は無いんじゃない?」

「え……?」

「確かに年下の飛鳥ちゃんから見れば、私は理想の姉のように見えてるかもしれないだろうけど、夏樹から見た私と、春馬君から見た飛鳥ちゃんっていう『姉』というのは、きっと違うだろうからね。たとえ、どんな姿であろうと、春馬君から見て、飛鳥ちゃんっていう『お姉ちゃん』なら、それで良いんじゃないかな」

「う~ん……?」


 それって、結局さっき雪冬さんが言ってたことと、あまり変わらないのでは?


「春馬君にとって、貴女は『お姉ちゃん』なんだから、私みたいにならないようにね」

「最初から、そのつもりですよ」


 目尻の涙を指で払い、そう返す。

 この事だけは最初から決めていたから、元より変えるつもりはない。


「夏樹の件も、もう少しだけ頑張ってみます」

「無理だけはしないようにね」


 そして、「はい。それでは、これで失礼します」と雪冬さんに声を掛け、私は教室に戻るためにあの暗い廊下のような場所を歩き出す。


 ――涙はもう、いつの間にか止まっていた。


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