83 神域の戦い(後)

「かかってこい化け物! 私、天人族のダーシャが相手だ!」


 ダーシャが幼さの残る声で、勇ましく怪物を挑発している。

 即座に無数の触手が空中のダーシャに向けて林立していくが、ダーシャは小気味よく飛び回り、体にも翼にも触れさせもしない。


 いや、触れさせないというよりは、無数の触手を躱しつつも片端から切り飛ばしているという方が正しいか。


 確かにヤーヒムが翼を得た時は、本能的にその使い方が分かっていた。そしてダーシャは人狼に由来するものなのだろうが、その動体視力と格闘センスには目を瞠るものがある。そこに目下の相手である、細長く伸ばされた触手との相性が加わってこの蹂躙劇になっているのであろう。


 ダーシャの武器は、青く輝く糸のような独自のヴァンパイアネイルだ。腕の二倍の長さを持つそれはヤーヒムのそれと比べて切断力こそ劣るものの、細く長く伸ばされてくる触手を相手にするにはうってつけの武器だ。ひらりひらりと所狭しと飛び回りつつも、その長い攻撃範囲で接近される端から触手を切り飛ばしているのだ。


「あ! 父さん! 見て、この翼!」


 遂に怪物の迎撃をくぐり抜けて空中で合流したヤーヒムに、ダーシャが弾けるような笑顔を向けてきた。

 それは一片の曇りもない心からの笑顔。まるで自らの悩みが一挙に解決されたような、解放されし者の満ち足りた笑顔だった。


「父さんが分けてくれた力、翼にしたんだ! これで私も天人族だね!」


 短いヴァンパイアネイルで慌ただしく触手の迎撃を続けるヤーヒムは、そんなダーシャに咄嗟に言葉を返せなかった。展開が理解できない。

 確かにケイオスの残滓に干渉し、せめて本人が望む方向に、との方向づけは行った。それがまさか、こんな形になっているとは。


 ……我と同じになりたい、そう望んだのか?


 ヤーヒムの胸に熱い何かがこみ上げる。

 確かに翼を持つヤーヒムが天人族と呼ばれることはあっても、翼のないダーシャはわざわざ娘であることを説明しないとそう呼ばれることはない。それを気にしていたというのか。


 そしてヤーヒムは知っている。

 ケイオスの残滓を翼として固定するには、途方もない苦しみと強い意志力が必要だったはずだ。それを前にしても尚、我と同じになりたい、そう願ったというのか。戦いばかりで何もしてやれていない、ヴァンパイアとしての繋がりだけの父親なのに――


「リーナ姉さんの方には行かせないっ! やあっ!」


 ダーシャは初めてだというのに見事な空中戦を繰り広げ、さらにヤーヒムが思いもしなかったような複雑な空中機動を次々と繰り広げていく。

 その成長速度はさすがダーシャというべきか。かつてザヴジェルの兵士達は天才だと褒め称えていたが、それが今、ヤーヒムの胸を不思議な感動と誇らしさのようなものでざわめかせていく。この戦いを見れば誰もが彼女をヤーヒムの娘、紛れもない天人族として称えることだろう。あるいはそこまでがダーシャの望みなのか。



 ……他の、二人は?



 ふと浮かんだ素朴な疑問に、ヤーヒムは震える思いで残りの二人、フーゴとリーディアに視線を向けた。

 フーゴがフラウのいないリーディアを背に乗せ、破壊された街並みの中を触手の攻撃を振り切ろうと豪快に疾駆している。どうやらその二人は元のままの姿でいてくれるようだった。けれども。


「うははっ、この槍は凄えぞ! ヤーヒム、ありがとよ!」


 フーゴの武器が変わっている。

 遠目に見ても威圧感を感じるその青い槍は、空中に青光の軌跡を曳きながら近寄った触手を撫で斬りにしている。それは魔剣や魔槍の類いというよりは、ヤーヒムやダーシャのヴァンパイアネイルの方を強く連想させるもの。さらにいえば槍が放っている威圧感には、不思議とヤーヒムやダーシャの翼に近いものを感じる気がする。


 ……召喚式の専用武器、なのか?


 そう。

 ヤーヒムは直感的に理解した。フーゴの振るう槍はヤーヒム達の翼と同様、あれもまた召喚式の守護魔獣のようなものなのだ。宿している力はおそらくヤーヒムの青の力、ヴァンパイアネイルそのものと言っていい。フーゴに流れたケイオスの残滓は短くない期間ヤーヒムの中に有ったのだ。多少なりとも混じっていて不思議はない。


 ケンタウロスという戦闘系狩猟種族のフーゴの根底には、戦士として女子供を守るという確固とした信念があった。

 そんなフーゴはケイオスの残滓に直面し、自身の変貌ではなく全てを護るための武器が欲しい、そう望んだのかもしれない。それが今フーゴが振るっている青光の軌跡を描く無双の槍。ヤーヒムのヴァンパイアネイルが如き、どんな敵でも空間ごと切り裂くフーゴ専用の召喚武器となっているのだ。


「よし、決めたっ! 俺の最高の相棒、この槍の名前は神槍<ヤーヒム>――痛っ、姫さん痛いって! やっぱりやめて別なのを今度じっくり考えるから!」


 背中に乗せたリーディアに短杖で小突かれつつも、その強靭な馬脚で鋭く触手の群れをくぐり抜けたフーゴ。

 そして距離を取ったそこで横向きに急停止し、背中のリーディアが魔法を放てる刹那の余裕を作り上げた。


「ほらよ姫さん、デカいのぶちかましてやれ!」

「言われなくても! ――魔法いきます! ハアアッ!」


 そして、そのリーディアは。

 外見上は装備も含めて一切変わっていないが、明らかにまとう雰囲気が変わっていた。神々しい、ひと言で表すならそれだ。ハイエルフの血を引く可憐な乙女だったものが、神殿の巫女のような静謐さと神気を全身から放出している。放とうとしている魔法も、一見してこれまでと違うと分かるものだ。


 周囲との連携のための声掛けは残しているものの、まずこれまで毎回行っていた詠唱をしていない。そして、即座に振るわれた短杖の先から飛び出したものは。


 それは扇状で裏側が透けて見えるほどに薄い、青く煌めく平面。

 短杖から放たれた一瞬で通りの全幅を覆うほどに広がり、僅かに上向きにつけられた角度に沿って触れたもの全てを上下に分断していく。


 彼女がそれまで時々使っていたエアブレードの魔法とは、明らかに魔法の格そのものが違うそれ。見る者が見れば、それを特級魔法と分類しただろう。誰一人として使える者のいない空間属性の、範囲切断系の恐るべき新魔法との注釈をつけて。


「……うわお、姫さんも凄えパワーアップしてんなあ」


 暗黒の怪物とジガの途方もない咆哮が鼓膜を震わせる中、フーゴが茫然と魔法の行く末を眺めているのも無理はない。

 魔法の威力もそうだが、世界に無詠唱でここまでの魔法を放てる者は、神々をその身に下ろした<クラールの巫女>ぐらいなのだから。


 魔法とは、己が魔力で神域に座す神々への路を開き、その力を借用して望みの形へと展開する技術だ。その詠唱なくして大魔法を行使するということはつまり、神々への路を開かず、己が身に宿した神の力を展開しているということ。遥か幽玄の深淵に座す神々に頼らず、自力で魔法を行使しているということなのだ。


 リーディアがケイオスの残滓と直面し、望んだものはただひとつ。

 常にヤーヒムの隣にいれる自分でありたい。それが出来るだけの力が欲しい、そう願ったのだ。


 ヤーヒムは近接戦闘では比類なき強さを誇る。であるならリーディアの居場所は彼が持たない魔法方面での補佐だ。

 元々優秀な魔法使いであり、その血には代々ラドミーラによってラビリンスコアの粉末――クラールの因子――が蓄積されてもいるリーディア。その結果として神々との親和性も高く、青の力自体にも馴染みがある。


 故に彼女が選んだのは、ダーシャやフーゴのように形ある守護魔獣のようなものではなく、ケイオスの残滓そのものをその身に宿す形。

 それはいわば、儀式によって神々をその身に下ろす<クラールの巫女>ならぬ、常に残滓をその身に宿した<ケイオスの巫女>とでも言うべきものだ。そんな存在にリーディアは昇華していたのである。


「ヤーヒム! 良かった無事だったのね! 私も一緒に戦うわ!」


 その大きな紫水晶の瞳を嬉しそうに輝かせ、早くも次の魔法のために短杖を振り上げているリーディア。

 ヤーヒムはこれまで彼女を足手まといと思ったことはないが、たびたび独りで危地に赴いていたのも事実。共に戦うと全身から喜びを放出しているリーディアの姿は、ヤーヒムの胸の奥をどこか狼狽えさせるもので――






『貴様らァアア! 虫けらの分際で許さぬ! その身を差し出せええええ!!』






 上下に分断された暗黒の怪物の頂から、ジガが憤怒の雄叫びを上げた。

 ダーシャと共に上空高く舞い上がっているヤーヒムは、そこに信じられない光景を見る。


 リーディアの驚異的な魔法で分断されたはずの怪物の上半分が、まるで元々別の粘体だったかのように独自に蠢き出していたのだ。


 そして形作られていく、二体目の怪物。

 いや、その暗黒の粘体は更にぐねぐねと形を変化させ、ジガを飲み込みながらまるで槍を持った巨大な首なし騎士デュラハンのようにその姿を隆起させていく。その下の一体目も、いつの間にか小山のような大きさはそのままでズメイ――獰猛きわまりない狂暴な地竜――の形へと変形を完了させようとしている。


 ……なんだ、これは!?


 先のリーディアの魔法は効果があったどころか、そのまま分裂して訳の分からない変化までされてしまった。

 それぞれの表面に残った無数の口から、執拗に鈴が転がるような鳴き声が一斉に湧き起こっている。それはまるで自らに攻撃をしてきたフーゴとリーディアの姿を悪趣味に真似し、二人を嘲笑っているかのよう。周囲に放出される威圧感は爆発的に跳ね上がり、戯れに振り回される下のズメイの巨大な尻尾は周囲の街並みを根こそぎ瓦礫へと変えている。


 その力といい、上に乗る首なし巨人デュラハンが持つ禍々しい槍といい。

 分断されても分裂するだけのような特質と併せ、軽々しく対峙するのは危険すぎる相手だった。こんな化け物、見たことも聞いたこともない――そうヤーヒムがきつく眉間に皺を寄せた時。




「――古のものによりて創造されし罪深き黒」




 リーディアの呟きが、怪物の騒々しい鳴き声が響く旧ブシェクの街並みの廃墟にぽつりと落ちた。


「え!? 姫さん、何だって!?」

「まさかそんなことが……いやでも今のは確かに……それにこの鳴き声…………」


 リーディアに問い返すのは、彼女を背に乗せ、瓦礫に埋め尽くされた中を脱兎の如く退避していくフーゴだ。

 そこに上空からヤーヒムとダーシャが羽音も鋭く合流してくる。あまりといえばあまりな怪物の変容に、一旦集まって対応策を話し合う必要があるからだ。


「ねえみんな聞いて! あれは<罪深き黒>と呼ばれる亜神、忘れられた古の神の下僕よ! 私たち魔法使いがその強大な力を借りて魔法にする、まさにその本体なの!」

「はああ!? 何だって? 洒落になってねえぞ姫さん!」


 全員が集まるなり上げられたリーディアの叫びが、危険すぎる怪物から少しでも距離を取ろうとしている全員の心臓を鷲掴みにした。

 確かにそれぞれが、ただの魔獣にしては強大すぎるとは感じていたのだ。けれどもそれが、魔法の力の源となっている神々のうちのひとつだったとは。


「……何か弱点とかはあるのか?」

「そんなものは人の身で扱える中にはないわ! どんな姿にもなれて、剣も魔法も効かないわ! あ、でも……」


 厳しい顔をしたヤーヒムの問いに即座に否定をしかけたリーディアだったが、ふと口を噤んで懸命に思案をし始めた。

 今、彼女はヤーヒムに頼られているのだ。それも自分が補佐しようと決めた、魔法に縁のある分野のことについてだ。神に立ち向かう方法など、普段の彼女だったら「無理」のひと言で真剣に考えもしなかっただろう。けれども。


 炎に包まれ、崩壊しつつあるブシェクの街を高速で疾駆するフーゴの上でリーディアは必死に考える。

 背後からは巨大なズメイとそれを駆る首なし巨人デュラハンの姿を取った大いなる存在が、今や地響きを立てて猛追してきている。


 それは邪ながらもまごうことなき神、人の身とは次元の違う存在だ。

 けれども今のリーディアは、古の創造神の残滓をその身に宿した<ケイオスの巫女>とでも言うべき存在である。もしかして、後先を考えずに無理をすれば、ほんのひと筋の光明がそこに――



「…………ひとつだけ、思いついた手があるわ。やってみてもいい?」



 あくまで軽く告げられたそのひと言。

 もしかしたら、自分の人としての身体は耐えきれないかもしれない、そんなことには触れない。ここであの亜神を止めなければ、どのみち皆に命はないのだから。


「――なあ姫さん、まさか変なこと考えてねえか?」


 フーゴがその逞しい馬脚を緩めないまま、肩越しに小声でリーディアに問い掛けた。

 彼は昔からその辺りに敏感だ。いや、フーゴだけではない。連れ立ってその左右を飛ぶヤーヒムとダーシャにも、リーディアの並々ならぬ雰囲気は伝わっていた。


 背後の巨大な怪物から高速で退避している彼らの間に、重苦しい無言の空間が広がる。

 その瞬間に世界に存在しているのは不規則なフーゴの馬蹄の音と天人族二人の羽ばたき、そして荒い呼吸だけとなってしまったかのような、そんな沈黙がしばし続いていく。


「……あはは、みんな、そんな顔しないで。でもね、これはようやく私が出来るようになったこと――そして、私しか出来ないことなの。だから私にやらせて。お願いヤーヒム」


 紫水晶の澄んだ瞳が全員を一巡し、そして最後にまっすぐにヤーヒムを見詰める。

 その壊れそうな笑顔の裏に隠された覚悟と、溢れんばかりの彼女の想い。


 ヤーヒムにそれを否定することができるだろうか。

 もしくは、では試してみてくれ、そう言ってこのかけがえのない女性を化け物の前へと送り出すことも。


「――クソッ、何かヤバいの来るぞ! よけろ!」


 そう叫んで鋭角に走路を変えたフーゴの背後で瓦礫が弾け飛んだ。

 ダーシャと共に咄嗟に上空へと回避したヤーヒムが振り向けば、驚くほど近くまで迫っていた怪物がその地竜型の頭をもたげ、次のブレスを吐こうとしている。


「迷っている時間はないわ! ヤーヒム、貴方と会えて良かった!」


 リーディアが万感の想いを込めてヤーヒムに最後の一瞥を投げた。

 そして腰のマジックポーチから取り出したのは小さな宝玉。封魔の魔法陣を未だ刻んでいない、ヤーヒムから預かった無色透明のコアの残りのひとつだ。


「みんな離れてええええ!」

 

 止める間もなく唐突にフーゴから飛び降りたリーディアが、瓦礫の山の上でコアを天に掲げて叫んだ。






「魔法いきます――禁呪、エイシェントカオスAzathothッ!!」





―次話『決着』―

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