29 古城にて(後)
子供達がひとしきり泣いて落ち着いた後、ヤーヒムは全員を連れて歩き出した。
目指すのはホールから離れたところにあるかつての客室群。子供達をいつまでもノールの死体が転がる場所にいさせる訳にもいかないし、ヤーヒムにしてみても濃密な血の匂いは心をあらぬ方向に引っ張っていく代物だからだ。
荒れ果てた古城の中、遥か昔の記憶を頼りに、かつてラドミーラと宿泊した部屋を目指すヤーヒム。そこなら広さも充分あり、六人いる子供達も一緒に眠ることが出来るだろう。
「……! ここで少し待っていろ」
ヤーヒムは背後に続く子供達をその場で唐突に押し止めた。ヴァンパイアの鋭い五感が、途中の一室に潜む複数の気配を察知したのだ。
まだノールが残っているのだろうか。
ヤーヒムは背中の剣に手を伸ばしつつ、廊下の先の件の部屋の扉を鋭く凝視する。
「………………」
が、どうも様子が異なる。
ヤーヒムは背後の子供達が大人しく固まっていることを目の端で確認し、音もなく扉ににじり寄っていく。
この感じ、用心は必要だが、もしかして――
「――ッ!?」
ヤーヒムが扉をひと息に押し開くと、そこにいたのは石床に力なく横たわった四人の鹿人族の男女だった。
全員が薄汚れた衣服をまとい、それぞれ足首を鎖で床の鉄環に繋がれている。
「お父さんっ!」
背後から女の子が飛び出し、横たわる鹿人族に抱き付いた。ヤーヒムがノールと戦っている間中ずっと、腹を刺されたイジーに縋りついて泣きじゃくっていた年長の女の子だ。
「お、おお! ベルタ、ベルタッ!」
「ママ!」
「ああネラ、ネラなのね! 心配してたのよ、神に感謝を!」
「イジーにリジー! 二人とも怪我をしているのか!? 大丈夫なのか、良かった、本当に良かった……」
あっという間にその荒れ果てた部屋が再開を喜ぶ親子で埋め尽くされた。どうやらあの凶悪な獣人部族に攫われたのは子供達ばかりではなかったらしい。
「あ、あの、あなた様は……」
再開の喜びから我に返った鹿人族の男が、戸口で仁王立ちするヤーヒムに気が付いて立ち上がった。
足首に繋がれた鎖がじゃらりと音を立て、ベルタと呼ばれた子供をさり気なく後ろに庇うような仕草を見せている。
「……」
必死な形相を隠して立ち塞がる男にヤーヒムの鋭い眉が僅かに寄せられ、無言のまま歩み寄って――
「違っ、違うのお父さん! この人、私たちを助けて……」
――そして、抵抗する間も与えず屈んで足首を掴み、剣を持ったままの手で鎖を引きちぎった。続いて隣の女の鎖を、次いでその隣のイジーとリジーの父親らしき男の鎖を、四人全員の鎖を手当たり次第に次々と引きちぎっていく。
「……へ……あ……」
全ての鎖を引きちぎると、ヤーヒムは声もなく自分を見ている全員の顔を見渡した。
それぞれのまとまり具合を見るに、全部で三家族ということらしい。四人の大人のうち夫婦はひと組、イジーとリジー兄弟の親は父親だけ。もうひとつ母親だけの家族もある。大人達の体に残るひどい痣や怪我から察するに、片親しかいない残りの父母はノール共に殺されてしまったのだろうか。
「あ、あの……」
ただ、全ての子供に一人は親が生き残っている時点で、そこはささやかな幸運だとも言える。それに、動く体力はまだそれなりに残っているようだ。攫われてきて一日か二日、といったところだろうか。
「あの……騎士、さま……?」
略奪を生活の糧として大陸を放浪する悪名高きノールは、次の略奪に移る前に虜囚を奴隷として売り払うか、売れなければ皆殺しにして身軽になって移動していくという。
三つの家族が再会を喜ぶこの光景も、もしヤーヒムがこの古城に立ち寄らなければ決して実現することはなかっただろう。彼らもまた、捕えられ未来のない理不尽な囚われ生活に引きずり込まれたという訳で――ヤーヒムの冷たいアイスブルーの瞳が、刃物のように鋭く細められていく。
「あの……ええと……」
初めに立ち上がってヤーヒムに話しかけてきた男が、恐るおそるヤーヒムの顔を覗き込んできた。
ヤーヒムはようやく我に返り、手に握ったまま忘れていた剣を背中の鞘にゆっくりと戻した。そして、頭に浮かんだことをそのまま口にする。
「……ノール共は追い払った。夜が明けたら、近くの街まで送っていこう。今晩はゆっくりと休んでおけ」
急転する境遇に大人達は咄嗟に反応が出来なかった。
連れ去られた子供と一緒に突然現れて素手で鎖を引きちぎった怪しい男が、自分達も救い、街まで送り届けてくれるという。
確かに子供達は懐いているようだ。太い鎖を苦もなく引きちぎったし、明らかに高位と思われる騎士の服を着てもいる。言葉のとおり、悪魔のようなノールを追い払えるだけの強さをきっと持っているのだろう。
だがそれ以上に、男から漂う凄みのようなものが、強者に敏感な草食系亜人の大人達を震え上がらせてもいた。
それは人間とは思えないほどの強大な威圧感であり、圧倒的強者だけが持つ無形の迫力であった。
しばしの沈黙の後、ようやく初めの男が言葉を絞り出した。
「……あ、ああ、本当ですか!? 私たちカレルの村の住人なのです。突然あのノールが群れをなして村になだれ込んできて――ええ、パイエルまで送って頂ければ、そこからは自分達で帰れます。……子供達を救って頂き、本当にありがとうございました」
一度話し出せばスムーズに言葉が出てくるようだ。男の感謝の言葉に合わせて、大人達全員が深々と頭を下げていく。
子供達もその真似をするように慌てて頭を下げ――それを見たヤーヒムの、死神のような威圧感がふわりと霧散した。言葉少なに「礼は不要」と頭を上げさせられた大人達の目に飛び込んできたのは、子供達を見詰め、氷のようなアイスブルーの瞳の奥で確かに微笑むヤーヒムの姿だった。
この騎士様は信頼できる、そんな想いが大人達の胸に広がったのだろうか。
緊張を孕んでいたその場の空気がゆっくりと弛緩していった。
ヤーヒムからしてみれば特に何をしたつもりもないが、自らに向けられる怯えのようなものが緩んだのは分かった。ありがたい傾向である。が、そうなると次なる彼らの意識は「村は……他の皆はどうなって……」という方向へ向かってしまうのだろうか。これだけの大人数が攫われてきたのだ。貪欲な狂戦士どもに襲撃を受けた村の惨状は察して余りがある。
ヤーヒムはその冷たく整った無表情な顔には何も表さず、懸命に新たな話題を探して口を開いた。
「食事は――」
そこまで言った瞬間、それぞれのやつれ始めた顔から状況を悟った。答えを待たずに先を続ける。
「――与えられていなかったようだな。近場で手早く何か狩ってくる。ここで待っていろ」
ヤーヒムのぶっきらぼうな言葉に、子供達の全員がぱっと顔を上げた。揃いの茶髪の下、鹿人族特有の大きな黒い目が期待に輝いている。
よほど腹が減っているのだろう。ヤーヒムはそれ以上言葉を継がずに、何ともいえないぎこちなさから逃げるように部屋の外へと滑り出た。
彼らは皆、大変な経験をしてきたのだ。おそらくこれからも厳しい現実が待っているだろう。
けれど、ああして親子が抱き合う光景を見て、想像以上にほっとしている自分がいた。あの光景が続く限り、きっと彼らは強く生きていける。
それはヤーヒムにはもう縁のないもの。
ちくりと胸を刺す痛みをこの二百年の間にしてきたように無視し、彼ら親子に思いを馳せる。
親の腕の中で無邪気な笑顔を見せる子供たちの姿を脳裏に思い出しつつ、出来る限りの大物を狩ってきてやろう、ヤーヒムはそう心に決めて夜の森へと走り出した。
「ひえっ!」
それから小一時間ほど。
ヤーヒムが城壁の外で丸々と太ったマッドボア――魔獣化した凶暴な猪――を狩って戻ると、荒れ果てたホールの片隅で大人の女二人に息を呑まれた。どうやらヤーヒムの言葉を信じ、ノール共が残していった炊事道具を甲斐甲斐しくも引っ張り出して用意していたようなのだが。
「ききき騎士様、そ、その目は……」
女の一人が震える声を漏らす。
ああそうか、ヤーヒムは湧き上がる皮肉な想いに蓋をしてさっと視線を逸らした。
ノール共が完全に逃げ去ったのか森を確認しつつも手早く大物を探し、調理に向けた血抜きも兼ねてその血を飲み干してから持ち帰ってきたのだが――
どうやらその吸血のお陰で、今のヤーヒムの瞳は深く精緻なヴァンパイアレッドに変わってしまっているらしい。
紅き瞳は魔の証。
どこまで気付いたか分からないが、彼女達からしてみれば、自分はノールよりも恐ろしいヴァンパイアなのだ。
「……気にするな。そういう……体質なのだ。じきに戻る」
親子の絆に触れ、彼らのための上等な獲物を得て少しだけ高揚していた心が、急速にまた冷たさに覆われていく。
馬鹿なことをしたものだ。ヤーヒムは自らの瞳を隠すように俯いたままぶっきらぼうにそう告げ、適当に捌いてきたマッドボアの背肉と腿肉を手前の女に押し付けた。
「え……あ……す、すみません。い、命の恩人の騎士様に失礼なことを。……あ、あの、すぐに騎士様の分も料理――」
「我は要らぬ。この古城の探索もしておきたいし、あとは表でノール共が戻って来ぬか見張りをしていよう。気にせず休み、明日の朝になったら出てこい。街まで行く」
どうやら露見まではせずに済んだのかもしれない。
彼とて好き好んで石を投げられたくはない。ましてや成り行きとはいえ己が助けようとしている相手だ。ヤーヒムは内心で安堵の息を吐き出しつつ、これ以上の失態を犯さないうちにくるりと踵を返した。
◆ ◆ ◆
草木も眠る真夜中過ぎ。
深夜の冴え冴えとした満月の光が、荒れ果てた古城を静かに照らしている。
蔦に覆われたそんな古城の石垣の前で、竜皮のロングコートを着た男が独り優雅な剣舞を舞っていた。
ヤーヒムだ。
食事を終えたあの代表格の男が、ヤーヒムの分だと恭しく料理を運んできてからしばらくが経ち。
男とは少し話をした。
彼の名前はヤルミル、ノールに襲撃されたカレルという村の副村長らしい。争いを好まず、穏やかな鹿人族は農村部で信頼される立場にいることが多い。もう十年もすればヤルミルにも立派な角が生えてきて、名実共に次期村長となって老いた今の村長を引退させてあげたいそうだ。
――その村がノールの部族によって残虐な襲撃を受けてしまった訳だが。
子供達もどうにか落ち着いたようで、滅多に口に出来ないほどの上等な魔獣の肉を皆で満腹になるまで食べたそうだ。ヤルミルは呆れるほど何度も何度も頭を下げ、その混じり気のない感謝がヤーヒムの凍えた心を少しだけ温めてくれた。
感謝の言葉が尽きそうにないヤルミルに、娘が待っているだろうと追い立てるように部屋に戻らせ、それから二時間も経っただろうか。
今、ヤーヒムはノールの警戒をしながらも、独り己の研鑽に努めている。
廃墟となった古城内を軽く探索はしてみたが、残念なことにかつてのヴァンパイアの痕跡は何ひとつ見つからなかった。半ば予期していたその結果を醒めた溜息と共に受け入れ、ヤーヒムはこの場所に来て背中の剣に手を伸ばした。ならば今するべきはひとつ、そう心を決めたのだ。
「…………」
騎士達から譲り受けた肉厚の片手剣が軽やかに四囲を舞う。
今彼の頭を占めているのは、己が人間時代に身に着けたアンブロシュの剣術だ。
先程のノールの長、デ=ヨンゲとの戦闘でそれなりに磨けて形になってきたものの、剣術単体で考えればまだまだ錆びついているといってもいい。人間時代の近衛騎士団の剣術師範達に比べれば、優れた身体能力に任せて剣を振り回しているだけの状態なのだ。この先まだまだ他のヴァンパイアを探していくために、何より自分の正体を明かさずにその旅を続けるために、この剣術をもっと磨き上げる必要がある。
そう。もっともっと剣を自分のものにしておかなければならない。それに――
「…………」
ヤーヒムの剣舞が徐々にその激しさを増していく。
昨日の夕方、追手のゼフト相手に霧化は充分に通用した。フーゴの言っていたとおり、初見の相手なら間違いなく圧倒できることだろう。
だが、ヴァンパイア狩りの手段を編み出したように、人間は情報を分析し、工夫を重ね全てに打ち勝っていく生き物だ。霧化の情報はじきに追手に共有されてしまうだろう。初見の相手ばかりを期待し、油断していてはいつか足元を掬われる。
「――フ! ハッ!」
ヤーヒムの振るう片手剣が唸りを上げて幾度も虚空を切り裂く。
もはや剣舞の域を越え、土煙が立ち昇り実戦さながらの気迫が周囲に撒き散らされている。
ヤーヒムの脳裏で仮想敵として対峙しているのは、ブシェクで遭遇したゼフトの親玉、ザハリアーシュだ。
かの巨人族と鬼人族のハーフが振るう巨剣は力と速さだけではなかった。不意に剣の軌道が変わり、思わぬ角度から強烈な斬撃となってヤーヒムに襲いかかってきた。その挙動は妙に滑らかで、驚きべきことに動きの理を内包しているものだったのだ。
――あれはおそらく、鬼人族が育んできた特有の剣術。
あの時は必要以上に接近しないよう、避けるだけ避けてその場を凌いだのだが。
次に会った時は確実にあの巨剣の間合いに捉えられる――そんな危機感がヤーヒムにはあった。
それに、最近危機を感じたのはザハリアーシュとの戦いだけではない。
ブシェクのラビリンスの最奥の間、六本腕のスケルトンに圧倒的物量で囲まれた時。あれも相当な危機ではあった。
ならば。
「――フンッ!」
凄まじいまでの横薙ぎが宙に線を描く。
ザハリアーシュが使うのが鬼人族の剣術ならば、ヤーヒムにもアンブロシュの剣術がある。歴戦の上級騎士マクシムを模擬戦で封じ込め、辺境の姫将軍アマーリエを唸らせた由緒正しい剣術だ。
そのアンブロシュ剣術の真髄は「流れること水の如く、断ち切ること風の如し」である。
勢いに逆らわず流れるように敵の攻撃をかいくぐり、鋭い反撃の一閃で相手を屠る――その剣理は万剣の長たり、かつてのアンブロシュでは街の子供もその剣を学んでいた。劣勢の相手や乱戦で力を発揮するそれを、改めて【ゾーン】の空間把握を持つ今のヤーヒムに合わせて消化し、昇華させる。
そうすれば大抵の相手は剣だけで切り抜けられるだろう。そして、それでも足りぬ本当の危機には――
「…………」
ヤーヒムは先程の強烈な横薙ぎからの残心を解き、剣を背中の鞘に戻した。
そうして今度はするすると爪を伸ばし、これまでと同じように、だが両手のヴァンパイアネイルを剣に見立てて舞い始めた。
――アンブロシュ剣術の理を、己の裡でヴァンパイアネイルと融合させる。
物量で囲まれた時やザハリアーシュのような強者相手には、これで勝機を掴むことが出来るのではなかろうか。
これまでのヴァンパイアネイルの斬れ味任せ、身体能力任せの直感的な戦い方ではなく、理に基づいた戦略的な動きを徹底的に体に覚え込ませる。【ゾーン】による空間把握もあるのだ。ヴァンパイアの人外の戦闘能力を、アンブロシュ剣術の流れるような体捌きに乗せて戦えるようになる、これが今のヤーヒムの目標であった。
深夜、月光に照らされた古城の廃墟で、一人のヴァンパイアが音もなく舞い続けていく――
翌朝。
日の出前に己の研鑽を止めたヤーヒムは、ぐっすりと眠る亜人親子達のために森に入って朝食の材料を調達していた。
幸いなことに、周辺の森にもノールが戻ってきている気配はない。
今、森を歩くヤーヒムがその手に提げているのは数羽の野兎。背嚢には何種類もの果実が詰められている。水は古城の中の井戸が使えたようだが、これで足りるだろうか。今日の移動に備え、しっかりと食べておいた方が良い――
ヤーヒムは他に何かないか森の中を見回しつつも、時折鋭い視線でそこかしこを射抜いていく。
ノールは全て逃げ去り、今のところ一人も戻って来ていないようだ。
「……!」
森の奥から何かが接近してくる。
気配を絶っており、微かに聞こえる足音は二足歩行、この辺りの魔獣ではない。ヤーヒムは音もなく手近な茂みに身を隠し、神経を更に研ぎ澄ませた。
――ノールではない。あれは、蛇人族か? こんな場所にどうして……
ヤーヒムの視線の先、古城へと繋がる踏み分け道を薄汚れた小男が忍び足で歩いてきていた。
鱗のついた長い首、なで肩で猫背のするりとした体型。加えてチロチロと出入りする細い舌、縦にくびれた瞳孔――どう見ても蛇人族で間違いない。
蛇人族は総じて狡賢く、あまり良い評判を聞かない種族だ。
そして何より警戒すべきは、その男の気配の絶ち方が素人ではないこと。
男の懐深く隠されたマジックポーチがなければ、気付くのはもう少し遅れたことだろう。何が入っているか分からぬが大きな麻袋を肩にかけ、人目をはばかるような足取りで蔦に覆われた城壁の方へと歩いていく。
さらわれてきた親子はそろそろ起き出している頃か。
となれば、顔を洗ったり身支度をするのに中庭の井戸に出てきているかもしれない。このままだとそんな彼らと遭遇してしまう可能性が非常に高い。この小男、この道を通るのがもう半日遅ければ面倒はなかったのに――
「…………待て」
食材を手近な木の陰に置いたヤーヒムが、小男の横の茂みから唐突に声を掛けた。
小男は猫のように素早く振り返り、そしてやや大袈裟な身振りで後ずさった。
「うわああ! 殺さないでくだせえ! ……え? 騎士様がなんでこんなところに――あ、あっしはノールの仲間なんかじゃ! ほ、ほら!」
やはりヤーヒムの服装は誰が見ても高位の騎士に見えるのだろうか。
そしてこの猿のような顔をした蛇人族の小男は、そんなヤーヒムがノール討伐に来たと思っている? いや、古城にノールがいるのを何故知っている――
ヤーヒムの冷たく射るような視線に、小男はさらに後ずさりながら必死な形相で自分の首元を指差している。そこに嵌められているのは……かつての地下牢で少女達の首にあったのと同種の、物々しい隷属の首輪だった。
「や、奴らを討伐に来たので? あっしはセルウス、ノールに奴隷にされた元ディガー、しがない迷宮採掘者ですわ! あっしを解放してくだせえ、お願いします騎士様!」
貫くようなヤーヒムのアイスブルーの眼差しにも負けず、小男はまくし立て続ける。
その薄汚れた猿顔の蛇人族の小男――セルウスが言うには、下っ端ディガーであった彼はノールに拉致され、目端が利くことに目を付けられて隷属の首輪を嵌められてしまったらしい。そしてずっといいように使われ続けていて、今も街まで追加の酒を盗みに行かされていたとのことで……
「ほら、ほらっ! 酒でやんしょ? 奴ら、人使いが荒くて――」
セルウスが重そうに肩にかけていた麻袋には、確かに小振りの酒樽と高級そうな珍味が一杯に入っていた。
命令のとおり盗んできたものだと言うが――
ヤーヒムは逆に警戒を強めて小男の猿顔を無表情に睨みつけた。
セルウスが麻袋を開いてヤーヒムに見せつけた拍子に漂ってきたのは、すえた小男の体臭と……身体にこびりついた古い人間の血の匂い。
酒を盗んだ時に争ったという可能性もあるが、そんなに新しいものではない。
まるで長年に亘って幾人もの血が積み重なり、入り混じったような匂い――それは、砂漠の階層で出会った凄腕の三人組を思い出させるものだった。確かにこの薄汚れた蛇人族の小男は隷属の首輪を嵌められてはいるが、果たして本人が言うとおりの人間なのだろうか。
「あ、あの! この酒とつまみは旦那に差し上げますから! どうか奴らを討伐して、それであっしは旦那に仕えさせてくだせえ! なんでもやりますから――」
セルウスを見た瞬間に感じた嫌な予感は未だ薄れていない。
だが、隷属の首輪をしているのも事実。今のところヤーヒムに刃を向ける様子もなく、ヤーヒムとて怪しい者全てを抹殺していくつもりはない。さて、どうすべきか――
ヤーヒムは怜悧な眼差しをセルウスに向けたまま、躊躇いの後に結論を出した。
今すぐにどうこうはしない。が、この場で解き放って子供達の周囲を自由にうろつかせるのも気が休まらないだろう。ならば、目の届く範囲に置いてこの男の真偽を確かめるべきか。
「……勝手にしろ。面倒はみない」
「あ、ありがとうございますう! 一生ついていきやすぜっ!」
こうしてヤーヒムに、行動を共にする仮初めの従者が出来たのだった。
―次話『スレイブの罠』―
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