3人の年越し[後]

 真先くんがチャイムを鳴らしたのは、セックスの終わった直後だった。

 慌てて着衣を直し、薄化粧すらできないまま真先くんを出迎える。

 開かれたドアから、久しぶりに外の空気を吸いこんだ。

「由麻さん! 大丈夫なの? ってかだいぶ痩せたんじゃね?」

 開口一番、真先くんがいたわってくれる。

「うん、2kgだけど。なんか身体がすかすかになった気分」

 真先くんの目を見ずにわたしは答える。

 身の奥に和佐の余韻を感じたままその弟と対峙するのは、やっぱり気恥ずかしかった。


 3人で食卓を囲み、紅白歌合戦にやいやい突っこみを入れながら賑やかに食べる。司会の茶番がつまらない、脚本が悪い、草食系のバンドばかりで熱さがたりない、毎年同じ曲ばかり歌わされてかわいそう、などなど。

 和佐の作った胃腸にやさしい特別メニューはおいしかったけれど、だいぶ調子の戻ってきたわたしは真先くんのエスニック料理も食べたくなって辛かった。スパイシーな香りが食欲を刺激する。

「少しならいいんじゃね? この辺とか、香辛料きつくないし」

 真先くんが指した空芯菜くうしんさいの炒め物に箸を伸ばそうとすると、

「だめだめ! 胃がびっくりするでしょ。やめときな」

 和佐が怖い顔で制した。

「ちぇーっ」

 思わず漫画のようにむくれてしまう。こういうときの和佐は保護者みたいで、あらがうことはできない。

「ほんとに兄貴は四角四面だな、そういうところ」

 真先くんは苦笑いして、

「またいくらでも作ってあげるよ。義理のお姉さんになるんだし、いつでも」

とわたしに微笑んだ。

 その笑顔がどこか寂しげで、なんだかちくりと胸が痛む。

 あの日、長谷川さんとテントで何を話したんだろう。今更ながら、少し気になった。


 真先くんが持ってきたお酒に、和佐も少しだけ付き合うという。

 飲酒する和佐を久々に見た。焼酎一杯だけで、頬が染まり始めている。こんなにお酒に弱い人だったのか、とあらためて思う。

 わたしはホット柚子ドリンクでかろうじて晩酌気分を味わった。

「そうだ、俺、就職決まったわ」

 ミックスナッツをかじりながら突然真先くんが言うので、わたしも和佐も瞠目どうもくした。

「え!? 正社員?」

「いつのまに!? おめでとう!」

「ありがと。年内ぎりぎりに連絡来たからこないだ言おうと思ったんだけど、それどころじゃなかったし」

 紅白では、ソウル系のアーティストが歌い始めている。

「経験者採用で、2月からなんだけど。由麻さんとこの近くの工場だよ」

「うそ。どこ?」

 真先くんは大手建設機械メーカーの名前を挙げた。たしかに、わたしの勤め先からそう遠くないところに巨大な湘南工場がある。

「すっげーな。そんなとこ、中途で入れるんだ」

 和佐が溜息を漏らす。

「おまえ、最初の会社それ系だったもんな」

「うん、1年だけだけど」

 そうだった。真先くんはフリーターになる前、アプリ開発だかソフトウエア開発だかの技師として働いていた。残業の多さに身体を壊す直前で辞めて、それからは自由人になった。

 そうなんだよな、兄弟そろってがっつり国立理系出身なんだよな。こてこての文系人間であるわたしは、彼らを少し眩しく思う。

「設計メインじゃなくて、カスタマーサービスのチームなんだ。客先とかと英語でやりとりしたりとか、海外出張についてったりとかするんだって」

「すてきじゃん! 真先くんにぴったり」

 わたしはすっかりテンションが上がる。こんなときにお酒で乾杯できないのが悔しかった。

「そっかあ……ちゃんと就活してたんだな」

 和佐はまた溜息をついた。ふいに憂いを含んだ顔が色っぽくて、わたしはさっきの甘いキスを思いだしてしまう。

 そのとき、テーブルの上で和佐のスマートフォンが震えた。どきりとしてそちらを見る。

「あれ、母さんだ」

 お酒の効果か、和佐は躊躇もなく画面を確認し、あっさり通話を始める。一瞬でもアサミの可能性を思ったわたしは拍子抜けする。

「もしもし。おう。……え!?……うわあ、まじかー」

 和佐は眉根に皺を寄せて、スマホを顎までずらし、わたしを見て

「父さんと母さん、インフルエンザっぽいんだって。年始、無理そうだって」

 と悲しげに報告した。

「うそ……」

 予定が、どんどん崩れてゆく。

「わかった。じゃあ、ちょっと練り直すわ。また近々行くね、由麻と。……うん。お大事に。……うん。あ、真先も来てるよ、今」

 和佐はスマートフォンを真先くんに渡し、わたしに向き直った。

「じゃあさー、まあ、ちょっと予定、組み直そっか」

 年始はわたしの両親が旅行に行くため、そちらへの帰省もできない。

「そうだね」

 わたしは肩を落とす。何か強大な力が、わたしたちの結婚を阻もうとしているのではないかと思えた。

「大丈夫だよ。正月は式場の情報でも眺めてのんびりしよ」

 和佐がわたしの肩をやさしくたたく。

 真先くんが電話の向こうの母親に就職の報告をする声を聞きながら、わたしは力なくうなずいた。


 真先くんが泊まっていくのは久しぶりだった。

 紅白を観ながら、真先くん、和佐、病み上がりのわたしの順に風呂を使うことにする。

 二番手の和佐が入っている間、わたしは真先くんの寝床を作ることにした。寝室のキャビネットから、客用のシーツとタオルケット、毛布を居間へと運ぶ。

 ついさっき和佐とセックスしたソファーに寝てもらうのはあまりに気が退けるけれど、でもそれしかなかった。

「あ、俺自分で敷くよー」

 食器を片付けてくれていた真先くんが歩み寄ってくる。

 大丈夫だよ、と笑いかけようとして、わたしたちはおそらく、同時にそれを目にした。

 ソファーの座面と背もたれの間に一部挟まるようにして落ちている、薄い四角の、避妊具の外袋を。

 わたしは言葉もなく凍りついた。

「……鬼畜だな」

 真先くんがそれを見下ろしながら、ぼそりと言った。

「何が『胃がびっくりするでしょ』だよ。自分は病み上がりの身体に、こんな」

 最後の方は、声を詰まらせる。

「ごめんなさい」

 恥ずかしくて、情けなくて、消えてしまいたかった。

「俺、たまに兄貴のことぶっ殺したくなるわ」

 真先くんは、そのまま部屋を出て行ってしまった。

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