3人の年越し[前]

 大晦日になって、ようやく吐き気と下痢は止まったものの、外出や外食ができるほどではない。

 ひたすら横になって、たまにポカリスエットだけ飲んでいたい気分だった。

「それじゃ衰弱しちゃう、ほんとに。少しずつでいいから食べて」

 和佐はわたしのために卵粥たまごがゆを作り、フルーツ系のヨーグルトやプリンを何種類も買ってきた。

 結局、高崎への帰省は諦めて、明日の元日に電話でわたしの両親に報告を入れ、2日の日に千葉の幕張にある和佐の実家へ挨拶へ行くという段取りになった。


 紅白歌合戦が始まる頃にはだいぶ人心地ついて、起き上がって活動することができるようになった。

「ラッキー。体重、2kgも減った」

 料理の盛り付けをしていた和佐に報告すると、

「ばかっ」

 和佐はわたしを軽くこづいて、それから抱きしめた。

「よかった、元気になって」

「……いろいろ看病ありがとう。和佐のおかげ」

「キスもできないとか、拷問みたいだったよ」

 あ、と思う間もなく口づけられる。

「胸は、痩せてない?」

 和佐はわたしのセーターの中に手を入れ、下着の上から「確認」する。

「ん、大丈夫だ。よかった」

「もう……」

 もつれ合うようにソファーに倒れこむ。

 紅組のトップバッターとして歌うアイドルの楽曲を聴きながら、和佐はわたしの身体をまさぐってはキスをした。とろけそうになりながらも、昨日までさんざん吐いたり下したりしていた身体なので、どうにも落ち着かない。

「ごめんね。ごめんね。俺があんな……パーティーになんか連れて行ったから」

 和佐はアサミの名前を出さずに謝罪する。

 わたしは、さっき布団の中でチェックしたアサミのTwitterネームが「あさみん@失恋中」からただの「あさみん」になっていたことを思い出して、胸がざらりとした。

 アサミの失恋は、終わったということだろうか。なんだか気味が悪かった。あれ以降、アサミにしては愛犬のこと以外ほとんどつぶやいていないのも、逆に不安を煽った。

 ダイニングテーブルの上には、和佐の作ってくれた病み上がりでも食べられそうなメニューが整然と並べられている。わたしの日常。わたしの平穏。もう二度と、誰にも触れさせない。

「そろそろ、ダブルベッド買いたいよね」

 わたしの両胸を丹念に揉みしだきながら、和佐はわたしが長いこと口にするのをためらっていた言葉をさらりと言う。嬉しく思う一方で、振り回されている、という実感があった。

 テレビでは、白組のジャニーズユニットが歌っている。ああ年の瀬だ、と思う。

 本当に今年は、予想もつかないことがありすぎた。それでも一応婚約までこぎつけたのだから、実りある年だったと言うべきなのだろうか。

「そしたら毎日、いっぱい、ね」

 和佐はさらに言いながら、わたしのスカートに手を差し入れて下着をずらそうとする。わたしの窪みに直接指をあてる。思わず声が漏れる。

「あ……あのっ」

「由麻」

「和佐、お腹空かないの?」

「禁欲の方が辛いよ。もう我慢できない」

 かすれるような声で言いながら、和佐はなおも愛撫の手を止めない。理性が飛びそうになる。

 こんなこと、前にもあった。ああ、あれだ。あの誕生日前夜。

 ――そうだ。あの悪夢のようなタイミングでかかってきた電話。

 じーん。

 あの忌まわしい記憶を呼び起こしたその瞬間に、和佐のスマートフォンが振動した。わたしたちは、はっとして動きを止めた。

 じーん。じーん。

 和佐のスマホは相変わらず、在宅中は律儀にダイニングテーブルに置かれていた。それが、あの夜と同じように今、和佐に抱かれるわたしを嘲笑うように鳴っている。

 和佐にも何か思うところあったのか、憂鬱な顔で身を起こし、重い溜息をひとつ吐きだした。

 じーん。じーん。じーん。

 和佐はわたしの着衣の乱れをやさしく直し、テーブルの方へ向かう。あの夜スローモーションのように見えた和佐の動きが、オーバーラップする。

 心臓が痛いくらいに鼓動した。

 もし、また、アサミだったら。

 あのときのように切羽詰った電話だったら、和佐はどうするのか。

 年の瀬に婚約者のわたしを置き去りにして、彼女の元へ向かうのか――。

 着信画面を確認した和佐は、こちらを振り向いて破顔してみせた。

「真先だわ」


 和佐とわたしが高崎の実家へ挨拶に行けなくなったことを聞いていた真先くんが、

「お邪魔じゃなければ、行っていい?」

 と打診してきたのだった。

 大学時代の友人宅での年越しをするはずが、幹事その他のインフルエンザによって中止になり、持参するはずだった手料理(!)がたくさんあるため、持ってきてくれると言う。和佐はスピーカーフォンにして通話内容を共有し、目線と身振りだけでわたしの了解を取る。

 そもそもLINEでなく電話をしてくる時点で、真先くんは既に出発していることが多い。

「いいけど、おまえ今どこよ?」

 結局のところ弟がかわいい和佐の声が、やさしく、少し色っぽく居間に響く。

「うん……、うん……、電車でしょ、今日は。いいよ、うちも準備遅くなっちゃってこれから食べるとこだったから、待ってるよ。……うん、由麻がまだ本調子じゃないから、買ったのに食べれないものとかいろいろあるし。……あ、酒は要らないよ。おまえが飲むならいいけど」

 電話を切った和佐は、ふっと笑って

「なんか、ごめんな。あいつほんとに由麻に懐いてるよな」

としみじみ言った。

「いやいや、ほんとブラコン兄弟だね」

 アサミじゃなかった安心感から、わたしも笑顔になる。様々な懸念事項がすべて消えたわけではないけれど。

 それに、ふたりきりだと和佐に余計なことを言って年越しをぶち壊しにしてしまいそうだったので、少しほっとしていた。

 気心の知れた真先くんとは言え、来るなら来るでもう少し部屋のあちこちをきれいにしておきたかった。

けれど、和佐はソファーのわたしに向き直ると、再び押し倒した。

「え、ちょっ」

「これから平塚出るなら、まだちょっと時間あるから」

 甘いキスをされて、抵抗ができなくなる。

 まるであの夜のやり直しのように、ソファーの上で、和佐はわたしを慌ただしく抱いた。

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