誕生日の、昼

 普段仲良く接していても、同僚にはあまりプライベートな話をしすぎないよう無意識にコントロールするところが、自分にはある。なので、自分の誕生日についても特に話題にしない。

 地元で働いている姉の恵麻えまは、今の勤め先にはバースデー休暇なるものがあると言っていた。年次休暇とは別に取得できる有給休暇であるらしい。少し、羨ましい。

 丹羽さんが旦那さんについて愚痴るのを、長谷川さんが彼氏についてのろけるのを、わたしは仕出し弁当を食べながら聞いていた。今日は油淋鶏ユーリンチー弁当だ。朝からトマトジュースとLIPTONのミルクティーしか摂取していなかったので、胃も復調し、ちゃんとおいしく感じられる。やっぱり、かなり油っぽいけれども。

 食堂の大きな窓の外に広がる、工業地域。その向こうに富士山も見える。東京で暮らしていた頃小さな部屋で見ていたのより、ずっと大きな富士山。そしてその周辺の山並みの稜線。口には出さないけれど、この眺めにはいつも小さく感動している。

「そう言えば舘野たてのさん、少し……太りました?」

 3人横並びの真ん中で食べていた長谷川さんがこちらに向き直って言う。

「えっ」

「んー、2kgまではいかないけど……1.5kgくらい増えたんじゃありません? 」

 ビンゴだった。わたしは普段からこまめに体組成計に乗る。同棲を始めるとき和佐が持ち込んだハイスペックなやつで、50g単位で体重が測れる。一昨日朝の時点でわたしは1.25kg増えていた。ペスカトーレを食べ過ぎたあたりから僅かに増え始め、減らなくなった。今朝はさすがに恐ろしくて測っていないけれど。

「当たり。すごい。さすが元モデルは厳しいね」

「いやー、現役時代なんてあたし、500g増えただけで雑誌の読者から『太りました?』って手紙が来たんですよ」

「うええ、すんごい世界」

「ほんっとに体重管理はねー、大変でしたよお」

 長谷川さんは幾分誇らしげに言う。

 じーん。じーん。隣りの空席に置いたランチトートの中で、さっきからわたしのスマートフォンが振動している。二人に気づかれないよう、さりげなく液晶画面をチェックする。予想にたがわず、和佐かずさの名と電話番号が表示されている。

「ま、舘野さんはそのくらいがちょうどいいと思いますけどね」

「そうだよ、あたしなんて産前から16kgも増えたままよ」

 丹羽さんがダイエットクッキーをぼりぼりかじりながら言う。もしも過食と体重増加が止まらなくなったら、わたしもそのクッキーのお世話になる日が来るのかもしれない。そう考えて、少しぞっとした。

 じーん。じーん。じーん。じーん。スマートフォンはしつこく震え続けている。

 わたしはそっとランチトートに手を差し入れ、電源をOFFにした。


 月末だけれど残業にはならないよう集中して請求書の山を片付け、定時で会社を出た。「仕事、本当に早くなったね」と伊佐野さんに驚かれながら。

 会社の名前の付いたバス停の前で、スマートフォンの電源を入れる。不在着信18件。わたしは深い溜息をついた。

 LINEもたくさん届いていた。「ほんとにごめん」「由麻、話したい」「今日待ってるから」「お願い、祝わせてね」昨夜とは違い、短文ばかりがびっしり並んでいる。「ごめを」と誤入力したものもある。

 とりあえずいつもどおりバスで駅前には戻るとして、さてどうするか。どんな顔をして向かい合って会話や食事をしろというのか。

 わたしはこの期に及んでまだ、怒りも悲しみも整理できていなかった。業務をこなしている間はOFFにしていた感情が、行き場を求めてくる。

「オネエサン、チョイとそこのオネエサン」

 突然、怪しい声がした。

 バスではなく白い外国車が目の前に停まっており、窓からよく知る顔が覗いていた。

真先まさきくん!」

「オネエサン、チョイと乗って行きまセンカ」

 わざと片言っぽく発音しながら、真先くんは腕を伸ばして助手席のドアを開けてくれる。

 そうだ、これは真先くんの愛車、アル……アルファなんとかだ(わたしは車種に疎い)。

 彼はフリーターにして個人的に運用している株に成功し、それなりに潤っているのだと以前本人から聞いた。この車を買ったとき、和佐とわたしを夜のドライブへ連れ出してくれたことを思い出す。そのときにこの会社の前を通って、勤め先だと教えたのを覚えていたのだろう。

 普段会うときはうちに来てお酒を飲むスタイルが多いので、車を見たのは久々で一瞬わからなかった。

「久しぶりだねえ。生きてたの? 」

 わたしはカーラジオの流れる車内に身を滑り込ませる。ひと月に2度は遊びに来ていた真先くんが1ヶ月も姿を見せなかったので、その少しニヒルな笑顔をずいぶん懐かしく感じた。

「うん。ミャンマー行ってた」

「ミャンマー!?」

「そう。なんかむしゃくしゃしてたから、パゴダとか見て荒んだ心を清めたくなって。あ、お土産」

 真先くんが指差した後部シートに、無地の袋が乗っていた。御礼を言いつつ受け取ると、織物のような民芸品と、カシューナッツがひと箱、「Royal」と書かれた紅茶とおぼしき緑色の大きな袋が入っていた。

「わあ……、こんなにいいの? これは……ミルクティー? 」

「うん、インスタントのミルクティー。チャイより若干あっさりめで飲みやすいっすよ」

「嬉しい。わたしミルクティーめっちゃ好きなんだよね」

「知ってるから買ってきたわけですよ。それより、お誕生日おめでとうございます」

 真先くんはかしこまって頭を下げてみせる。

「ありがとう、ご丁寧に」

「うちのバカ兄貴がご迷惑かけて、すみません本当に」

「あ、いや……」

「それで今日、この後は? 家に帰るにしろどっか行くにしろ、送っていこうと思って来てみたんだけど」

「うそ、ありがとう」

「お誕生日特典ですよ。いやー、うまくピックアップできてよかった。定時は知ってたけど、電話してもつながらないし」

 はっとしてスマートフォンの画面を確認する。通知をスクロールしていくと、「小平和佐」が連続する中、直近の方に「小平真先」が混じっていた。

 真先くんはこの町に住んでいる。もちろんこの工業団地周辺ではなく、住宅街の辺りだ。

「帰るの? それともどっか、店予約中?」

「あ、えっと……、藤沢の……藤沢に……」

 まだ頭の整理もつかないまま、とりあえずスマートフォンの画面を見せながらレストランの所在地を告げる。

「とりあえず藤沢方面っすね」

 真先くんは車を動かした。方向確認をする横顔が、はっとするほど和佐に似ていた。

 ラジオからタイムリーにPerfumeの「Pick Me Up」が流れだし、わたしは自分の置かれた状況も忘れてわくわくし始める。

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