92.ネット恋人





 僕には顔を合わせた事の無い恋人がいる。



 彼女との繋がりは、インターネットの一つのサイトだけ。

『めききまた人』という、変な名前だが絡んでみると意外にも初々しい。


 そしてとても気が合い、僕達はいつしかお付き合いを始めていた。





 そして今日は、彼女と初めて会う日である。

 事情を話した友達には、騙されているとか止めておけとか、さんざん否定的な事を言われた。


 しかし僕はそれに耳を貸さずに、待ち合わせの場所にいる。

 彼女が騙していたとは、どうしても思えなかったからだ。



 楽しみにしすぎて、時間よりも随分と早く来てしまった。

 もちろんまだ彼女らしき人はいない。


 近くにある時計を見つめる。

 針が進むのが、遅く感じてしまう。

 時間までまだ20分はある。


 それまで、ただ立って待つしかない。



 僕はさりげなく周りを見る。

 ここは待ち合わせの場所としてよく使われるのか、同じような人がちらほらといる。


 そんな人達は僕と違って、すぐに待ち人が来ている。



 その様子を見つめながら、内心でため息をつく。

 騙されているかもしれない、それは僕が一番思っていた。


 彼女との関係は、あまりにも薄く細い。

 どこの誰かかも分からないのだ。

 やろうと思えば、いつでも断ち切れる。



 もし彼女がここに来なかったら、こういった事は止めよう。今日、僕はそう思って来ていた。


 あと10分。


 時計の針はゆっくりとだが、確実に進んでいる。

 僕は更に目を凝らして、周りを見た。



「来ない、かな。」



 ポツリと口から勝手に言葉が飛び出る。

 それは思っていたよりも、心の中を映していた。


 僕は肩を落として、その場から立ち去ろうとする。



「あ、あの!」



 そんな僕の背中に、可愛らしい声がかけられた。

 驚いて勢いよく振り返ると、目線が随分下の方に声と同じく可愛らしい子が僕を見上げている。



「え、えっと。」



 あまりにも突然の事過ぎて、僕は挙動不審になってしまう。

 そんな僕と目を合わせながら、彼女は首を傾げた。



「すみません。突然。わ、私は、サイトの中でお付き合いをしていた『めききまた人』です。」



 少し恥ずかしそうに自己紹介をした彼女は、言葉を続けて笑った。



「あ、でもこの名前じゃ呼びづらいですよね。川又咲良です。好きに呼んでください!」



 僕は夢でも見ているのだろうか。

 想像よりもずっとずっと可愛い女の子が、目の前にいる。

 そして、彼女と付き合っているのだ。



「ボーっとしててごめん。僕は園林竜。好きに呼んで。君の事は咲良ちゃんって呼ぶね。」


「は、はい!じゃあ竜君で!」



 何だか初々しいカップルみたいだな。

 自分でそう思って、恥ずかしくなってしまう。


 そんな僕の気持ちが通じたのか、彼女の顔も赤くなる。

 そのまましばらく見つめあったまま、お互い赤面をし続けた。


 しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。



「あ、あの。どこか落ち着ける場所に行こうか。立ったままでいるのも、あれだし。」


「は、はい!そうですね!」



 僕の提案に、咲良ちゃんは勢い良くうなずいた。

 その姿は本当に可愛らしくて、会ってまだ少ししか経っていないが彼女に惹かれるのが止まらない。


 それとなくエスコートをしながら、近くにあるカフェへと案内する。





「実は私、竜君が本当に来てくれるか不安だったんです。」


「僕もそうだったんだ。でも、来てくれて良かった。」


「今日、来て良かったです。」



 段々と打ち解けてきた僕達は、すっかり和やかに会話をしている。

 元々、気が合って恋人になったのだ。当然の結果である。



「あの。無理なお願いとは分かっているけど、竜君とはサイトの中でだけじゃなく、本当にお付き合いしたいです。駄目、ですかね?」



 急にもじもじと落ち着き無くなったと思っていたら、顔を真っ赤にさせて彼女は言った。

 僕はその様子を見て、そして彼女に先に言わせてしまった不甲斐無さに恥ずかしくなってしまう。



「僕もそう思っていたんだ。こちらこそお付き合いしたい。」



 彼女の頭に手を伸ばして、優しく撫でた。



「あ、ありがとうございます。嬉しいです。本当に。」



 おとなしく頭を撫でられながら、ふわりと彼女は微笑む。

 それは嘘偽りなく、本心から嬉しいという笑いだった。




「よ、よければさ。家来ない?」



 そのせいか、僕は気づけばそう口走っていた。

 彼女のポカンとした表情。

 それに少し急ぎすぎたかと、後悔してしまう。


 しばらく無言の状態が続いた。

 やはり冗談でしたと、ここはひくか。

 そう思って、また口を開こうとする。



「は、はい。」



 しかしはにかみながら、彼女は了承してくれた。

 僕はその瞬間、嬉しさで体が熱くなる。



「じゃあ行こうか。」


「よろしくお願いします。」



 僕は立ち上がり、彼女に手を差し伸べる。

 一瞬の間の後、おずおずとその手を彼女はとった。





 そしてカフェから近い家へと、彼女の手を引いて歩く。

 見慣れた景色に、あと何分で家に着くか自然と頭の中で計算している。

 自分で思っているよりも、ずっとずっと浮かれているようだ。


 彼女があまりにも理想的すぎるのだから、仕方がない。



 僕はスキップしそうになるのを、何とか抑えた。

 しかし彼女にはバレバレなのか、クスクスと後ろで笑っている気配がする。


 焦っているのは自覚しているので、恥ずかしくなったが構わず進んだ。



「ここだよ。ここの1階の1番向こう。」


「綺麗で大きい所ですね。凄い。」



 見上げるぐらい大きいマンションを、彼女はキラキラした目を向ける。

 僕は握ったままの手を強く引いて、彼女を導く。



「どうぞ。」


「お邪魔します。」



 玄関のカギはボタンなので、彼女と手を繋いだまま部屋に入った。

 恐る恐る、彼女は小さく挨拶をする。



「靴のままで大丈夫だから、入って。」


「はい。」



 はやる気持ちが抑えきれなくて、僕は強引に中へと引っ張る。

 彼女は足をもつれさせながらも、小走りについてきてくれた。


 部屋の中に入れると、僕はソファに彼女を促しキッチンに行く。



「コーヒーしかないけど、ごめんね。砂糖とミルクは入れる?」


「よ、よろしくお願いします。」



 彼女はそわそわと落ち着きなく、部屋を見回している。

 その姿が、とても幼くて可愛らしい。


 僕は丁寧に少し時間をかけてコーヒーを淹れ、彼女の前に静かに置いた。



「どうぞ。味の保証はできないけど。」


「ありがとうございます。……美味しいです。」



 息を数回吹きかけて、彼女はゆっくりと飲んだ。

 僕はテーブルを挟んだ向かい側のソファに座って、自分の分のコーヒーに口を付ける。


 上手く淹れられたようだ。

 良かった。



 安心からか、僕はトイレへと行きたくなる。

 少し恥ずかしいが、正直に申告する事にする。



「ちょっと、お手洗いに行ってくるね。」


「ど、どうぞどうぞ。」



 頬を染めながら、彼女は顔の前で手を振った。

 許可は得られたので、僕は遠慮なくトイレに行く。




 トイレから帰ってくると、彼女は同じ体制のまま固まっていた。

 僕は同じ位置に座り、湯気の出なくなっていたコーヒーのカップを手に取る。


 そして、そのまま口に運び。





「それで、これに何を入れたのかな?睡眠薬?」


「えっ?な、何言っているんですか?」



 まじまじと僕がコーヒーを飲む様子を見ていた咲良ちゃんは、目を見開く。

 僕は口には含まず、カップの中のにおいを嗅ぐ。


 コーヒーの香りとは違う、少し薬品に似た臭い。


 カップをテーブルに置き、彼女に問いかけた。



「君は、悪い子だよね。全部知っているんだ。ネットで知り合った人を薬で眠らせて、盗んだり弱みを握るんだろう?」


「そんなの知らない。私は何もしてない。」



 あからさまに動揺しているのに、まだ認めようとしない。

 諦めが悪いが、僕にとっては都合がいい。



「でも君も不用心だね。……薬が自分に入れられる可能性は考えなかったの?」


「え?……あれ……。」



 ようやく、コーヒーに入れておいた薬が効いてきたみたいだ。

 彼女はカップを落とし、ソファに力なく倒れこんだ。

 目がぐるぐると動き、何とか起き上がろうとしていたが、その内静かになった。


 僕は床に落ちたカップを拾い、近くに置いておいたタオルを手に取りこぼれたコーヒーを拭く。

 綺麗になったのを確認すると、僕は彼女の体を持ち上げた。



「本当に君は理想的だ。何かあっていなくなったとしても、色々やっているからこそ心配されない。ネットで知り合うなんて時間がかかるけど、もう少し続けてみようと思うよ。……まあ、もう君には関係の無い話だけどね。」



 彼女の耳元で囁き満足する。

 そして知り合いには秘密にしてある部屋へと、そのまま向かい扉を開けた。

 そこに広がる光景に自然と笑みがこぼれる。



 しばらくは楽しめそうだ。





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