28.終わり
辛い。
どうして、こんなにも私が苦しめられなくてはいけないのか。
「美咲さん。」
あいつの私を呼ぶ声が気持ち悪い。
何度も何度も遠ざけたはずなのに。
あいつはゾンビの様に、いつの間にかまた私のそばにいる。
「美咲さん。好きです、本当に好きなんです。」
神聖視される愛に、いい気になっていたのは最初の内だけ。
今は、ただただ気持ちが悪い。
だからこいつとは縁が切りたい。
それなのに未だに上手くいっていない。
「はあ……。どうしたらいいんだろう。」
いくら考えても、良い考えは浮かばない。
私は職場で1人大きくため息をつく。
「どうしたんですか?」
そうすればお節介で優しい男の後輩が、気になって話しかけてくる。
「ちょっと、困ってて。どうしようかなって。」
そこで弱々しい雰囲気を醸し出せば、掴みはOK。
「俺で良かったら、話聞きますよ。」
鼻息荒く彼は身を乗り出して、顔を近づけてくる。
「じゃあ、ちょっとだけ聞いてもらってもいい?」
内心でやりやすいと笑いつつ、私はしおらしい女を意識して話し出す。
「随分前から、変な男に付きまとわれていて……。どんなに嫌だって言っても、警察を呼ぶって言っても、効果が無くて。」
「それって、ストーカーですよね。大変じゃないですか。」
何度もシミュレーションしたから、淀みなく言えた。
そして私の思惑通り、さらに後輩はこちらに近づいてきて吐息が顔にかかる。それは不快だったが、なんとか我慢する。
後もう少し。
「やっぱりそうなのかな。私怖くて。」
瞳を出来る限り潤ませれば、これで私のやる事は終わり。
「じゃあ俺がなんとかしましょうか?」
正義感がある自信家は、ちょっと気になっていた同僚の私のために、胸を張って助けをすると提案してくれる。
「え。……さ、佐藤君にそんな事までしてもらえないよ。……でも、やっぱり頼もうかな。」
1度は遠慮するふりをして、そしてその後にすぐに了承をする。遠慮しすぎて、やっぱりやめたとなるのは困るからだ。
それにしても、ギリギリで名前が思い出せて良かった。あんまり興味のない男の事なんて、脳の中に入れるだけ無駄だからと忘れてしまうから、危ない危ない。
「俺に任せて下さい。学生時代にボクシングを少しやってて、腕には自信がある方なんで。」
強さのアピールの為かシャドーボクシングの動きをしてくるが、それが凄いのかどうかは素人には分からない。
まず、その動きは目立つからやめてほしい。
フロアにいる他の人達の好奇の視線が突き刺さる。あまり目立ちたくない。
「あ、あの。それで、えっと何時頃にしますか?」
私はその動きを止めて欲しくて、話を再開させる。
「うーん。そいつって、どのぐらいの頻度で現れるんですか?」
ようやく止まった佐藤は、まるで下僕のように従順な顔をした。
主になったかの気分で良い気持ちだが、何時にしようかはまだ考えていないので困った。
「えっと。ほぼ毎日で。だから何時でも佐藤君の都合が良ければ。」
「じゃあ、今日やりましょう!俺暇なんで!!」
佐藤の食い気味な暇アピールに若干引いてしまう。暑苦しいタイプは嫌いだ。まあこの男がそういうのならば今日にするか。
あいつは気がつけば私の後ろにいるので、早いに越したことはない。急な気もするが、あいつとおさらば出来るならそれで良いか。
「うん。お願いします。」
私は上目遣いで佐藤を見つめる。
男はなんだかんだこれに弱い。
「いや、困っている人を見捨てられないんで。気にしないでください。」
格好良く言おうとしていても、鼻の下を伸ばしたら台無しだ。
気持ち悪い男だな。内心で蔑んでいたが、顔には出さず私は可愛く微笑みかけてやる。
「本当にありがとう。佐藤君のおかげで怖くなくなってきたよ。」
「いやあ。気にしないで。じゃあ仕事終わったら待ち合わせね。」
そう言って席に戻っていく佐藤。いつの間にか敬語が取れていて、馴れ馴れしい男だ。評価は底辺に下がった。
しかし使えるものは何だって使ってやる。
今日であいつとはおさらばだ。もう苦しまなくて済む。
私は仕事の準備をしながら、安堵のため息をついた。
「じゃあ行こうか。」
「はい。」
仕事が終わり、会社から少し離れた所で待ち合わせをした私達は、とりあえず私の家に行こうという事になった。
下心が見え透いている。
しかし今はそれにのってやろうと、私は彼の腕に絡みついて歩き出す。
そして、あいつはすぐに現れた。
腕を組んで歩く私達の後ろを、分かりやすくついてきている。
間抜けな佐藤も気付くぐらいだから、随分と分かりやすい尾行だ。
「あいつだよね。何か思ってたより普通。」
「そうね 。普通かもしれないけど、だからこそ余計に気持ち悪いの。」
「言われてみればそうかも。あれならちょっと脅せば大丈夫だよ。」
周りに聞こえないように、顔を近づけて小さく話す。
後ろの視線が強くなった気がするが、気づいていないふりをして私達は歩き続ける。
そして私は彼の腕を引き、人気のない場所へと誘導をしていく。
家に行く前に、何とかしてやろうと計画を勝手に変更したからだ。
「1回、ここで止まりましょう。」
「え?あ、あぁ分かった。」
高架下。
昼も夜も人通りの全く無い所。
私はそこで歩みを止めた。
急だったために驚いていたが、佐藤も止まる。
後ろの気配は未だにあった。
大丈夫。
何かあったら、佐藤を置いて逃げればいい。
私は何回か深呼吸をして、覚悟を決めて振り返った。
「……何度も止めて下さいって、言っていますよね。」
「美咲さん。」
ああ、気持ち悪い。
その舐め回された気分になる笑みが。
あいつに笑みを、向けられた私は鳥肌が立った。
佐藤を掴む腕に、自然と力が入ってしまう。
「本当、迷惑なんです。」
「美咲さん。その男、誰ですか?何でそんなに近いんですか?」
笑みを浮かべたまま話す、しかし目が笑っていない。そして会話も成立しない。
佐藤もあいつの異様さにやっと気づいて、少し後ずさった。大口叩いていたくせに、弱い男だ。
「あなたに関係無いです。もう付きまとうのは止めて下さい。」
私は震えそうになる体を抑えて、あいつを睨む。ここで怯んだら相手の思う壷だ。
「美咲さん。何でそんな事言うんですか?あなたはそんな人じゃないはずです。隣りにいるそいつが悪いんですか。……排除しましょうか?」
本当におかしい。
頭の作りが、根本的に普通の人と違うのだ。
少しでもこんな男と接点を持ってしまった事に、昔の私を殴りたくなる。
「佐藤さん。助けて……怖い。怖いですっ。」
しかし、今日それを終わらせる。おさらばする。
私は未だにぼーっと立ったままだった佐藤の袖を引いた。
「あっ!おい、彼女が嫌がっているんだから、止めろ。言う事を聞かないんだったら、実力行使に出てもいいんだからな。」
そうすれば我に返った佐藤が、あいつに向かって凄む。
「君は誰だい?僕は今、美咲さんと話しているんだ。無関係な人は黙っててくれないか。」
しかし多少凄んで引くような男だったら、こんな苦労はしていない。
私は佐藤の後ろへ逃げて、彼の背中に抱きついた。そしてわざと体を震わせる。あいつへの挑発だ。
「いや。怖い。怖い。来ないでっ。」
こうすれば、あいつから私達はとても親密な関係に見える。
泣き真似も加えれば、さらにそれが助長されるだろう。
ギリギリとあいつ歯ぎしりする音が聞こえてきた。
「美咲さん。美咲さん。何で何で何で。そんな奴に何で何でそこにいるんだみさきさんみさきさんみさきさんみさきさんみさきいいいいい!!」
しばらくブツブツと呟いていたかと思ったあいつは、急に狂ったように叫んだ。
私は佐藤の後ろに隠れていたから分からなかったが、叫びながらこちらに向かってきていたらしい。
「く、来るなっ!!」
佐藤の怒鳴り声、すぐに鈍い音。
そして静寂。
あいつの声は聞こえない。
私は恐る恐る、佐藤の背中から覗き込んだ。
「!」
そこには私が望んだ以上の結果があった。
倒れたまま動かないあいつ。
頭から徐々に血が地面に広がっていく。
明らかに危ない状態だ。
「し、死んだの?」
「ちが、俺は悪くないっ。こいつが向かってきたから、ちょっと押しただけっ。」
私の言葉に覚醒した佐藤。
頭をかきむしり、慌てて弁解をする。
怯えた佐藤が押して、あいつが倒れた時に打ち所が悪かったのか。
何て間抜けなんだろう。
お似合いな死に方だ。
私は気を抜けば笑ってしまいそうで、太ももをつねって耐える。
「私も分かってる。佐藤君は全然悪くないって。だから、何も知らない何も無かったことにして、ここで解散しよう?」
「え。救急車は?こいつ放置するの?」
「でもそれじゃあ、この人のせいで佐藤君が大変になっちゃう。私達は今日は会っていないし、会社から家にそれぞれ真っ直ぐ帰ったの。そうでしょう?」
「あ、ああ。」
笑いを耐えながらした提案。
佐藤は最初の内は渋っていたが、自分の立場が危うい事に気づいたのか最後は納得した。
だから私達は、あいつを放置してそのまま解散し家に帰った。
それからあいつが私の周りに現れることは無かった。
いつ、ニュースであいつの死が殺人事件として流れるか不安だったが、それも全く何も無い。
もし警察が来たら佐藤のせいにしようと計画していたので、少し拍子抜けしている。
それはそれで、無駄な手間が省けて良かったのかもしれない。
あれから例の高架下には、まだ一度も行っていない。
もし行って変なことに巻き込まれたら、全てが台無しになってしまう。そう思って最近は近くも通らなくなった。
そのせいもあるのかもしれないが、私は不安になる時がある。
本当にあいつは死んだのか?
私達があの場から離れた後、結局どうなったのか?
全く分からないので、歯がゆい気持ちでいっぱいだった。
佐藤も私といるとあの時のことを思い出してしまうのか、避けられてしまい調べるのに使えない。
現場に行って、供えられた花やお菓子を見つければ気持ちは軽くなるかもしれない。それかあいつの名前で生死を調べる方法もある。
しかし未だに何もしていないのは、もし調べてあいつが生きていたと分かってしまったら怖いからだ。
あいつが生きていたとしたら、必ずまた私の元に来る。その時、きっと私は殺される。
だから調べなければ、あいつは死んだと自分に言い聞かせ続けられる。自分を騙して日常を送れる。怖がらず外に出られる。
そう思っている時点で、私は未だあいつの呪縛から逃れられていない。
「美咲さん。」
いつかその声が聞こえてくる未来に、決してならない事をただ願う事しか、今の私には出来ない。
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