Green2 お義姉さん

 初めての出会いは、結婚式だった。多分。

 多分っていうのは、出会ってはいたはずだが全く覚えていないからだ。

 あの日、従妹に新しく家族になる人たちを紹介された。和やかに挨拶を交わし、あまつさえ握手までした。全員と。けれど僕は上の空だったから。どうせ二度と会うこともないと思っていたし。そういう甚だ失礼な理由で僕は彼女を覚えていなかった。




     🌴🌴🌴




 新婚旅行から帰った従妹が、マカダミアナッツチョコレートを持って遊びに来た。彼女が嬉しそうに語る土産話を僕はにこにこしながら聞いた。針の筵みたいだったな。健気な僕を褒めて欲しいくらいだ。そして誘われるままに従妹のアルバイト先を訪れた。


 一階がカフェ、二階が古書店になっている珍しい造りの店で、古書店はご両親が営み、カフェはお義姉さんがやっているとのことだった。

 僕はそのひとを覚えていなかったので、気持ちの上では初対面みたいなものだ。

 第一印象がちょっと悪かった。

 彼女に非があった訳ではない。そう考えると、己の勝手な解釈で苦手意識を作ってしまったのだと申し訳ない気持ちになる。


 それは純然たる厚意だったのだと思う。

 頼んだコーヒーにケーキが添えられていた。


 チョコレートのロールケーキ。

 ふわりとしたチョコレートクリームの上には砕いたチョコレートとマカダミアナッツが飾られていた。

 マカダミアナッツチョコレート。

 その頃の僕には破壊力満点の一品だった。

 なんて非道いひとなんだと思った。


 一気に失恋を掻き立てられ、チョコレートのほろ苦さがまた片恋の切なさに繋がり、従妹の目を盗んで涙目で口に運んでいると、カウンターに立つ彼女と目が合った。

 僕の目をじっと見つめたまま、小首を傾げてにこりと微笑む。後ろでひとつに纏めたストレートの黒髪がさらりと揺れて、頬に少し赤みが差して、僕の鼓動がどきりと跳ねる。何もかもを見透かされているようで、梅雨の合間のやわらかな光を映す瞳から目が離せなかった。




   ☕☕☕




 従妹が喜ぶし、何と言ってもコーヒー一杯で本読み放題というシステムがとても気に入った。本を買えば一杯コーヒーが飲めるのも好い。僕は足繁く古書店に通った。従妹のいない日もあったが、今やすっかり定位置になった奥まったソファ席で長い時間を過ごした。

 従妹のいない日は、お義姉さんがコーヒーを運んでくる。由美さんという。小さなトレーにはいつもコーヒーに何かしらが添えられていた。初めての日のケーキのような大仰なものではない。豆皿に載せられているのは、クッキーであったり、トリュフであったり、ちょっとしたものだ。

 初めは店のサービスかと思っていたがそうではないらしい。他のテーブルにはそれがない。従妹がいる日にも、それは付かない。彼女が運んでくる僕のコーヒーにだけ、それは付いている。

 それは僕に擽ったさを運んでくる。


 その日も、従妹はいなかった。由美さんが運んで来たトレーにはメレンゲを焼き固めた白い菓子が載っていた。いつもは少しだけ笑みを見せてすぐに去るのに、ふと僕が手にした本に目を留める。


「イカロスって」

 ギリシャ神話の表紙を見ながら由美さんが言った。

「どうして太陽を目指したのかしら。墜ちるって知っていたのに」

 何を言われているのか戸惑う僕に、彼女は続ける。

「それでも太陽の熱を知りたいと思うのかしら。墜ちると知っていても?」


 じっと見つめられて背が冷えた。知っている? いや。まさか。

「僕なら飛びませんね」

 由美さんが、どうして? というように首を傾げる。

「我が身がかわいいですから」


 身も蓋もない僕の答えに、

「意気地なしね」

 彼女が笑った。


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