気付きたくない想い

「笠野、もしかして口紅塗っているのか?」

「……塗っていますけど、変ですか?」

 金曜の夜。残業中だけど休憩がてら自販機で紙コップのブラックコーヒーを購入中、背後から五つ上の営業の先輩である藤堂さんに声を掛けられ私は間を置いて返す。

この人には新人時代からお世話になっていて、けれども口の悪さから苦手意識がある。口が悪いくらいで何でまたと思われそうだけど、私の身近な男性は比較的穏やかなタイプが多かったから、そういう風に意識してしまったのだ。

「いや、ついに男でもできたかと思って」

「違います」

「違うのかよ、笠野が色気づいたから男ができたもんだと思っていたのに」

「色気づくってどういう意味ですか」

 苦手意識はあるけれどレスポンスできる程度にはこの人には慣れた。というか慣れないと仕事にならないし社会人として如何なものかという考えはある。


「だってお前、化粧っ気あんまねーし。社会人としてそれなりーってメイクだけど、今まで口紅なんてしていなかったろ」

「荒れてしまうから塗れなかったんですよ」

 自販機から淹れ終わったという音が流れれば私は紙コップを手にし壁際に移動をする。

 なんとなくまだ仕事に戻りたくなかったのかもしれないけど、それでもこの人とここで話すのも少し躊躇われる気がした。どうにも藤堂さんと業務以外で言葉を交わすとあれこれ考えてしまう。

「お前って皮膚ヤワいもんなぁ」

「なんで知っているんですか」

「しょっちゅうハンドクリーム塗ってるからさ。塗り忘れると指とかボロボロじゃん」

 よく見ているなぁなんて思いながら何を飲むか選んでいる彼の背中を見つめる。男の人を思わせるしっかりとした体付きは少しだけ興味を持ってしまう。

(って、何を考えているんだろう)


 興味を持ってしまうだなんて、それを言ったらそういった体付きの人はその対象になってしまう。けれどもそう思うのは藤堂さんだけで……なんて考えると私は彼を異性として意識しているという事に気付いてしまった。

「よく見ていますね」

「そりゃまあ、お前の事は結構気に入っているから」

「それはどうもありがとうございます」

 結構の前にはきっと後輩としてという言葉が入るんだろうな、なんて思いながら紙コップに口を付けてコーヒーを一口飲む。そして失敗したなと思うのは口紅を付けた事、そして自分の気持ちに気付いてしまったという事だ。

(あーあ、どうせ藤堂さんと恋愛なんてできないのになぁ)

 そんな風に思いながら私は飲み物が淹れ終わったという音を待つ彼の背中を眺めるのだった。だってこの人には大学時代からの可愛い彼女がいるのだ。それにもう三十二歳、その彼女との結婚だって考えているだろう。

 最初から終わる恋なんてしたくないのにと思いながら、片付けなければいけない仕事へと少しずつ意識を戻した。

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臆病な恋 續木悠都 @a_fraud_h

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