変な奴②

 榎田希依は変な奴だ。

 帽子女と呼ばれていた、授業中もずっと帽子を被っている『変人』といつの間にか仲良くなり(本人は偶然の出来事と言っているが)、さらに文化祭の実行委員会に一緒に入り、活躍。帽子女を社会復帰、いや大学には来ているし、引きこもりでないのでその言葉は正しいのかはわからないが、ともかく真っ当な学生に仕立て上げた。

 関わるなと注意した。

 それなのに彼女は関わり、そして行動した。

 高校時代は輪に入らず、遠くから愛想笑いをしていただけの彼女がだ。

 一人の人間を変えた。

 なかなかにできることではない。本人は全く自覚していないだろうが、凄いことを成し遂げたのだ。彼女自身の変化は、進歩は、はたまた元から秘めていた才能なのか、いずれにせよ容易いことではない。希依は凄い奴だ。

 …けして口に出して褒めたりはしないけども。

 俺自身が彼女の凄さを知っている。俺も彼女に変えられた一人なのだから。改めて言うほど恥ずかしいことはない。

 

 そんな尊敬に値する彼女なのだが、なんだか最近ますます変である。

 いや、変のベクトルが変わった気がする。

 具体的に言うと、七夕祭が終わってからだ。


「ちゃんと授業聞けよ」


 大教室で同じ授業になった希依に注意するが、彼女は何も反応しない。

 眠っているわけではない。前を向いて授業を聞いている風ではあるのだが、ぼけーっとしていて、意識がどこか別の世界に行っている。

 これがここ数日ずっと続いているのだ。

 少し語気を強め、呼びかける。


「おい希依」

「えっ、何か言った?」


 彼女が振り向く。やっと気づいた。


「授業に集中しろって」

「何言っているの。集中しているって」

「じゃあ、その真っ白なノートは何なのかな」

「へ」


 彼女がまじまじとノートを眺める。

 そこには真っ白な大地が広がっていたわけだ。

 彼女が申し訳なさそうな顔でこちらを見る。


「壮太」

 

 その声は弱々しい。


「ノートコピー、1枚100円でどう?」

「恩に着ます」


 こんなことで小遣い稼ぎしている場合じゃない。

 褒めた後にこんな体たらくでは、褒めた自分が馬鹿みたいだ。



 授業が終わり、図書館のコピー機が混んでいたので、購買のコピー機へ二人で向かう。先ほどの授業で使用したノートを貸し、希依がコピー機を開ける。


「本当ごめん、助かるよ壮太」


 手でごめんごめんと示し、素直に謝る彼女。


「まぁお互い様さ。こないだのミスコンでは逃げられて困ったけどさ、凄い困ったけどさ。あの後凄い怒られたんだけどさ」

「うう、あれは悪かったって」


 もう別に怒っていないが、素直に許すのも面白くないのでからかうネタにしている。貸しは作っておくものだ。


「それにしても最近おかしいんじゃない」

「うん?私が」

「そう」

「そう見えるかな?」


 本人は自覚無し、と。

 それともその不思議そうにしている顔は偽りか。演技できるほど器用な女ではないと思うけど。

 さて、一歩踏み込むか。


「もしかしてさ」


 彼女がコピーをしながら、ちらりとこちらを向く。 


「彼氏でもできた?」

「ないない。彼氏なんて出来っこない」


 即否定。

 うーん、予想は外れたか。

 文化祭の実行委員会で活動する内に、先輩、同級生に気に入られ、文化祭の日に告白された。ぼーっとしているのはどう答えようか悩んでいるか、付き合いたてホヤホヤノのどこか落ち着かない感じだと思ったが、僕、いや俺の見解もまだまだ甘い。

 もう少し詮索してみるか。


「七実の男子かっこいい人多くない?」

 

 でも出てきたのは曖昧な返事。

 

「いやいや、私はかっこいいとか、イケメン!とかよくわからないから。皆、いい人だけど、そういうカテゴリーにないというか」

「そうですかい」


 いい人ほど危ないと俺は思うのだけどさ。

 探りを入れるが反応はいまいちだ。

 はて、それでは希依はどうして心ここにあらずなのだろうか。思い当たるのは、


「燃え尽き症候群?」

「あーそれはあるかも」


 ここ数ヵ月彼女が文化祭のために一生懸命頑張っていたのを知っている。それが急に終わり、平凡な日常が戻ってきた。特別から普通の世界への急なワープはどこか物足りなく感じてしまうものだ。


「うん、そうだね。七夕祭本当に楽しかったからさ」


 笑顔でそう答える彼女。その言葉、顔に嘘はなさそうだ。

 最初はサークルも入らず、出遅れていて心配していたのに、僅か数ヵ月でここまで充実できたとなると、応援した身としては嬉しいものだ。でもどこか寂しい。これって親心?

 まあ、余計な心配だったな。単なる燃えつきか。


「すぐテスト期間だ。燃え尽きている暇もないからな」

「辞めてください。現実に引き戻さないでください、もう少し祭り気分でいたいんです、お願いします」


 もうすぐ前期も終わりで、夏休みがやってくる。

 入学したばかりだと思ったが、前期なんてあっという間だった。


「だからちゃんとしろよ」

「はーい」

「返事は短く」

「はいはい」


 こんなバカげたやり取りも、夏休みに入れば特に会うこともなくなるだろうから、貴重となるのだろうか。


「いやー、本当男でもできたと心配したいのに単なる燃えカスになっただけかー」

「カスっておい。女をとっかえひっかえしている壮太とは別なのよ」

 

 なんだかんだで付き合った女の子はいないんだけど、酷い言い様だ。

 俺の話はいい。ともかく彼女に浮いた話はないようだ。

 安心。安心なのか?

 10代の夏、独り身。それはそれで寂しいような、切ないような気もするが、まあいい。

 でも、揶揄うネタがないわけだ。


「つまらないなー」

「つまらなくてごめんなさいね、色男」


 コピーも終わり、彼女からノートを返される。


 気まぐれだった。


「じゃあ、彼氏はいないっていうけどさ」


 それは単なる思い付きで、軽く口に出ただけの言葉で、深い意味なんてなかった。


「彼女でもできた?」


「…へ?」

 

 空白が生まれる。


「・・・」


 冗談で言ったつもりだった。


「・・・」

 

 あれ?え?

 希依が明らかに動揺している。目を泳がせながら、言葉を必死に探している。

 でも希依から返事はすぐに返ってこなかった。

 口をパクパクさせた後、このままでは不味いと思ったのか、彼女は慌てて、止まっていた言葉を溢れさせる。


「ないない。彼女ってないって、ない!私、女の子だよ。女子高ならまだしも、いやいやありえない。漫画やドラマの世界じゃないんだからさ!そんなおとぎ話はないない」


 急な早口の否定。

 言葉を挟めずにいると、


「あーもうそんな冗談言っている場合じゃないって。授業始まるよ。次、始まるから私行くね。ノートありがとう、壮太」

「えっ、あ、うん」

 

 逃げた。

 その横顔はほんのり朱に染まり、焦りが見える。


 …まさか、ね。

 いや、さすがに女子同士でそういうことって、え。


 彼女の背中はどんどん遠くなり、やがて見えなくなる。小さな背中に一体何を抱えているのか、俺は新たに不安を覚えるのであった。


 希依と俺は似ているようで、全く違う人間だ。

 そう、榎田希依は変な奴なんだ。

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