第94話 転校生にはおちゃめな一面が存在した -07

   ◆




「おう、拓斗。今日は早いな。何かラッキースケベでもあったか?」

「お前は全てを無に帰す読みの深さを発揮しやがって」


 しかしながら、教室の中に一人だけいた悪友の大海によって掛けられた言葉が、拓斗の心を再び乱した。


「おうおう何だよ、そんなラッキースケベなんか日常茶飯ってことか? 50パーで羨ましいぜ」

「あとの50パーは?」

「いたたまれない」

「お前っていい奴だったんだな」


 見直した。

 けれど拓斗は気が付いていなかった。


「……否定しないのな」


 ――大海の張った罠に。


「お前……ついに一線を越えちまったんだな……」

「違う!」

「だったら何で否定しないんだよ……っ!」

「それは……」


 実際にラッキースケベな目にあったからだ。だけどフィクションに比べて程度は低いんだ――と訴えても火に油を注ぐ結果にしかならないだろう。認めることになるのだし。


「……だんまりかよ……っ」


 まるで相手が実は敵だということが分かった際の問い詰めみたいな深刻な状況かと錯覚させるほどの迫真の演技をする大海。

 いや、演技ではない。

 彼は本気で拓斗を裏切り者だと思っているのだ。


「……そう、なのかよ……」

「……」


 親友の訴えかけるような目が辛い。

 というかお前は静とさっさとくっつけてやればいいじゃないか――と言いそうになったが止めた。人の恋路に突っ込むのは流石に悪いと思ったから。

 だから別の手段を取ることにした。


「……なあ、大海」

「何だ、拓斗?」

「今、ここの教室には俺とお前しかいない。――この意味が分かるよな?」


 にやり、と口の端を上げると、大海は顔を引きつらせた。


「まさかこの俺を……」

「うんうん」

「この俺までもヒロインにするつもりか……っ!?」

「うんうん。お前もヒロインになるんだよ……ってんなわけあるか! 尻を押さえるな! お前が僕の初めてになるのは嫌だよ!」

「じゃ、じゃあ……なあに……?」


 親指を加えてしなを作る大海にイラッと来た。ヒロイン気取りかよてめえ。


「先の失態は、今、お前しか知らないわけだ」

「うんうん」

「つまりお前がいなくなれば、その失態を知る人がいなくなるわけだ」

「うんう……え?」


 ポン、と大海の肩に手を置き、力強く握りしめる。


「ということで、後は分かるな?」

「いたたたたたたた! まままままま待て! 99パー待て!」

「さあ、残り1パーセントが迫っているぞ」

「わ、分かった! 分かったって! 顔こええよ!」

「何で尻を押さえたままなんだよ!?」

「え……? ま、前だけは初めての人に……」

「1パーセント」

「まさかパーセンテージがそのまま脅しになるとは思わなかったぜ……」

「ゼロ」

「分かった! 分かったよ! ……オーケーオーケー。友人の言うことを聞こうじゃないか」


 肩を竦め、大海は拓斗に右手を差し出す。


「剣崎さんと何があったのか、これ以上は訊かないし、憶測を言い回らない。――これでいいか?」

「ああ」


 拓斗は差し出された手を握りしめる。

 男と男の友情。

 二人はいい笑顔でお互いの顔を見ながら、うん、と頷く。

 いい友人だ。


「……さて、と」

「ん、どうした、大海?」

「いや、そろそろ人が来そうだな、って思ってさ」

「そうなのか。普段は早く登校しないから知らなかったが、結構みんな来ないもんなのな。でも助かったよ。誰も来なくて。あの会話の最中で誰か入ってきたら本末転倒だったからね」

「そうだな。あっはっは」

「だよね。あっはっは」


 二人で笑い合った所で、前方の扉が開いた。

 その瞬間――



「なあなあなあ聞いてくれよ! 拓斗のやつ、ついに剣崎さんと大人の一線を越えちまったようだぜ!」


「大海てめえ! 裏切りやがったな!」

「バーカ! 俺はお前と友人じゃなくて親友だから友人の言うことなんか聞かねえよ!」

「時と場合によっちゃ感動する台詞を屁理屈で使いやがって!」


 確かに大海は友人の言うことを聞くと言った。

 だからといって親友が友人の中に入っていないとは言っていない。

 ――などという正論をかました所で時は既に遅い。

 入室してきた人物は、既にその言を聞いてしまっているのだから。


 ――ここで、拓斗に不幸が訪れる。


 入室してきた人物がただのクラスメイトの男子であったら、最悪は責められたり罵倒を浴びたりするだけだろう。

 入室してきた人物がただのクラスメイトの女子であったら、「何言っているんだこいつ」と大海に冷たい目を浴びせるだろう。


 しかしながら入室してきたのは、ただのクラスメイトではない。

 普段、仲良くしている人物。

 しかもその中で、一番、物理的な被害が生じなくて。

 一番――精神的な被害が生じる人物であった。



「た、拓斗君と遥ちゃんが……大人の一線を越えた……?」



 ――亜紀だった。

 彼女は手に持っていたカバンを床に落とし、口元に手を当てて震えた声を上げた。

 それはショックだろう。

 親しくしている友人同士が突如、大人の関係を持っただなんて知ったのならば。それをいきなり聞かされて、反応に困るのも当然だろう。これが静だったらからかいに走るだろうし、蒼紅だったら色にもよるが大海と共に悪乗りする方向に走るだろう。二人共に共通するのは、これが大海の妄言だと瞬時に理解するだろう、ということであった。

 だけど、亜紀だけは違う。

 亜紀だけはその言葉の通りに取ってしまい、戸惑いの反応を見せるだろう。

 そして現にそうなっている。

 その純粋さに拓斗は心を痛めた。

 いっそ殴ってくれればいいのに――なんて思う程に。


「いや、亜紀、大海の嘘だから!」

「拓斗君と遥ちゃんが……ヤッた?」

「亜紀さん!?」


 思わず敬語になってしまった。自分の耳がおかしくなったかと思った。


(いやいやいや……幻聴でしょ。彼女の口からそんな下品な言葉が出てくるわけが――)

「拓斗君と遥ちゃんが泥のようにお互いの身体を求めあったってどういうこと!?」

「幻聴じゃなかった!? どういう解釈したらそこまでひどくなるの!? っというかいつもの暴走パターン入っちゃっている! 静ぁっ! 世紀末救世主の静は何処だ!?」

「静は比較的登校遅めだからなぁ。誰も止める人はいないわな」

「なに余裕ぶっているんだよ大海てめえのせいだろ! ああ! 亜紀落ち着いて! 違うから! 違うんだよ! そんなこと有り得ないじゃないか! 僕がそんな人間に見えるかい?」

「見える!」

「即答!?」


 ちょっとショックを受けた。

 ちょっとだけ。

 だからちょっとだけ混乱した。

 拓斗は弁解しながら亜紀に詰め寄っていく。


「僕が清い身体であることは間違いないんだから! 信じられないなら確かめてみなよ! ほら!」

「いいよ! 確かめさせて!」

「ああ、来いよ! 来いよ!」

「行くよ! 行くよ!」


「お前ら……何やっているんだよ……」


 ドン引きした大海の声で、拓斗はハッと正気に戻った。


 今の状況。

 両手を開いて胸を張って突き出す様にしている拓斗。

 その彼のズボンのベルトに手を掛けている亜紀。


「「~~~っ!!」」


 顔を真っ赤にして一気に距離を取る二人。


 本当に何をやっているのか。

 何でこうなったのか。

 誰にも分からなかった。

 それはきっと神様にも分からないだろう――


「ま、俺に感謝しろよ。神と崇めても良いぞ」



 ――ブチッ!!



 ……その後。

 大海の初めてが掃除用具入れにあったモップの柄になったことは、皆に周知される事実となった。

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