対となる存在
第35話 対となる存在 -01
◆
「ってなわけで、性欲を持て余す木藤拓斗君なのであった」
「どんなわけだよ!?」
今日の拓斗の日常は、スパン、と狭山大海の頭を数学の教科書で叩いたことから始まった。
「右手を挙げていかにも爽やかに『おはよう』って言うような感じで何を言っているんだ!?」
「まぁ、落ち着けよ。少年よ」
叩かれたことに全く動じず、大海は人差し指を立てる。
「だってさお前、ミス剣崎と同居しているんだろ?」
「ミス剣崎? ……あぁ。遥のことか。そうだよ」
「一つ屋根の下なんだろ?」
「……だからどうしたんだよ?」
「『お風呂できゃーっ』とか『覗かないでエッチ』とか『一人じゃ寂しいの……』とかあったんだろ? 99パーの確率で」
「残念ながら、残り1パーセントが正解だ」
ふぅ、と拓斗は肩を竦める。
そう。
確かに木藤拓斗は、剣崎遥と同居していた。
しかし、それは言い方が悪い。
実際に拓斗の母親の鈴音がほとんど家に滞在しているし、遥の前に拓斗は風呂に入るし、ましてや相手の部屋に勝手に入ったりなどは絶対にしない。
いい意味で不干渉なのだ。
同音異義語の方ではなく。
「お前の望むような展開にはなっていないんだな、これが。だから『拓斗氏ね』なんか、ネット上で陰口を叩かれるようなことはないんだよ」
「……『拓斗氏ね』はなくても『蒼紅死ね』はありそうだね」
どろん、と突然姿を現した浮遊霊のように、田中蒼紅は拓斗の背後に立っていた。
「うわっ! 化けて出たっ!」
「まだ死んでないよ、拓斗……でも、まぁ、時間の問題だけどね……」
うふふふふと笑う蒼紅に少し恐怖感を覚えながらも、拓斗はやれやれと溜息をつく。
「今日は『青』か。面倒だな……」
「でも、まだ『紫』と『赤』、そして『橙』よりはましだろ。幾分かは」
「『幾分か』は、ね」
拓斗と大海が口にしている色は、蒼紅の髪の色のことである。蒼紅は、毎日髪の色を変えており、その色によって性格も変わるのだった。髪の色は勝手に変化するらしいが、その情報は『赤』の時の蒼紅の口から出たものだから、嘘の可能性の方が高い。ちなみに色は、『黄』・『青』・『黒』・『橙』・『赤』・『紫』の全部で六種類。そして今日の色、つまり『青』の場合は、相当ネガティブな性格になるのである。
「うふふうふふふ……」
何故か右手に持った長ネギを廻しながら、蒼紅は笑い続ける。
「……にしても、今日はいつもより壊れていないか?」
「まぁ、いつもより16パー程度は壊れているけど、許容範囲内だ。逆刃刀で峰打ちをした程度だな」
「……それって死ぬんじゃないか?」
そうツッコミを入れつつも、拓斗は何ごともないように欠伸をする。
何気なく外を見る。
今日は晴れだった。
「……気持ちのいい朝だなぁ」
「そりゃ、朝に私にあんなことをしていればね」
「へっ?」
突然、耳元でそんな言葉が囁かれた。
「な、なななななな……っ!」
拓斗は思わず顔を真っ赤に染めてその場から立ち上がり、目を見開いてその言葉の発信源を指差す。
その人物は、深い蒼色の髪をさらさらと風に靡かせて、腰に手を当てながら心底楽しそうな頬笑みを浮かべていた。
剣崎遥。
先程の話題にも出てきた、転校してきて一週間でファンクラブが存在するとも言われている美少女である。
――見た目は。
だがその正体は、『魂鬼』と呼ばれる人を襲う怪物を退治する『スピリ』という存在であり、その可憐な容姿からは想像出来ない程の大剣を平気で振り回している。しかし『スピリ』の存在は一般には伏せられているので、このことを知っているのは、この学校では拓斗だけである。
どうして知っているのかというと、拓斗はある事件に巻き込まれた時に遥と出遭い、そしてその後、本人から聞いたからだった。
だが実は、それではまだ足らない部分がある。
一般に知れ渡っていないのなら、知った者の記憶を消すくらいのことはするだろう。しかし、それを拓斗にしないのは、れっきとした理由がある。
拓斗は事件に巻き込まれた際に身体を損傷し、その修復時に『あるモノ』を体内に埋め込まれた。拓斗は紛れもない人間であるから『修復』という時点でおかしいが、そもそも埋め込められたモノもおかしいのだ。
『盾の種』。
それは『人間が盾になる』という何ともファンタジーな代物だが、実際に拓斗の身体にそれは存在しているのだ。そして拓斗は現在その『盾の種』によって遥専用の『盾』となっている。だから、その記憶を消されないのだった。
そのように遥と拓斗は、嘘のような本当のファンタジーの世界の住人なのである。
だが、先程も述べた通り、拓斗は普段はごく普通の男子高校生であり、遥は普通よりも可憐なただの女子高生なのである。さらに遥について補足説明をすると、彼女は見た目程、いや見た目通りかもしれないが、性格はいい意味で悪い。
いい意味で。
「……本当にいい奴だよな、遥って」
「何を今更」
微笑から少量の驚きの表情へと変えながら、遥は人差し指を拓斗に向ける。
「それよりも、赤くなってから今の冷静な返事までの過程がすっぽり抜けていることを説明してもらおうかしら」
「……?」
彼女が言っていることが何のことかが瞬時に判らなかった拓斗は、少し考えてみた。
顎に手を当ててみた。
座禅を組んでみた。
逆立ちしてみた。そのついでに、思考を過去に遡ってみた。
そして、気がついた。
「僕は何もしてないけど」
「何を今更、言い訳するの?」
「言い訳じゃないよ! 僕は君に対して、朝に何もしていないじゃないか!」
「朝に!?」
青いリボンを揺らしながら入ってきた神上亜紀の持っていた鞄が、教室の冷たいタイルの上に落ちる。
「あ、神上さん、おは――」
「……ってことは」
亜紀は、顔を真っ赤にして拓斗を指差す。
「あ、朝以外ならしているのっ!?」
「いやいやいや! してないし!」
「朝昼晩ご奉仕三昧なのですね! そうなんですね!? いやそうに違いないです!」
「勝手に意味判らないことを決め付けないでくれ!」
「ほうほう」
暴走を始める亜紀の横で、クールに七五三木静(しめぎ しずか)が成程と頷く。
「これは君、ハレンチ学園だね」
「例えが古い! ってか、お願いしますから静さん! どうか神上さんを止めろ! いや止めてください! 止めてくださいでございますっ!」
「ふむ。どうやらここら辺で限界のようだね――ほい」
ふきゃ、と可愛らしい声を上げ、亜紀はその場で気を失って床に倒れる。
「む……斜め46度からチョップを入れてしまった。これは命に関わるかもしれない」
「さり気なく人を殺すな!」
「まぁ、いいじゃないか。私を憎まないでくれ」
「憎まないけど訴えるわっ!」
「へぇ、成程。これが『人を殺して罪を憎まず』って奴なんだね、拓斗」
「……あの、とても感心していらっしゃるようですけど、それ、色々と混ざっている上に間違っていますからね、遥さん」
「えっ? 嘘?」
そう声を上げて驚いた顔で拓斗を見る遥。拓斗が肩をすくめると、彼女は頬を少し赤く染め、
「う、うるさいわね! どっちでも変わらないじゃない!」
「いやいや。全然違うから」
溜息と共に、拓斗は苦笑も漏らす。
――と。
『ぴんぽんぱんぽーん。拓斗君と我が娘よ。保健室にカモーン』
台詞だけで誰だか判る放送が、全校に鳴り響く。
全校生徒の時が一瞬止まる。
「……あの、バカ母親が」
ぶるぶると拳を震わせながら、遥が放送を流した犯人を、憎しみを込めて口にした。
「校内放送を何だと思っているんだ!」
「まぁまぁ。あの人はそういう人でしょ。長い間付き合っているんだから判るだろ?」
「判るから怒っているんじゃないの! ……あぁもうっ! 行くよ!」
「はいはい」
拓斗は一つ息を吐いた。こういう風に呼び出されるのは、手段は違えど、これが初めてではなかった。普段はそこで何故か亜紀が暴走するのだが、今日は既に気絶しているのでそんなことはなく、みんなに見送られながら二人は揃って教室を出て行った。
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