別府精一(警察官)【6】

「でも終わったらまた直帰するからな。買い込んだ酒まだ半分も飲んでねえんだ」

「わかりました」

「それにいま手帳しか持ってないけど、それでいいな?」

 警察手帳のことである。これは常時身につけており、なんとか今も忘れずに持っていた――というか、着古した上着の内ポケットに入ったままだった。

「はい」

「コレもない」と言って、人差し指と親指で拳銃のかたちをつくる。当然だが、非番の日に拳銃は持ち出し禁止だ。

「使うことないでしょう」

「酒飲んでるから運転もできない」

「俺がします。大丈夫です」

「途中で寝るかも」

「道中は寝ててかまいませんよ」

「あとは……」

「あとは?」

「……いや特に何もない」

 ひととおり無駄な抵抗を終え、別府は観念した。

「じゃあ俺からひとつ」

「えっなに?」

 八房はテーブルの伝票をつまみあげた。

「ここは俺が持ちます」

「――あざっす」

 二人はスターバックスを出て、近くの電停まで歩きだした。

 ここ、つまり鹿児島中央駅から裁判所までは、市電で10分少々といったところだ。八房は裁判所の事務官に電話をかけて用件を伝え、到着後の作業がスムーズに進むよう手配している。裁判所でフダ(捜索・差押許可状)をもらったら署に寄ってパトカーを調達し、高速道路でいちき串木野市まで向かう。一時間ちょっとあれば、現場の地下室とやらとご対面しているはずだった。

 市電を待つ列のなかで別府はしかし、はたと気づいて声をあげた。

「あ、ところでカギはどうすんのカギは」

 シェルターにも使えそうな“えらい厚さの鋼製の扉”ということだったが、どうやって入るつもりなのだろう。地下室の存在は今朝がた発覚したということだった。迫本人から提供があるはずがなく、家族はそもそも地下室の存在自体知っているのかわからない。むろん蹴破るわけにもいかないし(というか蹴破れない)。

 八房の落ち着いた態度に揺らぎはなかった。

「カギ屋のノリちゃんに連絡してあります。100%とは言えないけど、たいていのものは現場で対処できるでしょう」

 八房が懇意にしているカギ屋で、鍵が手元にないガサのときはよく頼りにしている男だった。

「また準備のいいことで……」

「なに言ってるんですか」

 八房ははにかんだような笑顔で別府を見た。

「ぜんぶ別府さんが教えてくれたんじゃないですか」

 そりゃなんのことだ、と返そうとして、別府は、背中から聞こえる雑音に気づいた。だがそれは雑音というより騒音、そしてすぐに耳を聾する轟音へと変わった。重たい金属と金属がぶつかり合い、ひしゃげる音。激しい爆発のような、腹の底から揺さぶられる震動。甲高い悲鳴、震える叫び声。驚いて振りかえった視線の向こう、ついさきほど出てきた駅ビルのほうから、今しも白い煙が立ちのぼり始めたところだった。

「なんだ、なんだあ?」

「事故ですかね」

 八房が眉間に皺を寄せ、様子を見ようとすこし上体を動かした。だが二人の立つ位置からは駅前交番が邪魔で、白煙の許が隠れている。その交番から制服の警察官が数人飛びだして、事故のあった現場に急いでいた。

 市電を待つ人々が首を伸ばし、なにがあったのかとその場を離れる男女も出始める。そのうちのひとりが連れ合いのところに駆け戻り、興奮した口調でまくしたてた。いや大変大変、すごいすごい! えーなにテロ? いやすごかった、車が突っ込んでた。車? 救急車! 救急車? 救急車がビルに突っ込んでた。はあ? 事故みたい事故!

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