阿蘇由実(会社員)【5】

 父はすぐに見つかった。右手のエレベーター近くの壁に背中をもたせかけ、よれよれの農作業着のジャケットに、同じくくたくたになった帽子をかぶっている。長い親子関係はえてしてあきらめの連続を伴うものだが、街に出るときくらいきちんとした格好をしてくれと頼むのは、わりとはやめに(三十年近くまえに)あきらめたことのひとつだった。

「父さん」

「おう」

 互いに手を振り、歩み寄る。みのりが歓声をあげて祖父に飛びかかっていった。

「ごめんね、急にお願いして」

 父の萬福博吉は「よかよか」と首を振りながら、もうその顔は孫娘にめろめろなおじいちゃんのものになっていた。二歳くらいまでは、みのりはむしろ祖母のほうにべったりだったのだけれど、このところおじいちゃんブームが来ているらしい。父もいまの時期は農作業がひと段落ついているはずだと思い、洋子と会うあいだ、みのりを預かってもらえないか連絡したのだった。

「友達と会うんじゃっけ。ひさしかぶいじゃろ、ゆっくりしといで」

 別に洋子と会うのは久しぶりではなかったのだが、由実は笑顔で首を傾けて感謝を伝えた。久しぶりではないということ、彼女に何かがあったから今日話すのだということが気がかりでもあった。

「ありがとう。六時くらいには戻れると思うけど、遅くなるようならまた連絡するから。じゃあ、よろしくね」

「おう」

「みのり、おじいちゃんに無理いわないでね」

「だいじょうぶだよ!」

「父さん、ご飯まえなんだから、あんまり甘いものとか買わないでよ」

 孫かわいがりな父に預けると、すぐにたいやきやおまんじゅうなどを買い与えてしまうのだ。

「大丈夫じゃが。はよ行け行け」

 おそらく大丈夫ではなかったけれど、それ以上念を押すことはしなかった。こちらも頼む身なのだ。「じゃお願いね」と手を振って別れる。といっても、待ち合わせ場所はプラザ内の馴染みのカフェ兼雑貨屋で、歩いて十秒ほどのところにあった。

 スマホで時間を確認しながら店内に入る。約束の五分前だ。オクタホテルは店内が雑貨スペースとカフェスペースに分かれており、かわいらしい輸入雑貨を扱うため、客層も若い女性が多かった。学校帰りであろう高校生の男女がタオルやハンカチのまえで楽しそうに話している横を通りぬけ、奥の待ち合わせ場所へと向かう。こころもち首を伸ばしてカフェを眺め渡すと、いちばん窓側の席に、見慣れた友人の姿が見えた。目が合い、由実は軽く手を振った。洋子も応えるように微笑んだが、いまにも泣きだしそうなその表情に、由実の疑念はいや増した。

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