第7話:迂闊な一言が悪夢を生み出す


 倦怠期という名の愛の試練。


「いかん。完全に泥沼にはまったかもしれん」


 総司が焦りを感じはじめていた。

 それは、目に見えて信愛の不満が溜まりに溜まっていることだった。

 お互いに感じる違和感の原因が倦怠期だとは自覚している。

 それでも、簡単に仲直りできるかと言えばそうでもなく。

 何とかしようとしているのだが、どうにも空回りしてしまったり。

 すれ違うゆえの小さなトラブルが重なっていた。


「これが倦怠期の恐ろしさか。やべぇ」


 野球で焦ってエラーを連続するようなもの。

 焦りはミスを生み、負の連鎖を誘うのだ。

 総司と信愛の関係の亀裂は現在、深刻なレベルに達しかけていた。

 放課後になり、用を済ませて男子トイレで手を洗っていた。

 すると、友人から総司は声をかけられる。


「おい、片桐。水瀬さんと喧嘩でもしてるのか?」

「なんで?」

「あの子、最近、総司が冷たくなったって女子たちに愚痴ってたぞ」


 友人から警告されて総司は「マジかよ」と嘆きたくなる。

 気持ち的に信愛を嫌いになったわけでもない。

 それは彼女も分かってるはずなのだが。


「そんなことないって。ただの誤解だよ」

「だったら、水瀬さんにちゃんと話しておけよ。あの子が落ち込んでるとクラス全体の空気が悪くなる。お前だけのものじゃないんだからさぁ」


 友人には「わかった」と返事をするしかない。

 

「はぁ……何とかしたくても、できないんだっての」


 不満があるのは信愛だけではないのだ。

 総司もまた倦怠期独特のネガティブ思考に陥りかけていた。


「ここで何とかしなければ……」


 総司は心に決めて、信愛に対処しようとする。

 だが、時はすでに遅かった――。






 教室に戻りこっそりと信愛の方を覗くと、友人たちに囲まれて慰められていた。

 帰り支度をする生徒もいるが、信愛のために残る女子生徒も多い。

 彼女にはそれだけの人望があるのだ。

 クラスのアイドル的存在であり、人を笑顔にする子なのである。

 そんな彼女が暗い顔をしていると、誰しも不安になる。


「もしかしたら、総ちゃんが浮気してるかもしれない」

「えーっ。あの片桐君がぁ?」

「最近、すごく素っ気ないの。一緒に帰る時も今までなら荷物持ってくれたりしたのに、自分で持てよって押し付けるし。頭撫でてって甘えても、嫌だって知らんぷりするの。ついに一緒にお風呂まで入ってくれなくなっちゃったぁ。ぐすんっ」


 信愛にとっては総司に甘える行為は当然であり、その一つ一つを大事にしていた。

 無自覚とはいえ、傷つけたことが信愛の心に負担をかけていた。


「……やべぇ。このまま放っておいたら俺の立場がなくなるかもしれん」


 廊下から見ていた総司は冷や汗をかきはじめていた。

 クラス内では「一緒にお風呂?」と疑問の声も当然のように上がる。


「恋人同士だもん。いろいろとやってるんだよ」

「そうよね。お風呂は大事よね。わかる」

「どーして、総ちゃんが私に冷たく当たるようになったんだろ」


 女子たちは口々に適当なことを言い始めた。


「あっ、総司君と言えば、この前男子と話していたんだけど、お尻かおっぱいか、どっちが好きかって言ってたら、断然、巨乳派って言った」

「男子、最低。でも、信愛ちゃんだって需要あるサイズだし」

「……総ちゃんの好きなスタイルの良いお姉さんではシアはありません」


 うなだれる信愛は自分の体型を恥じるように、


「シアにもう少し、胸のサイズがあれば。総ちゃんを満足させられたのに」

「全然関係ないからなぁ!? そんな理由でお前を拒否なんてしとらんわ!」


 彼が教室に入ると、全生徒の視線が総司に向けられる。


―-なんだ、この雰囲気? 俺ってば、悪人か何かか?


 思わず追い詰められた立場になり、彼は動揺する。


「うわぁ、何食わぬ顔で来たよ、裏切りもの」

「信愛ちゃんを傷つけてるくせに、よく平気な顔をしてられるね。この最悪男」

「あーあ、総司君っていい人だって思ってたのに。がっかりだわ」


 失望の声が大多数を占め、総司は一気に女子全員を敵に回した。

 信愛は女子受けもよく、人気が高いのだ。


「ま、待てよ。俺が何をしたっていうんだ?」


 周囲から白い目で見られ、敵意をぶつけられる彼は戸惑いを隠せずに。


「信愛ちゃんを泣かせた罪は重いぜ、片桐」

「てめぇ、調子に乗って二股とかしてたらちょん切るぞ」

「今すぐ表に出ろや、水瀬さんが流した涙と同じ量の涙を流させてやるからよぉ?」


 相変わらずの敵意全開の男子諸君。

 男女ともに、信愛の味方となり、まったくもって彼の居場所はどこにない。


「浮気だけはしてません。神に誓ってもしてません」

「では、巨乳派であるという事実は?」

「大きなおっぱいの嫌いな男などいないわ! ……ハっ!」


 失言により女子たちの冷たい視線にさらされる。


「やっぱり、最低。信愛ちゃんにそれを求めるなんて酷だわ」

「男の子って欲望の塊だけど、ここまで露骨な変態だなんて」

「ち、違うんですよ。今の発言は、その、あのですね……」


 居心地の悪さを感じて総司は追い詰められる。


「……俺、明日から隣のクラスの子になります」


 この現実からの逃避行、つまり、ひとまず教室から逃げ出すことだった。


「あっ、逃げた!?」


 一時的な戦略的な撤退である。


「このままでは他の生徒に精神的になぶり殺しにされてしまう」


 逃げる総司は切に思うのだ。


「俺の人生、どこで間違った」


 渡り廊下までたどり着き、肩を落として、ため息をつく。

 教室内での信頼を失い、信用を損ない、居場所を消し飛ばされた。

 深い絶望と悲しみを背中に背負い、うなだれるしかない総司である。

 昨日の昨日まではクラスでも一目置かれている存在だったはずだった。

 だが、それは信愛の恋人という意味であり、彼自身の評価ではなかった。

 もはや、教室に味方はおらず。

 

「俺の居場所を奪い取りやがって。信愛めぇ」


 浮気などしていないのに、もう勝手に浮気をした扱いにされてるのも困るのだ。


「……浮気とか考えたこともないのにな」


 総司は信愛以外の女子を好きになったことはない。

 もちろん、エッチな本やDVDの類での趣味としての興味を抱く女性はいても、それとこれとは違うものだ。


「なんでこうもすれ違うんだよ」


 歯車のかみ合わない、空回りする想い。

 

「俺だけの問題か、これ。信愛も悪いだろう」


 愚痴っぽくなるが、この騒動、彼だけに非があるとは思えないのだ。


「不安になるのは分かるが、過剰気味だろうに。いつ、変な態度をして見せた」


 恋人として、誠意ある対応と態度を示してきたつもりだった。

 他の女子にうつつを抜かしたことも、ないわけではないが、本気ではない。


「アイツも俺をもっと信じやがれ」


 そんなにも自分を信じてもらえないのかという、焦りと不安。

 総司にとっても、それが何よりも辛いものだった。

 何となしに母の言葉を思い出す。


「言葉にしないと伝わらないこともある、か」


 この数年間、幼馴染から恋人に変わった二人の距離は大きく変わった。

 それまでも自然に触れ合うことは多かったが、親密な関係になってからの方がもちろん、傍にいる時間も増えたのだ。

 知らなかった信愛の一面を知ることもある。

 お互いに距離を詰めあう事で発見する魅力もある。

 付き合ってよかったと思えるほどに、総司は更に信愛に惹かれていた。

 だが、それと同時に不満点も増えていた。

 例えば、信愛は独占欲が強く、嫉妬もしやすい。

 それに何よりも、人に甘えたくて仕方がない子なのだ。

 それは、彼女の家庭環境が大いに関係しているともいえる。

 総司のように家族や親族が当たり前のようにいるのとは違う。

 信愛には家族が母の那智だけしかいない。

 辛い時に頼れるのは那智と大好きな総司だけ。

 それゆえに、ふたりに甘えるのは当然の権利だとばかりに容赦がない。

 甘えさせてくれる存在に対する依存度。

 それが壊れそうになると、信愛は絶望的なほどに不安になってしまうのである。

 今回の騒動の一因も信愛自身の根の深い”不安”が原因ともいえる。


「はぁ、浮気かぁ……信じてもらえないなら、ホントにするぞ」


 何となしに口にした、その言葉。


「まったく、ちょっと距離でも置いた方がいいのかねぇ」


 どちらの言葉も、もちろん、本気ではなかった。

 だが、言葉だけをとらえると、それは言い訳もできないひどい言葉である。


「……本気なの? 総ちゃんはシアのことを捨てるの?」


 後ろを振り返ると、いつのまにか信愛の姿がそこにあったのだ。


「し、信愛? いつからそこに?」


 彼女は逃げさった総司を追いかけてきた。

 なんともタイミング悪く、本意ではない独り言を聞かれてしまったのだ。


「総ちゃん。今の言葉って……どういう意味?」


 顔を青ざめさせて、唇を震えさせる。


「シアのこと、捨てる気なの? 答えてよ、総ちゃんっ」


 涙を瞳にいっぱいため込みながら、信愛は叫ぶことしかできなかった。

 愛する思いはすれ違い、誤解を生んで、“争い”を生んでしうまうのだ。

 

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