第15話 百一番目の男

〈なんちゅう、おっそろしいヤツや。俺らが脅(おどし)をかけたら、百人が百人中、みんな逃げよるのに。逃げるどころか、こっちの人脈、ズタズタにしやがって。あいつはヤクザよりえげつないヤツや〉

 七月十五日、海野に渡された資料の一ページ目に、引用符を付けて右の文章が枠囲いで記されていた。よほど爽快感を味わったのか、ユーモアのセンス溢れる海野らしく、嶋田とその子分達の驚いた〈ムンク風叫び〉の似顔絵入り風刺画まで添えられてあった。

「いやぁ、最近分かったことですが、堺市の区画整理が裁判にかかってましてね。その中で嶋田と彼の仲間の名前が挙がってるんです。やっこさんら与太公連中を追い詰めている人物が、原告の南野純夫という人なんですよ。これ読んでもらうと、どんな内容か分かっていただけると思います。草野さんは大学時代に行政法を専攻していて、大学へ戻るための論文を書いているから、この事件は結構興味を持つだろうって、後藤田の兄が言ってました。色々お聞きしたいこともあるんですが、今日は日曜日なのに動員がかかってまして、残念なんですが、これで失礼します」

 北朝鮮の揺さぶりともいえる米朝首脳会談発表で、わが国への潜入スパイの動きが活発化しているのか、海野には珍しく、裁判記録と資料を手渡すとそそくさと青葉塾のドアを閉めて階下へ下りて行った。

 ―――百一番目の男か‥‥‥。

 資料を手に取り、直樹は苦笑いを浮かべた。百人が百人中、すべて尻尾を巻いて逃げるところ、この南野純夫という人物は与太公連中に攻めるだけ攻めさせ逆襲に転じたのだから、嶋田らの言葉を借りれば、百人を越えた〈百一番目の男〉ということになるのだろう。これまでの嶋田関係の資料から、彼の傍若無人ともいえる遣りたい放題に呆れると共に、それを許して来た堺市という地方公共団体に失望したのも事実だった。が、ここに来てようやく溜飲が下がる資料にお目にかかれたのだ。

 南野純夫が原告の裁判は、堺市中区にある土地区画整理組合が被告の行政訴訟だった。区画整理に際し、地権者の土地が道路・公園用地や事業費捻出等のため減らされるが、その減らされる率を減歩率(げんぶりつ)といい、それが高すぎるといって南野は裁判をかけていた。その提訴を妨害していたのが他ならぬ嶋田一派で、公共事業で甘い汁を吸ってきた者たちがデパートの陳列台さながら顔や尻尾を出していた。

 ―――確かに高すぎるな‥‥‥。

 南野の減歩率が四十二%だった。幅五十メートルの幹線道路・泉北一号線が走り、泉北高速鉄道深井駅にほど近い地区の減歩率としては、全国的に見ても際立って高かった。都銀の高槻支店に勤めていたとき、多くの区画整理を見聞きしたが、その経験からいえば、この地区の平均減歩率はせいぜい十五%台であろう。しかも南野の土地は公道に面していたから、その減歩率は高くて十%がいいところだ。いずれにしても大半が農地で、撤去物等のほとんどない地区の区画整理としては、驚くほど高い減歩率が各地権者に課されていて、そこに原告の南野純夫は不正の匂いを嗅いだのだった。

 ―――えっ! 何と!?‥‥‥。

 海野が添付した、組合提出準備書面の中の乙第五十五号証。被告の区画整理組合提出証拠なので乙が頭に付けられているが、その提出証拠に、直樹は愕然としてしまった。三件の増換地(ましかんち)を認める証拠書面であったのだ。

 増換地というのは平たくいえば、地権者の土地が増えることである。例えば二百㎡の土地を有していた者に、換地として三百㎡の土地を与える場合がそれである。土地区画整理法九十一条も一定の厳格な要件の下に増換地を認めている。ほぼ全員が減らされるところ、一部の者の土地が増えるのは余りに不公平で、厳格な要件は当然であった。いずれにしても増換地そのものは驚きに値しない。直樹が愕然としたのは、深井地区の区画整理は組合施行であり、大阪府等の公共団体や国土交通大臣といった、公的なものが施行する区画整理ではないという点である。すなわち組合施行の場合は、増換地は許されないのであった。これは組合幹部による乱用防止が一つの理由であるが、あに図らんや、この地区では組合幹部に増換地がなされていた。

 高槻の区画整理でも、眉をひそめたくなる事例がいくつかあったが、深井地区はまさに不正のデパートとでもいう状況で、何とも呆れてしまうのだ。

 ―――耐震強度偽装に匹敵する、測量偽装に基づく増換地までも!

 世間を騒がせた耐震強度偽装は、居住者の生命に直結する危機であり、大きな社会問題となった。偽装の主役の元一級建築士関係で自殺者まで出たが、法的な意味合いでは、一部の者の土地を実測したことにしてその者の土地を増やすという、この測量偽装に基づく増換地はそれ以上の重大問題であった。土地区画整理法の根幹を揺るがす、信じがたい違法事態であるのだ。海野の資料は読み進むに従い、嶋田を含むグループの実体があぶり出されてくるのだった。

 膨大な資料には、国会議員の不正まで細かに記載されているが、糊付けの、今回提供資料の最後を飾る貼付ファイルは実に興味深いものだった。まず第一は、前回の資料に疑問点として記述されていた点で、例の、嶋田に対する堺市の表彰拒絶の理由であった。堺市が嶋田の表彰を拒んだのは、やはり南野純夫の裁判が影響していた。

 よほど金が欲しかったのか、それとも溜め池埋め立てパターンが脳に固着しているからか。嶋田は南野に執拗な脅し嫌がらせをかけているさなか、無権限で溜め池を埋め立て、勝手にその売却話を進めていたのだ。大学で憲法と行政法を教える

〈百一番目の男〉南野がこの暴挙を見逃すわけがなく、詳細な調査結果と共に、嶋田を弁護する堺市の管財課の幹部・神田主査の嘘の証言まで録音していた。

 嶋田とS資金の関連を追う直樹だったが、いつの間にか専門領域の行政法の分野に引き込まれ、昼食も忘れて海野の資料を読み耽ったのだった。以下は、堺市が嶋田の呪縛を逃れるというか、嶋田から距離を置かざるを得なくなった〈ウマ池不正埋立て事件〉の概要で、海野の風刺導入部が面白かった。

 痛快なるかな〈ウマ池不正埋立て事件〉!

一、阪南病院北西のウマ池が、堺にあだなす与太公嶋田に埋められた。

二、湿地のどろどろウマ池は、ケミコン入れなば堺は埋め立て認めない。ところが嶋田は別格だ。清和の産廃残土ガラで事足りた。♪はは無責任だねー♪。

 清和というのは嶋田がオーナーの産廃会社、との注書きが、これまた几帳面に矢印で説明されてあった。海野のアイロニーは此れ位にして事件の概要に移ると、湿地状のウマ池がまず手続き無視で嶋田により埋め立てられてしまった。

 細かい話になるが、堺市の指導要綱では、溜め池の埋め立てには詳細な規定が置かれている。まず雨水の排水や埋め立て物質等の条件を決める調整会議。これを経て、この条件が守られていることを監視・確認してから、最終的に売却を認めるという手筈になっているのだ。事前の調整会議がなかったことが、海野の資料より明らかだが、神田主査が、

「ウマ池の埋め立てに関しては、手続き上まったく問題はありません」

 と、電話での南野の問いに答えたが、

「神田さん、六月三十日にあなたが呼び出されたときは、ウマ池は既に埋め立てられてあったんでしょう。驚いたあなたの、『えっ! もう埋め立てられてあるんですか!?』との抗議に、『なんや、許可やな、いるんけ!』との、嶋田の脅しにあなたが引き下がったんでしょう。これは出席していた町会長や副会長の証言を得ていますよ」

 南野に追及され、

「はい、その通りです」

 事実を素直に認め、

「それじゃ、先ほど言ったことは、みな嘘ですね」

「はい、嘘です」

 と答えていることが、資料中に赤く丸囲いがなされてあった。

〈嶋田に関わっていると、とんでもないことになる〉

 百一番目の男・南野出現の結果、堺市はこのような認識を持つようになったのではないか。南野に鉄砲玉も放てず、彼の追及にたじたじの嶋田は、もはや恐れる必要はないのではないか。これが、堺市の嶋田に対する変節理由で、嶋田への表彰拒否の根本原因。海野の結論だった。

 ―――南野の教え子である若い職員達が、現状を憂い出しているのは救いだな。

 S資金と嶋田の関係。この本題から離れるが、自分の専門領域の問題に触れて、直樹は久々に学問的充実を味わうと共に、南野純夫という人物に妙に人間的興味が湧いてくるのだった。

 さて、海野の疑問符付きの問題提起の二つ目、〈堺市元市議会議長・平田多加春の死亡事件への嶋田の関与は?〉については、以下の詳細な事実が新たな資料としてまとめられてあった。

 まず元市議会議長・平田多加春の死は、準大手ゼネコン戸田建設の裏金問題に絡んでのものだった。準大手と言っても、大型医療施設や民間病院の建設には戸田建設はめっぽう強く、この分野では大手ゼネコンをしのぐといわれるほどの受注実績を誇っている。また、革新政党共産党と戸田建設との関係は深く、共産党の本部ビル建設は戸田建設が請け負っていた。

 今回、マスコミを賑わした戸田建設の裏金事件というのは、戸田建設の八千万円の所得隠しが発覚し、その内の五千五百万円が耳原総合病院建設工事の裏金に使用されたというものである。警察の捜査が入り、三度目の出頭が予定されていた日に平田元市議会議長が死亡したというもので、死因は心臓麻痺ということになっている。

 海野のメモ書きには、死因は自殺か他殺の可能性大、との注がついていた。理由は、①三度目の出頭時に、加重収賄罪での逮捕状が執行される予定であったこと。②死ぬ前日、小・中・高校の先輩宅を訪れ、「先輩、あした、これですねん」と、手錠を掛けられる仕草をして、先輩や友人たちに逮捕の覚悟を伝えていること。③「体は丈夫でして、私らは自殺やと考えてます」と、最後に会いに来た人たちの共通認識であること。④堺市の市有地五七四九平方メートルを約五億五千万円で耳原病院が随意契約で取得したが、市長山竹修身(おさみ)も関与していた可能性大であり、一大疑獄事件に発展するところ、平田の死で幕が引かれてしまった。以上の事実が、海野により分かり易く几帳面にまとめられてあった。

〈もし他殺だとしたら、元市議会議長の死で、最も利益を得る者が関与したと認められるべきだったのだが、どうもこの推論は、無理があるようだな〉

 海野の資料を前に、直樹は頭に浮かんだことを反すうしながら、余白に書き込みを入れていく。もし自殺なら、詰め腹を切らされたことになり、共犯的な地位にあった連中は取り敢えずは安心したであろうが、果たしてこれで終わるのか。これで終わったのでは、あまりにもお粗末すぎるのだ。

 ところで、海野から渡された資料には、最後に付箋がついていた。確証はないらしく疑問符がついていたが、直樹に田池という人物の素性を思い出させるものだった。

〈共産党は武闘革命路線は捨てたが、捨てていない分派が未だ存在しており、その暗殺部隊のリーダーは田池という人物か?〉

 この疑問符付きの補注は、豹一郎との会話に出てきたJ・レマルクの存在を直樹の脳裏に鮮明に描き出したのだった。

           

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