第12話 欲エロ権化の錬金術

 直樹が初めて海野征大の訪問を受けたのは、六月十三日の日曜日のことだった。月の第二日曜はツーリングクラブ・ハリマオの仲間とのツーリング予定が入っているが、メンバーの都合で今月は二十日に繰り下がっていた。

「草野先生ですか。私、海野征大と申しますが。‥‥‥あのぅ、後藤田の兄から頼まれた資料をお届けしたいんですが」

 緊張気味の声で、午前十時過ぎに直樹のスマホへ連絡を入れてきた。

「今日は朝から、富田林の塾の方へ来ているので、そこでお会いできれば助かるんですが」

 野々口教授とS資金関係の調査は富田林ですることに決めていて、資料の大半は塾の金庫に保管してあった。早川が遼に喋ってしまったことなど直樹には知る由がなく、家族への危害を避けるため、自分一人の胸に仕舞って調べを続けていた。

「いま階下の、高木モータープールに着いたんですが、これから御邪魔してよろしいですか?」

 海野も後藤田と同じく几帳面な男らしく、一時五分前に階下のモータープールから再度連絡を入れてきた。

「失礼します」

 螺旋階段を上がった最初の部屋が道場兼用の数英塾で、〈青葉進学塾〉と墨書された木製看板のかかったドアが開いた。直樹より十歳ほど下であろうか、三十半ばの日焼け顔にスポーツ刈り。中背の精悍そのもの、そんな容姿のなかで、ふさふさと濃い顎髯と大きな瞳が愛嬌を漂わせていた。

「へぇー! 広いんですね。でもどっちかというと、空手道場がメインで、塾はセカンダリーですね」

 道場が、四十畳余りの大半を占めているのだ。海野ならずとも判断は容易で、道場と塾の構成比率は一目瞭然だった。

「先生、実はこれなんです」

 六脚並んだ会議テーブルの最前列上に、海野は早速、黒いビニールバッグから取り出したA4大の資料の束を並べ始める。

「いや、先生はどうも」

 直樹が苦笑いを浮かべ、呼称の変更を要求する。二人の関係に、先生はそぐわなかった。

「あ、どうも済みません。それじゃどうしようかな。後藤田の兄のように、草野、なんて呼べないし。‥‥‥取り敢えず、草野さんと呼ばしてもらいます」

 海野は頭をかきかき屈託がなかった。

「それじゃ私は―――」

「後藤田の兄のように、『征』とか『征ちゃん』はどうでしょう。言いにくかったら、『征君』か『海野君』で結構です」

「それじゃ、お言葉に甘えて、『征君』か『海野君』と呼ばしてもらおうかな」

 直樹も笑顔を返した。親友・後藤田の兄嫁の弟なのだ。わずかな会話で気心が通じてしまった。

「ともかく無茶苦茶な男ですな、嶋田宏信というヤツは―――」

 堺市南部の八田地区。その八田の七不思議と地区の人に呼ばれる成金与太公。彼につき、後藤田のファクスとは比較にならない膨大な資料が海野によってもたらされた。

「それじゃ、征君。申し訳ないんだけど、一時間でいいから、私にこの資料を読む時間を与えてくれないか。口頭での話を聞く前に、一度書面に目を通しておきたいんだ。その間、申し訳ないが階下の喫茶〈ピッコロ〉で時間を潰してくれないか」

 銀行勤めをしていたときからの癖で、白紙の状態で書面に接したい。初対面の相手に言えることではないが、海野には自然と口から漏れてしまった。それほど直樹に好意的で、親しみと敬意あふれる海野の仕草だった。

 ―――なるほど、〈欲エロ権化〉と表示されるだけのことはあるな。

 海野が名付けたのか、それとも地区の人たちがそう呼んでいるのか。最初の頁に、〈欲エロ権化の資料〉とのタイトルが付けられてあり、七十半ばの男の、ありとあらゆる悪巧(わるだくみ)が記されてあった。〈欲エロ権化〉とは、欲とエロのかたまり人間、との趣旨であろうが、嶋田にはこれ以上的確な表現は思いつかなかった。

 ―――しかし、堺市は、こんな男のいうがままなのか。

 妻と娘たち以外に、堺の隣市に息子と娘とその母親。京都にも娘とその母親がいて、本妻一家を含めると合計三家族を養わねばならないのだ。おまけにまだ数人、愛人と目される者たちがいて、それら全員を養うための月々の生活費が膨大なものに上り、これを賄うためにありとあらゆる悪事に手を染めていたが、やり方が汚かった。

 ―――十年前には町内の娘に手を付け、胎児を堕ろさせているのか。

 女性の敵のような男だが、金回りがよいので人が寄ってくるのだ。その金が公金横領や詐欺という、犯罪まがいで入手したのは、身近な連中は薄々気づいていようが、一般の人々には知られないよう巧妙に仕組んで事を運んでいた。海野は姉の夫殺害犯・谷山柾一の居所を突き止めるため、必至にこれだけの資料を収集したのであろうが、新聞社でも収集困難な中身だった。

 ―――子供を堕ろさせられた女性は、土地を貰い、家を建てているのか。

 海野の書き込み通り〈一体その土地や金はどこから?〉は誰しも思うところで、これまでの嶋田のやり口であれば、町の財産を横領し与えた可能性は捨て切れないのだ。

 以上が女性関係の嶋田の資料で、欲エロ権化の〈エロ〉に対応するものだった。以下は、〈欲〉に対応する嶋田の資料である。

〈錬金術の最たるもの〉

 見出しの後に箇条書きで、嶋田宏信の悪徳錬金術が、海野によって記されていた。

一、地区財産である溜め池を売却し、それを各町に分配してから抜き取る。

 この一例として挙げられているのが、原池という二万二千坪にも及ぶ池の売却代金であった。堺市に三十六億七千六百万円余りの高価で買い取らせ、売却代金は八田北町、八田寺町、毛穴町等、九つの町に配分されると共に、嶋田の息のかかった町の資産は、あっという間に消えていた。

「道造ったるぞ」

 嶋田の一声で、アスファルトでなく、彼の会社の生コン注入粗悪道路が完成するのだ。嶋田の従弟が町会長をする八田南町の会計帳簿。原池売却直後のそれが資料の間に挟まっていて、〈支出の部〉で特筆すべきは、①道路拡幅公園整備事業→三億三千四百万円。②道路拡幅公園整備事業→三千万円。③道路拡幅事業→五千万円。このように単年度だけで、小さな八田南町の道路関係支出が四億一千四百万円にも上っているのだ。原池の売却代金が分配された、九町の道路関係支出は推して知るべしだった。

 八田南町の〈支出の部〉記載はこれだけで終わらなかった。④原池→二百万、と記された表示の後に海野の覚え書きがあり、この金額は九町が三百万円ずつ、計二千七百万円を嶋田に与えた金額の一部であるという。堺市の担当職員を脅し追い詰め、高価で買い取らせたことの謝礼として、九町が支払っていた。余りの執拗な脅しに、担当職員はノイローゼになったとの噂まで記されていた。

 各町の反対派住民に対する脅しは、ヤクザの名を挙げる本格的なもので、一部住民は西堺警察署へ相談に行くが、相手にされず。との記載があったが、その上に海野が赤鉛筆でバツを入れてあった。バツの意味は不明で、記載事実が確認されなかったのか、それとも賄賂攻勢得意の嶋田の鼻薬、これをかいだ者への警官としての許し難い不快表示なのか。この点は海野に確かめる外なかった。

 溜め池売却代金抜き取り手法。嶋田の錬金術の単なる一部で、しかも九町の中の八田南町という町の、僅かある一年度の会計帳簿の〈支出の部〉で、まだ一つ特筆されねばならぬことがあった。⑤原池会館竣工→三百万円との記載だった。覚え書きによれば、嶋田の住む八田北町に造られた会館で、他の町は使うことは考えられないのに(九町は原池売却代金で、各々会館を建ててあった)、九町で利用できるとの名目で各町が一千六百万円ずつ出さされていた。この一千六百万円の一部が三百万円なのだ。結局、九町分を合わせると、一億四千四百万円出した計算だが、〈本当に、これが一億四千四百万円もする建物か!〉との海野の記載が正しければ、町に金が入れば、すべて惜しみなく抜き尽くす〈欲エロ権化〉の本性を言い当てていた。

 以上が欲エロ権化の悪徳錬金術〈その一〉の、極々わずかな一部の記載で、〈その二〉として記載されているのが、口利きによる工事代金中抜きだった。多くの例が記載されているが、原池関係ではゴルフの打ちっぱなし施設の解体が興味深かった。工事を三千万円で業者に請け負わせ、一千万円が嶋田に抜かれていた。嶋田がからむ堺市の公共事業での利益率算定マル秘資料との、海野の推測は正鵠を射ていて、約三割三分の利益が嶋田に転がり込んでいた。

 悪徳錬金術は〈その三〉から〈その十一〉まで続く、膨大な資料が控えていたが、直樹は読み飛ばしてため息を吐いた。一番知りたい、嶋田とS資金の関係が見えないのだ。残念なことにこの資料からは、嶋田が一兆円近い財宝を入手したことを窺わせる具体的記載はなく、推測させる事実もなかった。金の出処の大半が地区財産たる溜め池の売却代金だった。それを横領まがいの手法で手に入れたもので、財宝の影はおぼろにも現れていなかった。

 ―――谷山が金塊を取得し、嶋田はおこぼれにあずかってもいないのか。

 それとも当初推測した通り、嶋田が手に入れたのは財宝の極々一部にすぎなかったのであろうか。

 現在の時価にして、五兆円近い貴金属が五つに分けて地中に埋められた事実が野々口教授によって突き止められているが、嶋田と財宝の関係は見直してみる必要が出てきた。直樹の正直な感想だった。後藤田の了解を得て、海野にS資金のことを話し、詳しい情報を彼と共有する必要があった。

 備忘録用ノートに、直樹はこの点と、あと二点書き込んで海野との話し合いに備えた。後の二点は、海野の覚え書きがもたらしたもので、資料欄外に疑問符付きの記載があった。

〈嶋田宏信の、堺市からの表彰が土壇場で流れたのは何故か?〉と〈堺市元市議会議長・平田多加春の死亡事件への嶋田の関与は? 死因は、①自殺②他殺③病死のいずれであるのか?〉の記載であった。

 住民をうまく手なずけ、八割をはるかに超す推薦が集まったのに、何故か堺市の表彰を受けられなかった点と、共産党の牙城と呼ばれる耳原病院、この病院の建設疑惑の渦中で死亡した元市議会議長との関係に、海野は疑問を呈しているのだ。

 ―――はて、あれほど嶋田に弱腰だった堺市なのに‥‥‥。

 直樹の当然の疑問で、海野も同じ疑念を抱いたが、この点は後日、彼から興味深い解答がもたらされるのだった。堺市が嶋田に徐々にではあるが強気になる理由は、彼が虎の尾を踏んだことにあったのだ。海野により詳細な事実が明るみに出されるが、ひとり堺市のみならず、全国の公共事業に震撼を与えるとてつもない事件が、司法の判断の場に上がっていたのだった。

 


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