第4話 野々口豹一郎

 野々口豹一郎のメモ書きを見て、草野直樹は彼の失踪原因を理解するとともに、著名教授の不可解な行動のなぞが氷解したのだった。

 ―――なぜ、俺に話してくれなかったのか。

 医学部名誉教授と法学部の学生。豹一郎と直樹は学問領域では無縁といってよかったが、体育会系の部活が二人の強固な紐帯(ちゅうたい)であった。空手部と拳法部に身を置き、三回生のときに空手の全国大会で優勝。そんな直樹に最初に声をかけたのは、当時名誉教授になって間もない豹一郎だった。

「右の正拳突きと前蹴りにかなりの自信を持っているようだが、それが過信につながって、突き・蹴りの直前、一瞬だが左体側部の防御が甘くなってしまう。これじゃ、私にだって簡単に君を倒せるよ」

 直樹が空手部の後輩たちに型を披露していたとき、東洋古武術研究会顧問の豹一郎が近寄ってきた。直樹の態度が鼻持ちならなかったのか、彼に高い能力を見い出してのアドバイスであったのか。いずれにしても驕り高ぶり天狗になっていた直樹は、

「ほう! そりゃ凄い。一度倒していただきましょうか」

 豹一郎の提言を鼻で笑って、後輩たちを見回し小馬鹿な仕草を浮かべ肩をすぼめた。白胴着に黒袴、格好つけやがって。やせて小柄な老いぼれが、身の程知らずのたわ言を、と傲慢さが顔に書いてあった。

「それじゃ、ご要望に応えて相手をさせていただくか」

 東洋古武術研究会の部員たちも豹一郎に促され、空手部部員と車座を作った。武道場を共有する柔道部と剣道部の部員たちまで遠巻きにする中、直樹は大恥をかいてしまった。

「突いてきなさい」

 豹一郎の合図で試合が始まったが、直樹の突きも蹴りも空を切るのみで、小柄な老人を捕え切れなかった。完全に間合いを見切られていて、射程の外にふわりと弧を描いて消えていくのだ。

「トリャ―!」

 五度目の渾身の突きに続け、

「ソレッ!」

 瞬時の右前蹴りを放ったが、道着の袖をわずかにかすっただけで、直樹にはなすすべがなかった。最後の蹴りを外されたとき、豹一郎の移動する弧の中心角がほぼ六十度とのおぼろ気な判断には至ったが、それだけのことで、直樹には豹一郎を捕えようがなかった。老齢なのに手と足の動きが絶妙で、舞うように攻撃を見切っていくのだ。

「いくよ」

 強烈な右前蹴りを事も無げに逸らすと、豹一郎は語りかけるような穏やかな気合いとともにふわりと右回転して、直樹の後頭部に右飛び後ろ回し蹴りを放った。スローモーションのような動きに見えて、容易に逃れられそうで逃れられず、直樹は体を沈め体さばきで外すこともできなかった。後頭部にコツン! と小さな痛みを感じ、ゆっくりと倒れ軽い脳震盪を起こしてしまった。

「参りました!」

 驚嘆すべき実力差であった。剛のエネルギーが虚空に吸い込まれて行く、無の感覚。直樹がこれまで対峙したこともない相手だった。急所への攻撃も見事で、最少の打撃で相手を倒し去る、正に東洋古武術の省エネ極意といえるものだった。二十一歳の直樹は感動すら覚えてしまい、後輩たちの前であったが恥も外聞も消し飛んでしまった。豹一郎に両手をついて恭順の意を表し、ひょうひょうとした老人を生涯の師と仰いだのだった。

「ドイツの敗戦が濃厚になったとき、Uボートの船倉に隠れ、スペインのラコルニャ沖で艦長の好意で海上に浮上した折、一人海に脱出して陸へ上がったんだが、それからが大変でね。ジブラルタル(海峡)を渡り、地中海沿岸からカイロへ出るルートしか選択の余地がないというか、それしか残されていなかったんだ。しかも大半がイギリス領で、港という港はイギリス軍が固めていて、それはもう命がけ、というより、助かったのが不思議なくらいだよ。英語のおかげだろうね、敵国の言語をマスターしていたのが幸いしたんだ。かなり足止めを食ったけど、中国人を装ってイギリス人に助けられたことが再々だったよ。ドイツの敗戦から警備が相当緩んで、中国人の苦力(くーりー)に化けて陸路でバグダッド、それから海路でパキスタンのカラチへ出たんだ。半年にも及ぶ長旅だったが、強靱な体に生んでくれた両親に感謝したよ。朝四時に起きて、堺から十三(じゅうそう)の北野高校へ毎日、歩いて通ったのも足腰の鍛練に役立ったな。私が派遣された最大の理由が、父から古武術の手解きを受けて師範免許を持っていたのと、体力測定でトップだったこと。これに尽きると、選考教官に教えられたよ」

 東洋古武術の教えを受ける以上に、豹一郎の戦時体験が直樹には興味深く、師の人となりに触れられるものだった。学生時代、下宿のある豊中市の石橋から、何度、大阪市中之島の医学部へ通ったか知れなかった。

「散々苦労して日本へたどり着いたら、今度は母国が無条件降伏。価値観が一八〇度変わってしまった、というか、もう何がなんだか分からなくなって自暴自棄になってしまったんだ。戦後の十年余りが、我が人生の最大の汚点だな」

 研究室で酒を酌み交わしながら、豹一郎が自嘲気味に語ったときのことが印象に残っているが、極左団体〈J・レマルク〉への加入とその系列病院勤務を指していたのだろう。人民主権国家建設のため、武闘路線を選択した団体とその系列病院での研究内容。自己の信条と政治思想との乖離とジレンマ。師の口から直接告げられることのなかった事実が、隠されていたメモにより克明に語られていたのだ。

「以前〈J・レマルク〉について話したことがあったと思うが、私が所属していた当時から過激武闘路線を突き進む一派があってね。一時、彼らに共鳴したこともあったが、結局間違いに気づいた、というか、ますます先鋭化する極左思想に付いて行けなくなったんだ。‥‥‥大学へ戻ろう、学問の府でゆっくり考えてみよう。君に大学へ戻るよう勧めているのとは随分違う動機だが、僕の場合は学問と東洋古武術研究への渇望、これが大学へ戻りたかった最大の動機で、今の地位をもたらしてくれたと言っていいんだろうね。あの集団に残っていれば、連合赤軍事件やあさま山荘事件、いやそれ以上に、国家転覆をはかったオウムの地下鉄サリン事件にまで危うく手を貸すという、悔やんでも悔やみ切れない事態を招いていただろうね。しかもとんでもない武器を与えていたかも知れなかったな‥‥‥、いや、これは忘れてもらいたい。微かで曖昧な情報を伝えただけで、君の身に危険が迫るんだから」

 七年前、銀行勤務を辞めるか悩んで、吹田に移転した豹一郎の研究室を訪れたときの会話だった。あのとき、〈武器〉とはクローン研究の生物兵器への転用だと早合点したが、いま思えばS資金のことだったのだ。微かで曖昧な情報というのは、財宝埋蔵場所の手がかりだろう。それを親しい誰かに伝えた、それによって闇の組織が動き出した。恐らくこのような筋書きであろう。七年前の、あれから間もなくだった、豹一郎が出奔して連絡がつかなくなったのは。

 ―――なんとか俺の手で、S資金のありかを探してみるか。

 S資金のために生活の平穏が害され、野々口教授は家族とも離れなければならない事態に追いやられているのだ。直樹がS資金の存在を明るみに出し、この問題にケリをつければ教授は最愛の孫と穏やかに暮らせるのだ。

 ―――遼と同い歳だといって、嬉しそうに目を細めていたな。

 利発な男の子で、大人しすぎて少し物足りないが、と教授独特の謙遜をしてから、

「武術の飲み込みは早くてね、幼少時よりあらかたの技を教え込んであるんだ。君も息子に八歳までは古武術を教えたんだったら、いつかそれに回帰するよ。サッカーとはまったく違う魅力があるからね。そういえば、容姿は君にそっくりなんだってね。君と同期の山岡君が先日、大阪へ出張してきたとき、ここへ寄ってくれてね。しきりと羨ましがっていたよ、彼のところは娘さんばっかりだからね。さて、君と僕のどちらが名伯楽か、いつか分かる日が来るといいね。お互い千里の馬を手に入れたようだから。あ、そうそう。ウチの孫は、こちらのほうも結構いいんだ」

 知的能力も相当なものらしく、豹一郎は自分の頭を指して相好を崩したのだった。

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