第54話 きっとヨモギ味



「息を吐き出しながら全身の力を抜いていくの。体が溶けてっちゃうイメージ」


 紫乃先輩の言葉に、俺は目を閉じて頭の中から思春期を(おっぱいへの情熱を)追い払い、息を吐き出しながら意識して全身の力を抜いた。


 そもそも俺はサッカー部の元エースだ。おっぱいさえなければこれぐらいお手の物である。おっぱいさえなければ。


「うん、良い感じ」

 その言葉と共に、不意に、残念な事に、悲劇的に、俺の肩から紫乃先輩の手が離れた。同時に目を開けば、卑猥に膨らんだ白シャツが視界に飛び込んできて、全身にグッと力が入る。


「どうかな? 少しは頭痛良くなった?」

 紫乃先輩は硬くなってしまった(肩の事だけど)俺に気づかず、両手を組んで微笑みを浮かべた。


「は、はい、ありがとうございます。完璧に治りました。完全に癒されました」

 そう答えて、そういえば頭痛だったんだと改めて思い出す。そして思い出せば、微かな痛みを認識出来た。そんな都合の良い頭痛を余所に、紫乃先輩は俺の言葉にプッと軽く吹き出した。


「治るの早すぎるよシュウヤ君っ。嘘でも嬉しいけどね。ありがとっ。でもまだ終わりじゃないよ。紫乃の魔法はこれから」


 その言葉に、俺の心は歓喜で満ちあふれた。これ以上に、何が起こるというのだろう。ああ、ヤバい。期待だけが雲を突き抜けて空を飛んでいる。


 俺は今、いったいどんな顔をしているんだろう。いったいどんな表情を浮かべればいいのだろう。何も、分からないんだ。アヘヘヘヘ。なんていう思春期特有の誇大妄想に緩みそうになる口元を必死に縛り付け、平静を装った。 


「ヨモギ茶は地球の魔法なの。今度は紫乃の、おばあちゃん直伝の癒しの魔法だよ。これで癒し効果は二倍になるんだから」


 可愛げな笑みを浮かべた紫乃先輩はそういって中腰になり、今まで以上に上体を傾けてきた。


 不意に、目の前に開かれた首筋が迫る。第三ボタンまで外された白シャツの襟元が存分に垂れ下がり、大きく実る柔らかそうな果実の存在を見せつける。緑色の宝石がキラリと光った。俺の目線はすぐさまに泳ぎ疲れ、卑猥の渦に溺れていく。


 ああ、触りたい。歯を食いしばる。ああ、見続けていたい。心臓が痛いほどに跳ねた。指先だけでも挟んでみたい。荒れる呼吸を喉奥で押し止める。


「飲みながらでいいから、まずは目を瞑って、シュウヤ君」


 その言葉と共に、紫乃先輩の両手が俺の顔に伸びてきた。酷く乾いた口内に残る絞りカスの様な唾液を飲み込む。


 視界には、神が創造したもう深い深い胸の谷間がくっきりと映り込む。丸く張り膨らんだ白い肌が、緑の色の宝石と共に陽の光を反射させた。もう少しでブラジャーが見れるかもしれない。いや、ブラジャーを見たい。そして俺はヨモギ茶を口に含んだ。


「目ぇ瞑ってってばっ」


 可愛げな叱責と共に、紫乃先輩の両手がなぜだか俺の両耳を包み込んだ。ヒンヤリとした感触が伝わる。ヨモギ茶がゴクリと喉を通った。呼吸が覚束ない。


 包み込まれた両耳には、高鳴りすぎた心音だけが響いている。俺は装えているのかも分からない平静を装って、本能のままに反抗してくるまぶたに力を加えて、言われた通りに目を瞑った。


 視覚を奪われた体が、残された感覚機能を研ぎ澄ます。俺の耳を包み込む紫乃先輩の指が、微かに動いている。意識してしまうと、もうダメだった。くすぐったくて、心地よくて、気持ち良くて、エロい。


 そして気づけば、研ぎ澄まされた嗅覚が紫乃先輩の匂いを認識していた。天日干しした布団の様な、秋晴れの太陽が照らす森の様な香りの中に、何かしらのフルーツを思わせる微かな甘みが混ぜ込まれている。まさしく、癒しの香りだと思った。吸い込む度に心が洗われていくような、そんな香りだった。

 

「耳が凄く熱いよ、シュウヤ君。もしかしたら本当に熱出ちゃってるかもね」


 紫乃先輩の息が、顔の表面を撫でる。誇大化の一途を辿る妄想の中で、紫乃先輩と俺の顔は信じられないほどに近い。耳が、どうしようもなくうずいている。


「よしっ、まずは深呼吸」


 再び、癒しの吐息が俺の顔面を撫でた。両耳は優しく塞がれている。心音がウルサい。吸い込めるだけ息を吸い込んで、紫乃先輩の顔に吹きかけないように、口を下に尖らせてゆっくりと吐き出した。


「じゃあね、シュウヤ君。まずは目を瞑ったまま、頭の中の痛みに集中して」


 すでに痛みなど、欠片も無い。ただあるのは、癒しの魔法とはなんなのか、これから何が起ころうとしているのか、それだけだった。妄想は誇大にてさらに肥大する。


「見つけた?」


「あぁ、えっと、はい、見つけました」

 すでに痛みなど、欠片も無い。だがしかし、今それを紫乃先輩に言わらいでか(言うもんかっ)。


「その痛みはね、きっとイタズラ好きの妖精さん達が、寝不足で疲れているシュウヤ君を見つけて、イタズラをしているの」


「は、はい」

 いくら探しても、頭の中に妖精の姿は無かった。ただ目を開けたい。頭の中はその思いと、おそらく今も眼前で開かれているであろうおっぱいに埋め尽くされる。


「イタズラ好きの妖精さん、思い浮かんだ?」


「は、はい」


「よしっ、じゃあ、その妖精さん達に、癒しの魔法を掛けちゃおう」


 俺の両耳は今、紫乃先輩の手で柔らかく塞がれている。紫乃先輩が話す度に、その吐息が顔面を優しく撫でる。紫乃先輩の放つ全てを癒してくれそうな香りが鼻先をくすぐる。互いの顔は信じられないほどに近い。暗闇の中に映し出されるそんな状況(妄想)に、俺の思考は一つの答えを導き出した。


 癒しの魔法って、キスの事ですか?


 ふんぬっ、と思わずも鼻息が飛び出た。と同時に、俺のオデコに、コツンっ、と何かが優しく当たる。フーっと優しく吹き出された吐息が、顔面を撫でた。おそらく妄想じゃ無く、顔が近い。そして俺は、本当に少しだけ口を尖らせて、ファーストキスの準備をした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る