第52話 ゴリラかと思わせてからのおっぱい


 一枚目の紙には、あの時の絵が描かれていた。俺が空を飛ぶ自分を描いて、あまりの醜さに「潰れたゴリラ」と命名した絵だ。その見るも無惨な絵から目を背けて、隣に並ぶもう一枚の紙に視線を移した。


「ブゴフゥッ!!」

 あまりのギャップに、思わずも口から変な音が吹き出された。その紙には、凄まじいほどの完成度で、緻密さで、躍動感で、今にも空へ飛び立たんと地を踏みつける俺の姿が、実物よりも五倍ほど格好良く(悲しいかな)デフォルメされて、なおかつ丁寧に色づけまでされて描かれていた。


 深緑のブレザーを羽織る俺は天を仰ぎ、その鋭い眼光は空を睨みつけている。煌めく金髪は風に揺れ勇み、両足は今にも飛び立たんと灰色の地面を力強く踏みつけていた。体の周囲には薄い黄緑に色づけされた風の子供たちが、シュルシュルという音まで聞こえてきそうなほど無邪気に飛び回っている。ああ、ヤバい。上手すぎる。絶対に俺がモデルなのに、絶対に俺じゃない。そう思ってしまうほどに格好良かった。


 ふとその隣に置かれた紙に再び目を向ければ、やっぱり「潰れたゴリラ」がウホウホと悲しげな鳴き声を上げている。えっ? マジで同じ絵なの? とこの絵を見比べた八十億人の誰もが、使用言語は違えど間違いなく同じ言葉を口にするだろう。


「どど、ど、どうかな?」


「宝物にしますっ」

 俺は寿門先輩の絵から目を離せずに答えた。額縁に入れて机の上に飾ろう。すでにそんな事まで考えていた。

「額に入れて部屋に飾ります」

 気づくと口にしていた。


「いい、いいよ、別に。そ、そこまでじゃ無いよ。で、でも、喜んで貰えたなら、う、嬉しい。ありがとう」


「ありがとうは俺の台詞でしょっ。もうっ!!」

 溢れ出る感謝に語気を強めてしまい、教室にいる全員(魔法中年を除く)の視線を集めてしまった。でも良い。超自慢したい。俺は寿門先輩に描いて貰った絵を見せびらかす様に掲げた。


「寿門先輩に描いて貰ったんです。これ俺ですよっ」


「うん、格好良いっ。寿門君に描いて貰うと嬉しいよね。僕も描いて貰った事あるんだ。それに寿門君には言ってないけど、実は僕も机に飾ってるんだ」


「堀田くんもそうなんだっ。実は私も部屋に飾ってるんだよ。寿門君に描いて貰った絵」 


「み、皆描いて貰ってるんですか? シュ、シュウヤも……う、うちも……い、いや、な、なんでも無い、です」


「まま、真穂さんのも、すす、すぐには難しいけど、か、描くよ。え、えっと、ど、どういう絵が良いか、お、教えて、くれると、かか、描きやすいから、あとで」


「う、うちの絵も描いてくれるんですかっ?」


「ぼ、僕の、絵で、良かったら、だけど」


「やったっ!! 超嬉しいですっ」


「寿門君に自分の絵を描いて貰ったら、凄く感動するよ。びっくりするぐらい上手じょうずで格好良いから」


「私なんか嬉しくて泣いちゃったもんっ。シュウヤ君も真穂ちゃんも、良かったね」


「う、うちも、絶対部屋に飾りますっ。寿門先輩ありがとうございますっ」


「い、いや、か、飾るほど、上手くないってば」


 褒められると耳まで真っ赤に染めながら、俯いて嬉しそうに微笑む寿門先輩。そして皆が、寿門先輩に描いて貰った絵を部屋に飾っていると口にした。その言葉に微かな嫉妬(俺だけじゃ無いんだ)を覚えたのは置いといて、なんだかその光景が、ただただとても嬉しかった。


「見せて貰ってもいいかな」


 という堀田先輩の言葉をきっかけに、寿門先輩の描いた俺の絵を全員(魔法中年を除く)が回し見て、各々が感嘆の言葉を口にした。そして俺の手元に絵が戻ると同時に、幸せな光景は微笑みの余韻を残して静まっていった。


 真穂さんは寿門先輩と話し合い、なにやら嬉しそうに絵を描き始め、堀田先輩とアリス先輩は自分の魔法学に目線を戻した。そして俺は改めて、俺がモデルの格好良すぎる俺の絵をまじまじと眺めた。


 よく見れば、さらに色々と気づいていく。紙の上に薄く残るのは、幾線と走る下書きの後。ただの金髪にだって、色んな黄色が使われていた。深緑のブレザーも、実物より繊細な色使いで描かれている。体に纏う黄緑の風たちも、色使いの濃淡がその躍動感を存分に表現していた。ああ、凄いな。単純にそう思った。


 そしてなによりも一番嬉しかったのは、この絵が、この繊細で格好良い絵が、俺の為に描かれたという事だった。誰かに自分の絵を描いて貰う事も、初めてだった。アリス先輩が泣いた気持ちを理解して、気を抜けば本当に泣いてしまいそうだった。絵に知識が無くても、簡単に描ける絵じゃ無いってことぐらいは分かる。だからこそ、本当に嬉しかった。


「寿門先輩、本当にありがとうございます。マジで大切にします」

 すでにノートを広げている寿門先輩に、改めて感謝を伝えた。


「き、気にしないで。好きで、やってるから」


「あの、この絵描くのって、どれぐらい掛かったんですか?」

 ふと思い浮かんだ率直な疑問を口にした。


「ええっと、いや、そんなに掛かってないよ。そ、それに、休みで暇だったから」

 

 なぜだか絶対に目を合わせようとしない寿門先輩の不器用な気遣いが、俺の胸を心地よく締め付けた。嫌がられないなら熱い抱擁を捧げたかったが、嫌がられそうだな、と思いとどまる。もう本当に、寿門先輩が好きだ。


「なんか上手く言えないですけど、凄く嬉しかったです。ありがとうございました」

 ウザいぐらいに、それでも足りないぐらいに、俺はもう一度感謝を伝えた。


「も、もういいってば。そ、それより、シュ、シュウヤ君もまた絵を描いたら、僕にも、見せてね」

 

 儚げな笑みを浮かべる寿門先輩に、嫌がられないなら熱いキッスをお見舞いしたかったが、確実に嫌がられてなおかつ嫌われてさらには勘違いされて最終的に避けられる、とそんな流れが容易に想像できてしまい、もし避けられたら寂しすぎる、と思いとどまった。


「もちろんです。こちらこそ、お願いします」

 

 寿門先輩は俺の言葉に頷いて、ノートに絵を書き始めた。そして俺は再び、寿門先輩に描いて貰った絵に目線を落とした。と同時に、ガラス扉の開かれる音が教室に響いた。   


「シュウヤくんっ、用意出来たよっ」


 顔を上げると、紫乃先輩がベランダから手を振っている。その姿に、ああ、そうだ、と絵の感動で忘れかけていた約束を思い出し、俺は寿門先輩から貰った絵を持参した魔法開発用ノートに挟んで、ベランダに向かった。


「どうぞ、こちらへ」


 ベランダの外側から俺を促す紫乃先輩は、なにやら深緑のブレザーを脱いでいた。白の長袖シャツが日光を反射させている。つまり薄着になっていた。初めて見る格好だった。それに紫乃先輩はシャツのボタンを上から三つ外している。大きく開いた首筋から、緑色の宝石が覗いていた。つまりだからもう、薄着だからそりゃもう、分かり易く色々と(おっぱいが)強烈で破壊力が凄まじかった。


「じゃあ座って」


「よろしくお願いします」 

 花や実を付ける植木鉢が所狭しと並ぶベランダの僅かな隙間に、小さな椅子が一つだけ置かれていた。促されるままに、俺はその椅子に腰を下ろす。 


 正直に言えば、絵の感動で頭痛の事は忘れていた。でもしかし、紫乃先輩に呼ばれてから都合良く微かな痛みを感じ始めたのは、本当に頭痛の事を忘れていたからなのか、それとも頭痛が俺に気を使ってくれたのかもしれない。それにもう頭痛とか関係無しに、俺は治療を受けたいと思っていた。


「じゃあよろしくね、シュウヤくんっ」


 紫乃先輩が魔法を唱える合図の様に、軽いお辞儀をした。俺は緩もうとする口元を縛り、暴れようとする鼻息を押し殺し、ある衝撃(おっぱい)に奪わそうになる目線を紫乃先輩の顔だけに固定した。


 ああヤバい。そう思った。ああ、楽しい。そう思った。ああ大きい。そう思った。自己嫌悪とかなんかそういうのが全部吹っ飛んで、俺はこれから何が起こるのか、信じられないほど期待していた。

 


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