第43話 魔力の集う場所。不良の聖地とも言う


 薄暗い廊下を歩き、さらに薄暗い階段を上がる。二階はもう薄くもなく暗かった。ただその暗さが、小さな冒険心を掻き立てる。廊下の両端に目線を振って、ひんやりとした静けさと心地よい恐怖に身を震わせた。肩をゾクゾクさせて一人きりの肝試しを楽しんだ後、屋上への階段を上がる。


 暗い先に、光の漏れる小窓の付いた扉があった。ゆっくりと近づいて、恐怖の余韻も楽しみながら、その扉を開けた。

 

 不意に緩やかな風が吹き抜け、陽の光と共に全身を包み込む。その眩しさに目を細めながらも目線を前に向ければ、置物一つ無い広場があった。俺はその広場に足を踏み入れて、周囲を見渡す。


 まず目の前を覆ったのは、巨大な壁の様に連なっているいくつかの校舎。その圧力すら感じる見慣れた建物群に背を向けて目線を変えると、見渡す限りの地平線、とまではいかないまでも、開放的な空間が広がっていた。 


 住宅街の屋根がジグザグながらも平らに並び、高い建物と言えば遠くの方に見える三つ程の高層マンションだけ。俺の視界はほぼ全てと言えるほど、空の青と気持ち良さげに漂う薄い雲に支配されていた。


 一人きりの屋上で、恥ずかしげも無くその透明な光景に心奪われながら、ここは学校で最高に自由な場所なんだと気づく。そして不意に、漫画やドラマで不良達が屋上に集まる気持ちを理解した。


 全てを押さえつけられる環境の中で、屋上ほど自由を感じられる場所は無い。そんなに不自由を感じてない俺が思うのだから、不良達にとっては、それはそれは神聖な場所になるのだろう。そんな考えを抱かせるぐらいに、屋上で浴びる暖かな陽の光と、真っ直ぐに吹き抜ける素直な風は、信じられないほど気持ちが良かった。 


 しばらくそんな心境に浸っていると、今度は空を彩る青と白に吸い込まれる感覚に襲われる。ああ、きっと今は自由に空も飛べるはず。いま俺の願い事が叶うならば翼が欲しい。そんな気持ちが沸き上がると同時に、ふと教室で伝えられた堀田先輩の言葉を思い出した。 


「二階から飛び降りないでね」


 きっと箒に跨がる魔法中年は、この透明な空に吸い込まれてしまったんだろう。ああ、凄く気持ちが分かってしまった。気を抜けば俺も、今すぐ飛び立ってしまいそうだった。あの空に向かって地を蹴り上げれば、どこまでも果てしなく、本当に飛べそうな気がしていた。もしかしたら学校の屋上には、何かしらの魔力が集まっているのかもしれない。   


 そんな事を考えながら、俺は広場の端に移動して立ち止まる。深呼吸をして、勢い良く地を駆けた。その走りを全速に近づけていく。微かに膝が痛んだが、構わない。


 当たり前に飛び降りるつもりはない。少しだけ試したい衝動も湧いてはいたが、それは無い。そこが俺と魔法中年の違いで、少しだけ羨ましく感じるところでもある。その魔法を信じる無垢さが、いつか本当に空を飛べそうな気がしていた。でもしかし、それは無い。


 元々小さな校舎の屋上。端から端までの距離は長くない。俺の視界に揺れる鉄柵が見え始めた。瞬間的に速度を上げる。そして俺は、思い切り、地を蹴り上げた。


 飛べっ!!


 着地と共にしっかりと感じた膝の痛みを庇い、受け身のように床を転がる。あからさまに無様だと自覚しながらも再び立ち上がり、俺はもう一度地を駆けた。膝の痛みは熱を帯びる。今度はゆっくりと、助走の速度を保ったまま、軽く地を蹴り上げた。


 飛べっ!!


「ああぁああっ、もうっ!!」 

 床に転がり、晴天を睨みつける。結構、本気で、悔しかったりして。そんな自分の心境に気づき、笑ってしまった。


「シュっ、シュウヤくんっ」


 不意に紫乃先輩の声が耳に届く。俺は立ち上がり、声の方向に向かって歩いた。膝の痛みはやっぱりしっかりと残ってはいたが、あまり気にならない。まぁ、慣れたもんだ。 


「シュウヤくんっ、ねえっ、大丈夫っ?」


「はーいっ」

 と声を上げて、屋上を囲む鉄柵から顔を出す。眼下に広がる質素な森から、紫乃先輩が不安げな顔を向けていた。俺と目を合わせて、安堵の表情を浮かべる。


「良かったっ。大声が聞こえたからっ、飛び降りたのかと思っちゃったっ」


「飛ばないっすよっ」 

 笑みを浮かべた紫乃先輩の言葉に、笑ってしまう。皆にその心配をされるって事は、やっぱり俺は魔法中年に似てるのかもしれない。屋上での行動を思い返して、確かに似てるかもしれないと自覚する。でも嫌な感情は、湧いてこなかった。


「そろそろ授業終わるからねっ」


「了解っす」


 手を振った紫乃先輩に手を振り返して顔を引っ込めた。そして不意に、自然と手を振り返していた自分に気づき変な興奮を覚えながら、俺は教室に向かった。


 暗い階段を下りながら、屋上の不思議な魅力を思い出す。堀田先輩の言った通り、気分を変えるには最高の場所だ。悩みとか、膝の痛みすら、忘れさせてくれそうな気がした。そしてやっぱり屋上でも忘れる事の出来なかった寿門先輩の事が頭を過ぎる。だけど暗い考えは、あまり顔を出さなかった。


 今度誘ってみよう。そう思った。一緒に屋上に来たからって、何をどうするなんて難しい事は思い浮かばなかったけど、一緒に屋上で何かを話したいな、なんて純愛みたいな事を考えて、ふと気恥ずかしくなる。どんだけ好きなんだよっ。俺はっ。


 思わず吹き出してそれを飲み込み、教室に到着した。すでに紫乃先輩は席に着いていたが、寿門先輩の姿は無い。全員が帰り支度を終えると共に、終業の鐘が鳴り響く。


 その鐘が鳴り終わる直前、俺の見つめる掃除用具入れが突然開け放たれ、慌てた寿門先輩が飛び出てくる。焦った様な表情が、皆を確認して安堵に切り替わった。


「ね、寝ちゃってた、みたい」


 その一言に、全員が笑った。本当に柔らかくて、睡魔を誘う様な声が教室に響いている。ああ、良いな、魔法学。と俺はすでに何度目になるか分からない当たり前の感情を抱いた。


「じゃあお前等、早く帰れ。俺は戸締まりをしなくちゃならん」

「じゃあ、いこうか」


 お決まりの言葉が飛び交い、教室を出る。そして校舎の前で先輩達と別れ、教室に向かった。


 帰りのHRはすぐさまに終わり、学校を後にする。電車に乗りながらも、家に向かって歩きながらも、ふと思い出してしまうのは、やっぱり寿門先輩の事だった。何をそんなに考える事がある? と呟く楽観的ないつもの俺と、だけどなぁ、と形の無い不安に悩む俺がいた。屋上で味わった魔法の効力が切れたかのように、暗い考えばかりが浮かぶ。


 そして結局、そんな事を考える事自体、寿門先輩に失礼だ、という結論にたどり着く。寿門先輩を可哀想だと思っているのか? そんな先輩だと思っているのか? いつからそんなに偉くなった? と意地悪な俺に責め立てられ、分かってるよっ、と暗い考えを振り払う。そんな事を繰り返し、気づけば家の前まで来ていた。


 ああもうっ、寿門先輩は絶対大丈夫だっ!! 最後にそう自分に言い聞かせて、ゲームしながらアニメ見よっ、と楽観的な俺に身を任せて、玄関のドアを開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る