第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第二章 3
* 3 *
二時十分。
晴れ渡る空の下、僕はもう待ちくたびれ始めていた。
そんなに広くない駅前ロータリー側の階段の下。そこには駅に向かう人ばかりでなく、待ち合わせの人もけっこういたが、みんな僕を置いて待ち人がやってきては去って行く。
天気がいいのは良いことだけど、その分放射冷却がきつくてロングコートの前をしっかり閉めていても寒いものは寒い。夕方には曇ってきて雪の可能性まであるって言うんだから溜まったものじゃない。
ポケットに手を突っ込んで小さくなりながら、まだ来ない夏姫をひたすら待つしかなかった。
「ごめーんっ! 遅れた!!」
二時十五分になってやっと、息を切らせながら夏姫が走ってきた。
『遅いよぉ。おにぃちゃんが風邪引いちゃう』
音量を絞ったイヤホンマイクの外部スピーカーから、リーリエが夏姫に向かって文句を言う。
「遅れるなら遅れるって言ってくれ。コンビニにでも入って暖まってりゃよかったよ」
「こういうときは『いまきたとこ』とか言うんじゃないの?」
「テレビの見過ぎだ。っていうか、デートじゃないんだろ?」
「そりゃそうだけど……。今日に限ってランチメニュー目当てのお客さん多くて、バイト抜けるタイミングなかったんだもん」
不満そうに頬を膨らませてそっぽを向く夏姫。
「バイトって、うちの学校、バイト禁止だろ」
「いろいろあんのよ、アタシにも」
バイト禁止の校則なんていまどき絶滅危惧種に入る珍しさだけど、家庭の事情がある場合なんかは申請すれば許可が出る。
夏姫の母親は死んでいて、父親はたぶんいるんだろうけど、エリキシルバトルに参加するくらいだ、それなりに家の事情もあるんだろう。
「しかし、お前なぁ……」
丈の短めの茶色いダッフルコートの下は、ふわっと裾の広がったミニスカートタイプの落ち着いた赤系のワンピースに、白いセーターを重ねている夏姫。
白いニーソックスとスカートの間に見える絶対領域は輝かしいばかりだったが、この前の今日でこんなデートっぽい格好ってのはどうなんだろう、と思ってしまう。
「やっぱり出掛けた後は僕の家に来るか?」
「何言ってんのよっ」
「だって買い物とは言え、そんな短いの着てくるか?」
夏姫の警戒心の無さにちょっと呆れてしまう。
「ふっふーんっ。そこのところは考えてきてるんだから!」
言ってスカートの前をめくり上げる夏姫。
「おぉ! おぉー?」
そこに現れたのは、フリル。
スカートの下にさらに何枚かのスカートを履いてるようなフリルの塊によって、そのさらに下にあるだろうパンティはひと欠片も見ることができない。
「アンダースコート履いてきたんだから。最近流行ってるんだよ? これ。これで見たくても見えないでしょ」
得意そうに言う夏姫に、部屋に連れ込んで脱がせちゃえば、とか、彼女なりに考えてきたんだろうがめくって見せる必要はないだろう、とか思うが、周りを軽く見回して彼女の醜態が見えないように気をつけつつ、僕は前屈みになって顔をアンダースコートに近づける。
「んー。いや、これもなかなか。見えはしないけど、しかし……」
『何見てるのぉー? おにぃちゃん。あたしも見たーい』
「いやいや、これはリーリエにはまだ早い」
『ぶー』
イヤホンマイクにはカメラはついてないからリーリエには見えてない夏姫のスカートの中を、僕はじっくりと見聞する。
白のニーソックスと白のアンダースコートの間にできる絶対領域の広さは広すぎず狭すぎず申し分なく、ニーソックスから少しはみ出した感じの太ももの肉も、細めの夏姫の脚ならちょうど触り心地良さそうな感じだった。
何よりスカートのように外から見えるものじゃなく、見えても大丈夫なものにしてもフリルの下にはすぐパンティがあるんだと想像すると、ストッキング越しに見えたものとは違う何かしらの興奮を感じる。
「こ、こら! そんなにじっくり眺めるな!」
さすがにじっくり見られると恥ずかしかったのか、顔を朱に染めながらめくっていたスカートを戻して夏姫は僕から距離を取った。
「ふふんっ。僕の勝ちっ」
「いったいなんの勝負よ! っていうか、今日はアタシをどこに連れていくつもりなの?」
まだ顔の赤さが抜けない夏姫が、たぶん話を逸らすためだろう、目的地を訊いてくる。
「秋葉原。ヒルデのパーツが手に入りそうなのは、あそこのショップ以外にはないからね」
急行電車に乗って終点駅で降り、電車を乗り換えて山手線を半周ほどしてやっとたどり着いた秋葉原。
駅周辺は幾度か行われた開発によってすっかりビジネス街の様相を呈しているけど、少し行けば相変わらずの欲望の街だ。
電化製品やコンピュータ用品はもちろん、アニメやゲーム関連のショップ、今なお残る電子部品やオーディオショップなどコアな人向けの店が雑多に並んでいたりする。
日曜の今日は様々な人が駅前を行き交っているけど、その中を縫って僕は再開発から取り残されたようなガード下の小規模店舗が集まる区画に、夏姫を連れて入っていく。
安全性を考えてつくられたのか怪しい古びた階段を上がって、営業中なのかどうかもわからない店が並ぶ廊下を抜けて一番奥、がらくた置き場なんじゃないかと思うような店の区画へと向かった。
入った店はけっこう広い区画を取っている割にバックヤードが大きく取ってあるから店舗スペースは狭く、そこには金属部品から人工筋から、何に使うかわからないケーブルやらフレームやらが棚と言わず壁と言わず、所狭しと並べられていた。
入り口に掲げられた煤けた看板を見て、夏姫が首を傾げる。
「ピクシークラフトワークス?」
「うん。秋葉原で現存する最古のロボットショップにして、日本で一番最初にピクシードールのパーツを取り扱い始めたお店だよ」
僕が生まれる前の時代には、一時期ぼこぼこと産まれたという話を聞いたことがあるロボット専門店だけど、その頃のショップはすっかりなくなって、いまでもその頃から営業しているのはこことあと数店のみだ。
自作要素の強いピクシードールが現れて、第四世代でかなり手頃な価格になったときにラジコンショップや大手量販店のオモチャコーナーでも取り扱うようになったのもあって、スフィアドールを中心にロボットを扱うお店は増えたけれど、ここほど多くの実績とマニアックさを残した店は他にない。
ピクシードールのパーツを取り扱い始めた店は、早いところでもほとんどは第三世代からだったけど、取り扱いを開始して店名まで変えてしまったこの店では、市販されなかった第二世代パーツをメーカーから直接取り寄せて取り扱うほどの熱の入れようだった。
「よぉ、珍しいじゃないか、克樹。お前が直接来るのは何ヶ月ぶりだよ」
僕たちの声を聞いてか、バックヤードから姿を見せたのは、作業着にエプロンを着けた、そろそろ引退を考えないといけないだろうくらいの歳の厳つい顔をした親父。
いつもはネット越しに話をすることが多いし、注文したパーツも発送してもらっているから、しばらくピクシークラフトワークス、PCWに脚を踏み入れてなかったことを思い出す。
「久しぶり。今日はちょっと用事があってね」
「そっか。お前が注文してたパーツ、全部じゃないが届いてるぞ。……て、言うか、お前が女連れって、あー、今晩は確実に雪だな」
僕の後ろで物珍しそうにスフィアドール以前の、モーターとフレームの塊のロボットなんかを眺めてる夏姫を認めて、親父は小さい目を精一杯丸くする。
「届いたパーツって?」
「人工筋がひと揃い。予備分は注文殺到でまだ届いてないな。フレームもまだ一部だけだ。でも例のメインフレームも含めて来週中には揃うと思うぞ」
「そっか。じゃあ裏を貸して。それから……、夏姫。ヒルデを」
前に行くように促すと、パーツを眺めてた夏姫が、大きめのショルダーバッグからピクシードール収納用の小型アタッシェケースを恐る恐る取り出して、カウンターの上に置いた。
ロックを解除して開けた瞬間、親父は声を上げた。
「ナンバー四か!」
「うん。やっぱりそうだよね」
「え? え?」
ひとりだけわかっていない夏姫が、僕と親父のことを交互に見ておろおろとしていた。
「こいつの修理用のパーツがほしいんだ」
「また無理難題を押しつけやがって」
文句の声を上げながらも、親父はこれ以上ないくらいの笑みをその顔に浮かべていた。
「あの、ね? どういうこと?」
唇に軽く拳を当てて居づらそうにしている夏姫に、僕と親父はふたりして笑みを向けた。
スフィアドールの第三世代が始まったのは、いまから五年くらい前のこと。
外観も内部構造もいまとほぼ同じになったのはその頃で、しかし一部のメーカーからレディメイドやパーツが販売されていたけど、主に研究者向きのもので、ピクシードールだとどんなに安いものでも最初は一体五十万を下ることはなかった。
一般への普及を目指して低価格化が目標となり、第四世代では第三世代までの厳密で厳格な規格をかなり緩和するのと同時に、パーツの認定基準はかなり引き下げられた。
すべてのスフィアドールのスフィアはSR社かライセンス生産を受けた会社のものだから、スフィアが認識しないパーツを内部に組み込むことはできない。
そんな低価格化が期待されてる時期に登場したピクシードールが、ヴァルキリークリエイション社、VC社で開発されたヴァルキリードールシリーズだった。
規格緩和によって性能低下が危ぶまれ、実際そうなった第四世代パーツと違って、第三世代の基準を、それも最高レベルでクリアした上、様々な独自規格を組み込まれたヴァルキリードールの試作型は、第三世代はもちろん、各社がしのぎを削った第四世代ドール、今年から登場し始めた第五世代ドールよりも遥かに性能が高いと言われ、奇跡のピクシードールとさえ呼ばれている。
第五世代の最高のパーツで組み立てられたSR社純正のリファレンスドールですら、いまだ試作としてつくられた五体の「オリジナルヴァルキリー」には敵わないだろうと言われるくらいに。
しかし安価な第四世代パーツも登場しつつある三年弱前に、ヴァルキリードールの市販パーツは高すぎた。
性能主義者やバトルマニアにはある程度売れたし、いまでも未使用パーツは市販価格以上で取引されてたりするけど、市場的には失敗と言える結果となった。
開発費がかさんでいたこともあり、VC社は去年の初めにSR社に吸収合併される形で消滅し、しかしヴァルキリードールによって生み出された技術はそれにより、性能と価格のバランスを目指した第五世代ドールの中に取り入れられて息づいているとも言われている。
その頃には開発機としての役目を終えていたオリジナルヴァルキリーは、一号がスフィアロボティクスで凍結保管され、二号が開発中の事故で廃棄、三号がある個人によって所有されるなど、合併前の混乱に伴って逸散してしまっていた。
残りの四号と五号の行方は不明になっていたけど、四号はどうやら開発者のひとりだった浜咲さんの手に渡って、夏姫に受け継がれていたみたいだった。
「そんなにすごいのだったんだ、ヒルデって」
僕と親父による説明を聞いて、夏姫が唖然とした顔で呟いていた。
「性能だけならいまでもフルオーダーメイドのドール顔負けだと思うがよ、かなり使い込んでるな、こいつは」
充電ベッドに寝かせたヒルデから得た情報を見て、親父は顔を顰めていた。
僕も一度確認したけど、ヒルデの状態はかなり悪くなっていた。
スフィアとスフィアを取り付けるスフィアソケットについては世代による機能差はあっても、ほとんど劣化することはない。ピクシードールのもうひとつのコアパーツと言える背骨の部分、メインフレームについても、そんなに劣化するものじゃないし、とくに開発機であるヒルデは相当耐久性の高い素材が使われているから問題はなかった。
でも開発用の耐久性の高いパーツを使っているとは言え、伸縮する人工筋は使い続ければ劣化するし、人工筋の力を受け止める手足や肩、腰といったサブフレームもまた劣化によって交換が必要となるパーツだ。
「賞品目当てにローカルバトルとか、けっこう参加してたからね……」
驚いたのもつかの間、消沈して夏姫は目線を下に向けていた。
僕と夏姫が戦った時に見つけた弱点も、ヒルデの劣化によるものだ。
右手の剣を前に出した半身の構えは、それが戦闘スタイルであるのかも知れなかったけど、剣を振り回したときに左腕でバランスを取る動きをしなかったのは、もうヒルデの左腕がほとんど上がらない状態になっていたからだろう。
「直る、の?」
「直るのは直る、が……。スフィアロボティクスのFラインしかないな、こいつは」
「やっぱりそうなるだろうねぇ」
僕も自分で調べてみたけど、ヒルデは第三世代規格のピクシードールだけあって、第三世代との互換性をあまり考慮されなかった第四世代パーツや、第四世代までの互換性しか考えられていない第五世代パーツのほとんどは使うことができない。
ヒルデに使えるパーツを入手する方法は二つ。
フルオーダーでいま使っているものと同じか、第五世代基準のパーツで互換性のあるものをつくる方法。
この方法は専門のフルオーダーメーカーに頼まなくちゃいけないし、ほぼ一品ものになるから、ヒルデの性能も考えると金額は天井なしだ。
もうひとつは、いま販売されてるパーツの中で、ヒルデに使えるパーツを探す方法。
幸いSR社が研究用などでいまなお使われている第三世代ドール向けのパーツをつい先月から販売開始していた。
ただしこれも研究用途向けだから性能も耐久性も高いが、価格も第四世代パーツに比べて高いものが多い第五世代パーツの中でも群を抜いて高価だ。
「いくらくらい、かかりそう?」
「ちょっと待ってろよ」
親父がアナログな液晶電卓を叩いて表示した金額に、夏姫は「ひっ」と悲鳴を上げる。
Fラインのパーツが使えるだろうことは、事前にわかっていたことだった。だから別に近くのお店でオーダーすればよかっただけのこと。
今日、わざわざPCWに出向いたのは、それ以上の理由があったからだ。
「ねぇ、あの捜索依頼って、まだ有効?」
「捜索依頼って……。あれか」
オリジナルヴァルキリーは性能の高さだけじゃなく、希少性からコレクターズアイテムとして求める声はけっこうあったりする。
ネットオークションでは偽物が問題になったり、個人制作のナンバー一のレプリカがけっこういい値で取引されてたりするけど、たいていはただの物好きによる取引に過ぎない。
その中でひとりだけ、真剣に行方不明のナンバー四とナンバー五を探してる人物がいる。
日本でも、いや世界でも有数のスフィアドールコレクターであり、ナンバー三を個人所有している人物だ。
その人物とは僕は面識はなかったけど、親父とは親交があるから、PCW宛てに捜索願いが出てることは前に話に聞いていた。
「確かにあいつならいい値で買い取ってくれるだろうな。その上壊れていても、一部のパーツだけでも事情を話せば許してくれるだろう。ただお嬢ちゃん、いいのか? こいつはさっき聞いた通り、ママの形見なんだろ? 全部じゃないとは言え、手放しても」
そこをどう判断するかがわからなかったから、彼女をここに連れてくるしかなかった。
「ねぇ、克樹。アタシ、どうしたらいいんだろう」
困ったような、泣きそうなような顔で、夏姫は僕のことを見つめてくる。
「直接は知らないけど、その人は真摯なコレクターの人だから、ヒルデのパーツを預けるくらいのつもりでいいと思うよ」
「でも、でもぉ……。ヒルデはママの形見で、だからアタシは……」
両手で僕のコートの裾を掴んで、鼻をすすり始める夏姫。
ヒルデは夏姫のものなんだから、夏姫が判断するしかない。
けど僕は、僕の思うことを口にする。
「夏姫のヒルデは、買って軽く動かして後は飾っておくだけの、オモチャなのか? それとも戦うためのバトルピクシーなのか?」
「アタシのヒルデは……」
僕の言葉に、夏姫はじっと僕の瞳を見つめてくる。
まだ悩んでる様子だったけど、さっきとは違う、強い光が宿り始めてる。
「あのバトルを、まだやめるつもりはないんだろ?」
「……うん」
頷いて目を閉じ、夏姫は大きく息を吸う。
『ねぇねぇ、おにぃちゃん。あたしも、あたしもー』
耳元で言うリーリエの言葉に、外部スピーカーをオンにする。
『ねぇ夏姫。ヒルデが直ったら、またあたしと戦ってくれる? この前のバトルは楽しかったし、もしヒルデが完全でも、あたしは絶対また勝つから!』
「うん……。うん。ヒルデを直して、また戦おう、リーリエ」
『うんっ』
気持ちが定まったんだろう、目を開けた夏姫が、僕に、そしてたぶんリーリエに向かって、笑顔を見せる。
「その人に、ヒルデのパーツの買い取りをお願いしてもらえますか?」
「よっしゃ。じゃあ新しいアーマーをつくれるくらいの交渉はしておいてやろう。さすがにアーマーの方も劣化してたからな。できるだけいまと同じデザインでつくってやるよ」
「親父はアーマーのデザイナーでもあるから、かなりいいのができると思うよ」
「……はい。じゃあ、お願いします」
深く一礼して顔を上げた夏姫は、少し寂しそうな瞳の色をさせながらも、笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます