6-3 スピードは突然に -Ready-
「ですから、私はカゾの壺について驚く程話を知りません」
にべもなくこう返されて、俺はエトハールを眇めた目で見てしまった。期待した自分が馬鹿だったと自嘲する気も起きず、セランカの街中を歩きながら雑踏に意識が呑まれそうだ。
「でも……宝物庫にそれがあったのは聞いた事がありました。一度もお披露目の機会も無く、国が滅んだ後も持ち出された形跡もありません」
思いがけずそんな話を聞く。ヒントと見ても良いだろうか?
「なら、ホワイトパレスの宝物庫に今も保管されているとか?」
「いや、ホワイトパレスは大戦で焼失してしまった。その頃には既に建物の八割程度が無くなっていたらしいが」
メモ教授が補足説明してくれて、俺は伸ばした手が空振りする虚しさを味わう。これでは振出にもならない。
「だがね、ここは実に興味深い場所だよ。古代人たちは寿命を克服出来なかったが、ある時から異世界の子供たちがここに召喚されたという。ここがその発祥の地だという説がある。その召喚を女神イズンが助けたという。彼女は不死の管理人で子供たちは死ぬ事も老いる事もなく、皆悠久の時を生きるという伝承があるのだよ」
女神イズン。つまり村の地下の生産施設やここの生産施設を作った人物だ。ここがその発祥の地という事はここから全てが始まったという事なのかも知れない。
「それにここは機械産業が盛んで、特に自動車に力を入れている。ほら、公道レースをやっているだろ?」
メモ教授が大通りの方を指差す。力強いエキゾーストサウンドが断続的に聞こえるが、地球で聞いた(?)のとそう大差ない。というか、完全にガソリンエンジンの音だ。ああ……地球人だと思い込んでいる誰かが作ったな。多分誘拐される前に改造車にのめり込んでいたとかいう設定で作られて……そこまで完璧に記憶を捏造出来るあの機械には呆れるしかないが。地球……本当に実在するだろうか? イズンは何を思って地球人なんて設定を組み込んだのだろう? 今の俺には理解出来ないが。
「ヨー、ヨー! 後一台だ! どうだ、そこのあんちゃん! この命知らずの公道レースに出る度胸はあるかい?」
賭けの胴元らしきアフロの少年が屈強な体格の少年を煽っている。少年は前に出ようとして、連れている少女に止められた。
「シドウ君、あれを」
リストが通りの向こうを指差す。景品として並べられている品物の中に見覚えのある物があった。壺だ。カゾの壺によく似ているが。
「んん? あれは……まずいぞ。入賞して手に入れないと」
メモ教授は袖を捲って前に出ようとするが、リストがそれを引き留め、前に出た。俺は一緒に連れて行かれる。
「お! 美人の姉ちゃん! 死神と追い駆けっこするかい?」
アフロの少年がリストを手招きする。リストは空いている改造車を指差して、観客を沸かせた。
「オーケー! 最後の参加者はボインの姉ちゃんだ! 同席の坊やにも拍手を!」
一応俺の事も宣伝してくれた。しかし、ボインて……。今回のリストの格好を見れば頷ける話だが。黒のキャップ、臍だしの白のタンクトップ、黒のショートパンツに赤いシューズ。ちょっと予想外だったが、こういう服装もする女性らしい。
「さあ、張った張った! 今日のレースはこれで最後だぜ! 一儲けしたい奴は惜しまずにこのチャンス様に金を渡すんだ!」
チャンスというアフロの少年が観客からお金を掻き集めているのをちらりと見やり、俺は褐色の肌の少女から紙を渡された。よく見ると地図のようだ。コースが赤い矢印で書き込まれている。ここを走れという事らしい。
「運転出来るの?」
俺は不安げにリストを見上げながら顔を引きつらせる。
「試す勇気はありますか?」
にこりと笑ってこう返される。俺は自分の度胸の無さに呆れて、快活に笑ってしまった。リストが運転席に乗り込む。俺は笑いながら助手席に乗り込んだ。キーが回る。イグニッションの引っ掻くような音の後にエンジンの咆哮が尻に伝わってきた。かなりのエンジンだ。素人にも分かる。
「それじゃ、スタートだ! 並べぇ!」
チャンスが指を振る。赤いスプレーでスタートラインが描かれ、各車が動き始める。
「……」
ハンドルを握るリストがにやりと笑う。それはどう見ても走り屋の顔だった。
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