◆多分それは運命的な



 そのとき三笠樹みかさいつきは、退屈で何の生産性も見出せない(と思っている)授業をサボって屋上に行こうとしていたところだった。


「……?」


 授業は既に始まっている。こんな時間に廊下を歩いている人間は、この学園に限ってはそう居ない。授業をサボった場合のデメリットが強すぎて、サボろうなどと思う生徒が皆無に等しいからだ。

 しかし今日は珍しく、自分以外に廊下を歩いている生徒を見つけた。


「そこの嬢さん、どこ行くんだ?」


 声をかけたのは、純粋な興味からだった。

 滅多に居ない自分以外に授業をサボっている人間だというのもあるが、何よりその生徒の纏う衣服が興味を惹いた。

 この学園の標準服ではない。だが、他校の制服というわけでもない。紛れもなくこの学園に所属していることを示す衣服。

 その存在すら危ぶまれていた女生徒用の特別服を、その人物は纏っていた。

 立ち止まり、振り向いたその女生徒は、訝しげに樹を見る。そうして口を開いた。


「……何か用ですか?」


 おや、と樹は眉を上げた。次いで確信する。

 この女生徒は、学園に来て日が浅いと。

 自分で言うのもなんだが、樹は学園内で顔が売れている。容姿や家柄のこともあるが、何よりこの学園の権力者と真っ向から対峙できる人間として。

 故に、大抵初対面の生徒からは畏怖やら憧憬やら様々な視線を向けられるのだが、この女生徒の視線は一言で言えば、無。

 全く何の感情も孕まないそれに樹は彼女がこの学園に来て日が浅いのだろうと判断したのだが、ふと、女生徒の視線が僅かに値踏みするようなものに変化した。


「あなた、この学園の生徒ですよね」

「そうだけど?」


 わざわざ確認するまでもないことだと思うのだが、とりあえず肯定しておく。


「その様子だと授業に出る気はないみたいですし、ちょっと付き合ってもらえません?」


 樹の経験則からいって、こういう場合は大抵艶っぽい話に繋がったりするのだが――彼女の瞳はどこまでも冷静で、まったくもってそんな様子はない。

 それがますます興味を煽って、樹は笑顔で了承を伝えた。――瞬間、僅かに女生徒が眉根を寄せたことには、気づかなかった。




 樹の案内で、二人は屋上へと足を踏み入れた。女生徒が吹く風に目を細める。その横顔を見つめて、樹はさて、と心中で考えた。

 彼女のことを面白そうだと思ったのは本当だが、同時に何か厄介ごとに関わることになりそうだと思ったのも本当だ。しかし樹としては常々この学園生活がつまらないと感じていたので、むしろ厄介ごとは大歓迎である。

 この学園に入れられてからというもの、様々なことで退屈を紛らわしていたものの、最近は手ごたえがなくてつまらなかったのだ。少々面白そうな事実が最近発覚したが、まだアプローチ方法を模索中だった。

 そんなときに現れた事情ありげなこの女生徒。暇を潰すにはもってこいだろう。

 ああ、そういえば名前を聞いていなかったな、と今更思った樹は、人間関係の基本として外せない自己紹介をすることにした。


「俺は三笠樹。嬢さんの名前、聞かせてもらえる?」

上総かずさです」

「それ、名字? それとも名前?」

「名字ですが、それが何か」

「名前は?」

「……かな、ですが、呼びかけるには名字だけでも充分だと思いますが」

「つれないねぇ。でもまぁ、それもそうか」


 言いながら、樹は脳内で学園の名簿を思い返す。最新の名簿での全学年の名前と照らし合わせてみるが、やはり『上総』という姓はなかった。この学園に入学するには金も学力も必要だが、コネも必要だ。少なくとも学園に在籍している人物の親戚あたりかと見当をつけていたが、外れたらしい。

 ここは率直に聞いてみることにしよう、と樹は考え、問いを口にした。


「嬢さんの服、特別クラスの制服だよな? あそこ、男しか居なかったはずだけど転入生?」


 どのようなものかはともかく、反応は返ってくるだろうと樹は思っていた。だが、返ってきたのは想定外の反応だった。


「特別クラス?」


 怪訝そうな声音で上総と名乗った女生徒は呟いた。樹は内心首を傾げる。何故制服を纏う本人が怪訝そうなのか。


「……あンの馬鹿どもが……っ!」


 地を這うような声で吐かれた台詞を、樹は一瞬空耳だと思った。しかしすぐに気を取り直し、現実を認める。今の台詞が目の前の女生徒のものだと。


「大体理解できました。ありがとうございます。それでは」


 淡々とそれだけ言ってその場を去ろうとした女生徒に樹は珍しく慌てた。何やら彼女の方は目的を達成できたようだが、樹は全く理解できていない。

 ここまで自分のペースに引き込めないまま――むしろ乱されて別れることは、自身のプライドに賭けてできなかった。

 故に、樹は一か八かの賭けに出ることにした。確証はない、ただの勘と僅かな推測による言葉を女生徒に投げる。


「嬢さん、特別クラスの四人組の知り合い?」


 瞬間、女生徒は射殺しそうな視線で樹を振り向いた。


「四人?」

「え」

「四人って言いましたね? 『特別クラスの四人組』」


 先ほどまでの様子とは一転して自分に詰め寄る女生徒に困惑を隠せない。一体何がそんなに彼女の癇に障ったというのか。


「その四人って底抜けに明るい馬鹿犬とフェロモンだだ漏れの色気魔人とホントに生きてんのかって聞きたくなるような無口無表情人間と虫も殺さないような善意あふれる笑顔を貼り付けたこの学園の権力者?」


 つらつらと並べ立てられた言葉はあまりにも予想外で、樹の思考が一瞬止まる。

 しかし何とかそれを脳内で消化して、またも樹はおや、と思った。


「もしかして嬢さん、あの四人組と親しいの?」


 彼らの形容の仕方からして、ただの『知り合い』ではないことは明白だ。学園の権力の象徴に等しい彼らをそのように表すことができる人間は、これまで居なかった。


「親しい……まぁ、そうなんでしょうね……」


 何故か不本意そうに女生徒は呟く。ますます樹は彼らと女生徒の関係に興味を持った。

 そして同時に、彼女が彼らと親しいのは確かだが、今現在何か含むところがあるということを感じ取る。

 思った以上に面白そうな『厄介ごと』に、樹は自分の唇が笑みを浮かべるのを止められなかった。


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