化身

 降伏を示す様に両手を上げて抵抗の意志がない事を見せているのに、両者の間には緊張の居綱が走り続けていた。


「……ふ、あまり勘違いしてくれるなよ? ……シオンを人質にとったのは、君の頭に昇った血を下げてもらう為じゃ。そもそもわらわは、其方達を傷つける気など微塵もないし

 そのつもりなら、其方達はもう、黄泉平坂へ向かっておろうよ」

 そう言うと彼女は、素早く短剣を掌の中に収めシオンの肩をそっと支えた。


「……何者だ? 」

 既に危機的状況を相手が自ら手放したというのにまだ警戒を解かないキミィに対し、彼女はシオンを促して彼の傍に向かわせた。シオンはキミィの元に戻ると、急いで彼の背に隠れる。

 その行動は、更にキミィを混乱させる。が、流石と言うべきはその間もその女性と思われる者の観察を怠らわなかった事だ。

 その者は、フードの下は肌にピッタリと張り付いた下着の様な物しか身に着けていなかった。覗く肌も人族のそれに良く似ていて、その外見と相互なく美しく細い。確かに筋肉も程よくついて引き締まっているが、とてもではないが己の蹴りを受け止めたあの力の根源はそれではないだろう。


「魔族だな」

 キミィのその言葉に、彼女は小さく眉を動かし背後のシオンは驚き小さな声を挙げた。


 まだ構えをとかないキミィに全くと言っていい程警戒もせず、その魔族と思われる女性は、水色の髪に己の指を絡ませて口元に笑みを浮かべた。

「やれやれ。こちらに争う気はないというのを言葉という概念と、人質の解放という行動でハッキリと伝えておるのに……

 何故、まだ警戒を解かん? 勇者よ」


「キミィ様……」

 心配そうに背から様子を窺うシオンの声を聴きながらも。キミィは身動きをとらない。

 確かに。

 確かに、目の前のその魔族と思われる女はこちらに攻撃を試みていない。敵意はなく、目的はこちら側との接触だという事はこの経過で理解出来る。

 だが、何故だろうか。

 キミィの脳裏が、体の細胞に眠るその意思が油断を赦さない。

 警戒を緩める事を、その一切を――。


 その原因を探ろうと、必死に記憶と今得られる情報を結び付けていく。

 その一瞬だった。


「そうか……」

 その原因に気付いたが故に生まれた一瞬の空白。その小さな単語がキミィの口から始まり終るまでのその僅かな一瞬で。


 ――しま……

 キミィの意識が深い地の底に沈んでいった。

「すまんな。ここであまり騒ぐのはマズそうなんだ。悪く思うてくれるな勇者」

「キミィ様⁉ キミィ様‼ 」

 心配そうに、シオンが叫んでいる。

 ――鳩尾に……一撃……肘打ちか……立たねば……

 だが、その思惑と裏腹に、彼は懐かしいその感覚に陥る。まるで――地面に吸い込まれていく様な……そんな感覚に。




 ――あたたかい……

 まるで、草原に大の字になって全身に陽の光を受けている様だ。

 だが――その感覚を否定する様に、景色がないそこは一面の漆黒だけが広がっている。


「あなた……」

「パパ」

 キミィの心臓がその声に反応し、破裂しそうな程高鳴った。


「小僧」

「キミィ」

「勇者よ」

 流水の如く、その声の主達の顔がキミィの前から遠く消え去っていく。

 皆が……消え去っていく。


 ――いやだ……皆、行かないで……俺を置いて……行かないで……


 伸ばした手がとても小さい、両手で顔を探ると幼い自分のそれがそこに在った。


 ――俺は……誰もこの手に救えない? 俺は……俺は……

 絶望にうちひしがれる彼の小さな身体に、導きが聴こえる。


 ――誰かが……俺を呼んでいる? 誰が? 

 思い当たる者は。自分の名を呼んでほしい者は。

「…………様…………ミィ様……」

「――キミィ様‼ 」


「シオン――‼ 」

 その声で、飛び起きた拍子が強すぎて、キミィはそのまま彼女に覆い被さった。

「シオン……? 」

 二人の顔の距離は、指一本程の空間しかない。

「キミィ様……よかった……目を覚まされたのですね? 」

 互いの息の音も、それによって擽られる肌の触感も一つに重なりそうだった。


「あ~~、お取込みの所、申し訳ないが。

 他者の情事を見せられるのは照れ臭そうて堪らんので勘弁してくれ」


 その言葉と同時に、キミィは飛び起きると声の主を睨みつけた。


「やあ、ご機嫌は如何かな? 勇者よ」

 二人の間に「パチパチ」と薪を鳴らして焚火が周囲を照らしている。

 気が付けば、もう陽が沈んだ後の様だ。

 その火の明かりに照らされたからか、それとも別の要因があるのか顔を紅くしたシオンがもじもじと起き上がるのを確認すると、焚火の近くにどっかりと座り、何かの木の実を齧ったその女がニヤリと口角を上げた。

「シオンに、礼を言うのだな。飯も食わずに其方の折れた肋骨を回復していたのだ」


 その言葉を聞いて、意識を失う直後打撃を受けた個所を擦った。確かに痛みの面影すらない。

「なぁ、そんな怖い顔をしないでおくれよ。そもそも、其方が大人しく話を聞いてくれれば、話は簡単に済んだんじゃ」

 しかし、キミィは素早くシオンを背に隠し周囲を見渡し刀を探す。


「やれやれ」その反応にうんざりといった感じで女は舌打ちを放つ。


「キミィ様‼ 」

 しかし、それは予想もしていなかった者によって止められる。

「この方は、悪い者ではありません‼ 」

 そう言って、両手を開いて彼の眼前に立ち塞がったのだ。


 流石に、シオンにそこまでされたのだ。キミィは臨戦態勢を解く。しかし、警戒を残したまま、シオンの近くに立つと女に言い放つ。

「……今一度、訊こう……何者だ? 」

 その視線を水色の髪越しに女は受け取ると、小さく息を吐いた。

「まずは、近くへ座り給えよ。立ったまま見下されては流石に気分が悪い」


 その言葉を聞くと、シオンが駆け足でその女と焚火を挟んだ向かいにちょこんと正座する。そして、ジッとキミィの方へ瞳で訴えかけている。

 渋々といった感じで、シオンの隣にキミィも腰を下ろした。


「……それと、暗闇で把握出来ないという事もあるが……ここは何処だ? 」

 女は、もう一つクルミを手に取るとカリカリと音を鳴らし小気味よく咀嚼する。

「最初、其方達がおった場所から、南に3キロといった所か、あと半径数メートルに、外部から干渉出来ん様に、わらわの魔法結界を張っておる」

 シオンがそこで、嬉しそうに言葉を挟む。

「このお方が、キミィ様を抱えて運んでくださったんですよ‼ 」

 自分が気を失っている間に、一体何があって、これ程までに彼女がこの女を信頼しているのか、キミィは疑問を抱えたが、今はそれよりも重要な事がある。

「先程の質問に……」

 すると、キミィの言葉の途中で二人の眼前に、石鍋がそっと向けられ話の腰が見事に折られた。

「ふふ、真似てみた、これ食うてみよ」

 そして、悪気もなく女は笑顔でそう言うのだ。

 すぐさまシオンが礼を言って、それを幾つか受け取るとキミィにも差し出した。

「クルミ……」

 呟いていると、無警戒にもシオンがそれを口に入れる。

「シオン……‼ 」

 だが、にこにこと笑顔を浮かべると、女に向かい「おいしい」と答える。

 それを見てキミィもそれを口に運ぶ。

 ――精霊が反応しない……毒は無さそうだが……


「うまいか? 」

 ――おいしい? キミィ。


 尋ねかけてきた女の顔が一瞬、亡き妻の顔と重なり、キミィは顔を背けた。


 その後僅か半刻程で、シオンが久方ぶりの眠りにつく。それもキミィの傍でだ。その穏やかな寝顔は、パレスで再会してから初めてだったかもしれない。


「慣れない回復魔法を必死て施していたからな、疲れたのであろう」

 キミィはシオンの薄藤色の頭髪を撫でると、女を真直ぐに捉える。


「お前は……何者だ? 何故、貴様に魔王の影が重なって見えた? 」

 キミィの言葉が、焚火越しに届く。すれば、女は「はははは」と声を出して笑う。


「そうか、わらわに魔王の面影を見たか。流石は勇者じゃ」

 そこで、女は笑顔を消してキミィの瞳をジッと見定める。


「如何にも、わらわは其方達に滅される前に魔王がその身体から生み出した化身。言うなれば分身体じゃな」


 焚火が激しく音を立てて燃え盛った。


「魔王の化身……だと? 」

 その様子に、無表情のまま女はキミィの方へ葛飾一茶を放り投げる。それを戸惑いつつもキミィは受け取ると、素早く鞘から刀身を抜いた。


「……闘るかい? 勇者よ。其方程の猛者ならばわらわとぶつかればどちらが残ってもまず無事で済まない事は理解出来よう? こちらが敵意を見せておらぬのに、何故わらわ達が争わねばならん? 」

 言葉と、仕草はまるで余裕と自信の表れだろうか。女はまるで気にしていない様な素振りでそれだけ口にした。

 その理由はキミィにも理解出来る。

 ――どちらが……残っても――だと……

 噛みしめた唇が血を滲ませる。そして刀を向けたまま横目で眠るシオンの顔を見るとやがて刀を鞘に戻した。


「聡明な判断だと思うぞ」

 女の言葉を気にせず眠るシオンの傍に腰を下ろす。

「二つ、尋ねたい」

 キミィはそのまま指を二本立てて女に見せる。顎に噛みしめた唇の血が垂れたが、気にもせずに質問を続けた。

「申してみよ」

 女は、腰に携帯していた瓢箪から何かを飲み、彼の言葉を待つ。


「何故、場所を移動して結界まで張った? 」

 その質問には、正に即答といった返事がある。

「あの場所は魔竜騎士グランディアの残党のアジトが在ってな。殆どが白騎士の部隊に駆逐されて粗方壊滅状態だが、あまり人族がうろつくには良くない場所だ。ましてや、魔族を連れてなどな……」


 その答えは確かに森の資源が人族によって消費されていなかった事等己で観察た情報とも辻褄があう。そして、周囲にこの女の仲間の気配も感じない。

 何より――結界に対してもウィスパが反応していない。少なくとも罠というわけではないようだ。


 ――となれば、残る疑問は一つ。

「何故、魔王の化身が私達に近付く? 」

 真剣な表情でそれを尋ねたキミィと裏腹に、その質問には今までとは違う態度を女は見せた。

「あ~~~それはのう……」まるで、言いにくそうに女は、後頭部を掻いた。

 キミィも、その反応には真意が読めず、困惑を表情に浮かべた。

「わらわにとって現在の~~~主? というか……その……」

 そこで、女はまるで人族の女性の様に恥ずかしそうな表情を浮かべて頬を掻く。


「夫にの……其方達の案内を……頼まれてな……」


「夫……だと? 」


 顔を真っ赤にして女はグニャグニャっと口をモゴモゴとさせて、囁いた。


「わらわのフルネームは……クラリス……クラリス・クラウン。

 夫は……其方も良く知る男じゃ……

 アレク……

 アレク・クラウン」


 ゴォゴォと勢いを増した焚火がようやっと落ち着いていたのに。


「はぁああ~~~~~~⁉ 」

 キミィの驚いた悲鳴で、再び火がうねりをあげて燃え盛った。

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