act1:エピローグ
「ガシャ」っと、シオンの横で、重い物が落ちた音がした。
見ると、巾着の袋が傍にあった。
「大金……という訳では無いが、暫くはそれでやれるはずだ。ここも、もうすぐ逃げた者達の報告によって、国の兵士達が押し寄せてくるだろう。
長居はしない方が良い。
その金を持って、どこか遠くに行くといい」
そこまで言うと、彼もまた脱出の際、手にした薄汚いマントを頭から被り「じゃあな」と、一言だけ残して、シオンが向かうであろう方向の反対側へと歩み出した。
それは、最後に出来る彼女への援護。
懇願に対しての失敗による自責の念もあったのか。
なるべく、彼女が遠くに行けるまでは。
自分が囮となろう。そういった意図の行動。
もう、陽も暮れる。恐らく、今日一日は夜も大規模な捜索となる事だろうが、今夜は新月だ。闇に乗じて空路を進めば。きっと無難に退却出来るだろう。
「だから、私に付いてくるな。君は、君の安息の場に行くんだ」
キミィの随分後ろで、小さな影が「びくん」と動く。言うまでもない。シオンがフードを抱きかかえながら付いて来ていたのだ。ばれぬ様。裸足の足に血を滲ませ。ふらつく身体で、必死に追いかけて。
「母親の事は、申し訳ないと思っている。気の毒な事になった。でも、もうどうする事も出来ない。失った者は喩え精霊の力であっても。魔王の力であっても。元に戻す事なんて出来ないんだ。そして、君の記憶がどこまで残っているか解らないが、私ももう『勇者』ではない。国家に叛逆した……唯の逃亡者なんだ。危険なんだよ。私と居る方が」
そう言って、振り返るとキミィは歩幅を広げ、その速度を増して進みだした。振り切ろうという判断か。
どれ程、歩いただろうか。
周囲は陽の光をすっかりと落とし、静寂と漆黒に包まれている。
キミィはようやっと後ろを振り返った。
――居る筈……ないか。
それは、解っていた事だ。だが、何故か胸を騒がせるのは、なんの報せなのだろうか。
彼は、気付くと少し、来た道を引き返していた。
地平線に隠されていた、その次の景色の
息遣いが聴こえる。
何の事はない。自分のものだ。とキミィは己に答えた。
だが、違う。違ったのだ。
その息遣いは、確かに――二つ。あった。
「シオン‼ 」
暗闇の中でも、はっきりとそこに横たわりぐったりとしている者の影を、キミィは確認した。思わず、声の方が先に出てしまったのは。
彼の中の何かが――
「こないで……くだ……さい」
助けに近付こうとしたキミィに、シオンは、途切れ途切れの言葉で遮る。
「足手……纏い……には……なりません……
自分の事は……自分で……します。
だから……」
暗闇で、蒼眼と金色の瞳が重なり合う。
「もう、ひとりは……やだ……」
一人。
しかし。
ひとり。とは、決して人。だけの為の言葉ではない。
犬も、鳥も、猫も、魚も。
動物だけでもない。
樹木も。或いは、空に瞬く星ですらも。
そして、勿論。魔族も。それを恐れるのかもしれない。
独り。総じて孤独。
それになった時。種は終焉を意味する。即ち、生物の本能が感じる。恐怖。
シオンは、彼と出逢って二度目の、涙を溢した。
母親が死んだ時にすら、必死で堪えた涙を。溢した。
「もう……ない……から……
あたしに……帰る所……もう……ないから……」
子ども。
子どもが泣いている。
寂しいと。
独りにしないでと。
理屈ではない。
打算でもない。
キミィは、シオンに駆け寄ると、その胸に強く抱き締めた。
それは、スカタが死ぬ前に自分にした様に。
それは、遠い日、己の娘をそうした様に。
あの、暗い森で握った手を、離してしまうところだったと。
キミィは、己の行動を悔いた。
「私が、君を」
キミィの腕に、懐かしい温もりが胸を叩く。
「必ず。安心出来る場所に連れて行く。
約束しよう。シオン。
君が泣く事のない場所に私が必ず連れて行く」
※※※
「おい、そっちどうだ? 」
「駄目だ。何もかんも燃えちまって粉になっちまってるぜ」
見世物屋から脱出出来た観客の話を聞いて、調査に来た兵士達は、およそその状態に、生存者の可能性等、皆無だと判断した。
「あ~俺も追走隊の方に行きたかったぜ。
伝説の勇者様を討ち取ってやりたいぜ~」
そう言った彼が、足元に何かを引っ掛けて転んだ。
「おいおい。何やってんだよ」
呆れた様に、もう一人の兵士が近付いた。そして、それを見て、動きを止めた。
彼が転んだ足元から、異様なものが湧き上がっている。
湯気。いや蒸気だ。暗闇でもはっきりと解る。真っ赤な蒸気。
そして、それは鉄生臭さも帯びている。まるでこれは。
そう思った瞬間だった。
足元の土が一気にせり上がり、人影が暗闇に浮かびあがった。
「きみぃぃいぃいぃぃぃ・はんっっっどぅるぇっとおおおおおおおおお‼ 」
暗闇を背に。その影は、高らかに。狂気に満ち満ちた叫びを挙げたのだった。
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