第四話…「始まりの時と帰らぬ思い人」【3】


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「…シュス…カラ……」

 杖の先から赤い球が現れ、それが天高く撃ち上げられる。

 譲さんへの問題アリの合図代わりだ。

 今あるこの問題を1人で対処できる自信はあるが、どうにも気持ちが悪い。

 地揺れの後で見た事のない魔物が襲ってきている…、この状況、偶然にしてはいささか妙だ。

 少しでも安全性を高めるため…、彼女は騎士であり、小隊を任されるほどの隊長、見て見ぬふりはしないだろうし、少なくとも意味が分からなくても警戒ぐらいはしてくれるだろう。

「ふぅ…」

 襲い掛かってくる魔物を避け、その度に多少のダメージを与え、少しでも相手からの同時攻撃を受けないために、魔法を撃ってその連携をとにかく崩す。


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 打って斬ってを繰り返せば、普通の生き物なら、動物魔物問わず動きが鈍くなっていくものだが、この相手達はその経験が当てはまらないらしく、個体ごとの攻めの勢いを和らげる事はなかった。

「…ヒノ…カムイノミ…グロー…トイエ…レラ…ミ…エイワンケ…」

 今度は、手に持った剣自体に魔法をかける。

 光を放ち始めた剣は、次第に風を纏う。

 そして、迫る魔物にその剣を力一杯振るうと、さっきまで深手を負わせる事の出来なかった魔物の肉をあっさりと断ち、それどころか…その先…、骨をも容易く断ち斬ってみせた。

 さっきまで避けつつ隙を見て攻撃…という立ち回りしかしてなかったが、今度は自分から魔物に迫る。


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 近づいていく魔物に対して、一振り二振りと剣を振り、そのこと如くを斬り伏せ、一瞬で3匹の魔物を倒す。

 魔物からの返り血等はなく、体が舞い上がる砂ぼこりで汚れ、じんわりと流れだした汗がその砂を固める…、その汚れを拭う事なく、襲い掛かる魔物達を返り討ちにしていった。

 倒れていた最後の1匹に止めを刺そうとした時、背中に突き刺さるような気配を感じ、恐怖を覚えつつも急いで振り向く。

 そんな俺の目に映ったモノは、何かが当たって顔が変形した魔物が一瞬して視界から消えた光景だった。

「なっ!?」

 あまりに一瞬の出来事に思わず驚きの声がこぼれる。


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 しかし、俺の驚きはそこだけで終わる事はなく、先ほど動きを封じたはずの魔物達が動けるようになっている事に驚かされた。

 今の1匹だけが動けたのなら驚きはしない、さっきかけた魔法は決めた場所に上から重い物で押さえ込むような効果を与えるモノだ。

 体自体を動けなくするものではないから、その空間から出てしまえばいいだけの事…、動けない程の状態になっていた事は見えていたし、そこから全ての魔物が抜け出していた事に驚いた。

『集中してくださいッ!』

 驚きで、半ば放心状態だった俺に、少し離れた場所から声が響いた。

 声の主は譲さんだ。

 そこでさっき魔物の顔が変形していた理由に気付く。


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 あれは譲さんが持っていた盾だ。

「ッ!」

 俺が譲さんの存在に気付いたのと同じように、魔物も彼女の存在に気付く。

 そして魔物達は、残った5匹のうち、2匹が俺の方へ、そして残りが彼女の方へと走り出した。



 この数日間彼と行動を共にしていて、意味のない事をするような人ではないとわかっている。

 少なくとも、相手に損な事をさせる人ではない。

 だからあの赤い光が何の意味を持つのか、それを理解はできなくても、何かしら彼のいる場所で変化があったとわかった。


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 最初は小走りで戻っていったけれど、そこに近づくにつれて、その変化に気付く。

 何もない状態では到底聞こえる事のない音、何かはわからないけれど、魔法を使っているような音が、私の耳に届いた。

 小走りから早足になり、脇に抱えていたヘルムを被って、丘のてっぺんまで来ると、彼が戦闘をしている光景が目に入ってきた。

 急がなければ…と焦ったが、彼の戦う姿を見てその焦りはすぐに鳴りを潜める。

 発声魔法で相手をけん制し、相手の攻めの勢いを削いで、最終的に魔法を纏った剣で魔物達を一網打尽にしていった。

 その姿は、私の知る魔法使いとは戦い方が全く違うモノ。

 彼の、馬車の操り手だけでも大丈夫…と言っていた意味を理解できる光景だった。

 とりあえず一安心と言った状態だったが、それもすぐに緊張感の走るモノへと変わる。


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 彼が倒れた魔物へ止めをさしている時、彼の後ろの草原に動くモノが見えた。

 距離はあったけど、私はそれが倒された魔物と同じモノだという事に気付いて、後ろ!…その一言を叫ぼうとして、寸での所で言葉を飲み込んで走り出す。

 彼の所まで距離がある。

 彼に私の言葉が届いても、それの意味を理解して行動に移るまでに、魔物が彼を襲う方が速いと感じた。

 見える範囲では数体の魔物がいるが、彼に近づいて行っているのは1体。

 到底、剣が届く距離ではない中、おもむろに背負っていた盾を取って投げつける。

 勢いよく風を切って飛んでいった盾は、魔物の牙が彼に届くよりも早く、その頭部へとめり込み、後ろへと叩き飛ばす。

「集中してくださいッ!」

 直剣を抜くと同時に、魔物に自分の存在を気付かせるため、少しでも彼から別のモノへ…意識を向けさせるために叫ぶ。


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 彼も起きた事に対して驚いていたが、私の声に我を取り戻し、魔物もこちらに気付いて3体程がこっちに向かって走り出す。

 釣れた魔物を見て、一度周囲の状態を確認してから、私も直剣とは別に持っていた短剣を抜いて走り出した。

 魔物の動きは直線的で、ただ相手を仕留める事だけしか頭にない動きだ。

 相手との距離が狭まり、ここぞという所で抜いた短剣を投げつけて、まず1体目の魔物倒すと、続けて直剣の方も投げて、それもまた魔物に当てる。

 トドメとはいかなかったものの、直剣が体に刺さり、その魔物は走っていた勢いもあって盛大に転がる。

 目の前で仲間がやられたにも関わらず突っ込んでくる魔物の攻撃を避けつつ、その首を掴むと後方へと投げ倒し、その隙に先に倒れた魔物から直剣を引き抜くと、すぐさま地面を蹴り、投げた魔物に向かって一気に距離を詰める。


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 魔物も起き上がって、その大口で私を噛み殺そうとするが、口が咥えたのは直剣だった。

 一瞬で真っ二つになった魔物はそこに何も無かったかのように消え去り、残った魔物にトドメをさした頃には彼の方も襲ってきていた魔物を片付けていた。



 数は多かったが、それでも他の犬型の魔物と比べて知能は低い印象を受けた。

 最後の2匹も直線的にただ突っ込んできただけだ。

 他の魔物だったら、仲間の半分がやられた時点で逃げていくし、早ければ最初の奇襲が失敗した時点で襲うのを諦める連中もいる。

 今回は助かったが、喜べる状況ではない。


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 結局、自分1人だけだったら怪我をしていただろうし、下手をしていたら死んでいた場面があった。

「はぁ…」

 それを思うと自然とため息がこぼれる。

『怪我はありませんでした?』

 そこへ駆け足で寄ってくる譲さんに対して、聞こえていないだろうが思わずため息の出た口を隠すように手を当てた。

 まぁそれもすぐにどけて、盾で叩き飛ばされた魔物の方を見る形で顔を背ける。

「俺は大丈夫だ。馬の方も襲われてない」

「それはよかったです」

「連中、馬とかには目もくれずに襲ってきた。少しばかり、俺の知っている魔物とは思考が違う」


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 俺は近くで倒れている魔物を指さす。

 盾で叩き飛ばされ、動けずにいる魔物、他の連中は止めを刺す事で消えてしまった。

 残っているのはこいつだけだ。

「見た事のない魔物ですね。この辺にはこういう魔物が生息しているのですか?」

 兜を脱ぎ、魔物に近づくと、彼女はしゃがんでじっくりと観察していく。

「いや、こいつは俺も初めて見た。少なくともこの辺に生息している魔物じゃないな」

「そう…ですか。私は任務でサドフォークの各地に赴く機会が多いですが、それでもこの魔物は見た事がないですね。単純に遭遇した事が無いだけかもしれませんが」


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「まぁ何はともあれ片付いた訳だし、ここで延々と足踏みしてても仕方ない。先に進むぞ」

 俺は魔物に止めを刺し、その体が消えるのを確認して、譲さんの横を通って、俺の馬車が走っていった方向へと歩き始めるが、その足をすぐに止める。

「その…なんだ。さっきはありがとな。おかげで助かった」

 譲さんに助けられてばかりな気がして、申し訳なくて言いにくい気分になりつつ、俺は彼女に対してお礼を言って足早に馬車に向かって歩き出す。

「いえ、私は当たり前の事を…、あ、別に歩いて行かなくてもこちらの馬車に乗っていけば…」

「いやいい、気にするな。ちょっとした気分転換も兼ねてるから、気をまわさなくて大丈夫だ」


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 振り返る事なく、俺は言い訳がましく答え、歩く足を止める事はなかった。

 普段、何かをする側に立つ事が多いせいか、形はどうあれ誰かに何かをしてもらうというのは、何か自分に足りなかった事がある…と引け目を感じてしまう。

 そういう事は普段は気にする所ではないけど、彼女と行動を共にしていると、普段起きない事にばかり遭遇しているような気がする。

「今回は単純に俺の問題だが…、譲さんといるとどうも調子が狂うな」

 それが普段相手にしていない種類の人間だからなのかどうかはわからない。

 だから少しでもいつも通りの自分に近づけるようにと、あえて馬車まで歩く事にした。

 単純に1人になりたかったとも言えるが…。

 とにかく、短い時間ではあるが気分転換をするにはちょうど良い。



 太陽が沈んで長く暗い時間が過ぎ、再び太陽が昇ってさらに長い時間が過ぎた。


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 途中、結界を張り直したりして休憩時間を作っていたから、ずっと戦ってきたという訳ではないけど、普段魔法を使っている時よりも疲れているような気がする。

 場所が場所なだけに、この辺一帯は魔力に満ちていて、いくら魔法を使ってもそれが無くなる事はないけど、だからこそ、魔法を使う量が普段よりも多くなっているのかもしれない。

 そして今自分のいる場所では、再びあちこちから炸裂音が響き渡っている。

 波はあるものの、多くの魔物魔人が押し寄せるこの空間では、皆が1体でも多く獲物を仕留めようと魔法を使う。

 一方はその魔人の胴体を撃ち抜き、一方は地面ごと魔物を吹き飛ばす。

 魔物魔人は常に魔力という糧を求めて彷徨い、人間は常にその脅威と戦い続ける。

 やらなければやられる状況に置かれているとはいえ、その空間は、世界の、両者の関係性の縮図とも言える状態、弱肉強食の世界だ。


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 村の中で生活し、狩りをしてきた大人達にお帰りと言っているだけでは到底知る事の出来ない現実を思い知らされている。

「…ヒノ…カムイノミ…エエン…アイ…シュス…カラ…ッ!」

 呪文を唱え終わるのと同時に、私の正面に狩猟用の矢の形をした魔力の矢が作り出され、ゆっくりと歩く腐人へと勢いよく飛んでいき、その頭を撃ち抜く。

「いいぞ、ヴィーゼ、その調子だ」

 後ろからおじさんの褒める声が聞こえてくるけれど、複雑な気分だ。

 おじさんが放つ本物の矢は速い動きを見せる魔物も平気で撃ち抜く、それに引き換え私は、矢の速さだけではこちらの方が上なのに、動きの鈍い相手を狙うのが精一杯。

 そういった事と、狩る側に立っているという状況、一歩間違えれば狩られる側になってしまう状況、正直褒められても喜べないし、始まってから長い時間が経過した今でも、時折手が震える。


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「もうひと踏ん張りだ。そうすりゃあ昼飯、休憩時間」

「は、はい」

 魔物と魔人では魔物が圧倒的に多く、魔人はいても腐人がほとんどで他の魔人はいないと言っていい程、だから速い相手を倒せなくても、狙う相手を選べば何とかできる。

 犬、牛、イノシシ、普段から見ている動物が魔物としてその見た目を変化させていた。

 体毛や皮が剥げている魔物、頭が2つある魔物、普通よりも大きな体になった魔物。

 その特徴は動物の種類とは関係なく千差万別だ。

 特徴が目に見えて明らかなのが、気持ちを紛らわせる力になってくれている。

「…ヒノ…カムイノミ…エエン…アイ…シュス…カラ…」


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 大人の人達が率先して動きの早い魔物達を狙い、私たち未成年者はそれ以外を狙う。

 だから何だかんだと獲物を仕留める事が出来ていた。

 祭りが始まってから何度目かになる赤い球体が打ち上げられ、休憩を知らせるとともに、それを証明するかのように、魔物がその数を減らし始める。

 やっと休憩か…、そうこの場にいる全員が安堵するように息をつく。

 しかし、魔物の最後の1匹を仕留めようとした時、異変が起きた。

「俺がやるっ! …ヒノ…カムイノミ…シュターク…ブルォフ…タマ…シュス…カラ…ッ!」

 我先にとストーが飛び出して、魔法を放つと共に砂ぼこりを舞い上げ…

ドガアアァァーーーンッ!


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 予想していた以上の爆音が響き渡った事で誰もが驚きの声を漏らした。

『おいおい、ストー加減てもんをしろよな』

『そうだぜ、思わずビクッて体が浮いたぞ』

 成人の儀に参加していた人間からは、からかうような言葉が飛んできて、それにつられるようにストーは頭を掻きながら笑う。

『いや~、これが終わったら休憩だと思うと力が入っちまったぜ、はははっ』

 でも、聞こえてくる声は若い人のものばかりで、大人の人の笑いは一切なかった。

 その時、スッと私の横をおじさんが通り抜け、私たちがそれに気づいた頃には、その手に持つ弓がバチンッという音を鳴らし、それが矢を放った音と気付いた時には、ヒューーンッという音と共に、砂煙から出て来た魔物の首を射抜いていた。

「油断するな!」


---[66]---


 おじさんが叫ぶ。

 最初は私を含め若い子達皆が同じ事を思った事だろう。

 ちゃんと仕留められたかもわからない状態で、さも全てが終わったかのように気を緩めるな…て。

 でもおじさんの言った事の意味は、それに近いモノだったかもしれないけど、私たちが意識を向けるべきはもっと別のモノだった。

 おじさんを含め、大人の人達はその異変に気付いていたのだろう。

 その異変はすぐに姿を現した。

ドガアアアァァァーーーーンッ!

 再び爆音が響き渡る。

 今度は体に感じる程の地響きを発生させ、音だけで体が震えるモノだった。


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 そして、視界に入ってきたのは舞い上がる砂ぼこり。

 ストーが放った魔法のモノではなく、そのさらに奥。

 ちょうど結界の合図が上がっていた近くだ。

 砂ぼこりは空高く舞い上がり、その周辺一帯を覆い隠していった。

 それから、辺り一帯に息が詰まりそうな静寂が訪れる。

 何が起こるか分からず、全員が口をつぐんだ。

 予定にない事、異常な事が起きていると、周りの大人の人達から発せられる緊張感から伝わってくる。

ドガアアアァァァーーーーンッ!

 またも大きな爆発音が響き、今度は小刻みにドンドンッ!という音が鳴り響く。

 それは次第に大きさを増し、何かが近づいてくるという事が嫌でも伝わってきていた。


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アアアアァァァァーーーーッ!

 何かが近づいてくる方向、木々を薙ぎ倒しながら迫ってくるそれは、地響きと共に耳をつんざくような甲高い叫び声にも似た咆哮を響かせる。

 そいつは現れた。

 一言でいえば、真っ黒な巨体で人の姿をした何か…。

 それは、2本の足で立つ事なく、手を使って四足歩行の動物のように動く何か…。

 その体の輪郭はまるで靄が掛かっているかのようにぼやけて、その皮膚は人の顔のようなものがびっしりと隙間なく詰まっているようにも見える。

 明らかに異常なその容姿、全員がその姿を目にして言葉を失った。

 その巨体、その顔にある大きな目は同じ場所を見る事はなく、好き勝手に動いて周囲を見ていた。

 でもしばらくして、その一致しない目の動きが、ある一点に定まる。


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『全員! 魔法準備!』

 ニッコリとその醜い顔に満面の笑みが浮かんだ時、誰かが叫んだ。

 魔物か、魔人か、もはやその枠組みに入る存在なのかもわからないそれが動き出す。

 ある場所…、その眼に映るのは…「封印の杭」…ただそれだけだった。


 その瞬間動けていたのは大人の人達だけ、私を含めて成人していない者は誰も動く事が出来なかった。

 腰を抜かして動けない子もいたし、涙目で今にも泣きだしそうな子もいた。

 周りからは発声魔法の呪文を唱える声が聞こえて来て、その化け物の体が爆発したり、斬り裂かれたりと、正直、目を覆いたくなるような光景で、それでも、何度吹き飛ばされようとも、その化け物は杭へと向かう足、手を止める事はない。


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 その傷ついた体はその瞬間に再生し、周囲に黒い液体のようなものをまき散らしていった。

 倒せず、杭に近づけさせないようにする事しかできない事に、さらに皆の目を曇らせ、判断を鈍らせる。

 皆がみんな、その醜い化け物に目を奪われている中、その隙を突くかのように他の脅威が襲ってきていた。

 一人の大人の人が、糸の切れた人形のように、その場に倒れ、赤い液体を天高く噴き上げる。

『いやああぁぁーーーっ!』

 女の子が叫び、何が起きたのかを皆が把握し始め、何が起きたのかを考える必要もなく答えが姿を現す。


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 化け物がまき散らした液体が動き、それが次第に膨らんで犬のような形に変わっていった。

 それは村の近くに出たという黒い犬型の魔物かもしれない。

 私は実際にその魔物は見ていないけれど、聞いた話と特徴が似ている。

 村の近くには似た魔物は生息していないから、まず間違いない。

「…っ!?」

 1匹の犬型の魔物がこちらを獲物と捉えて走り出す。

 その瞬間に感じ取れた魔物からの殺気に思わず後退りしてしまい、足がもつれて盛大に尻餅をつく。

 魔法で迎え撃とうとしても、何をすればいいのか、どんな魔法を撃てばいいのか頭に出てこない。


---[72]---


 自分を噛み殺そうと飛びついてくる魔物に対して、何の行動もとれず、何の意味もない申し訳程度に腕で胸から上を覆うように防御する。

 しかしそこからいくら待っても、衝撃も、痛みも、何にも起きる事はなかった。

『立てッ!』

 そんな叫び声と共に腕を掴まれて無理やり立たされる。

「戦えとは言わねぇ! だが自分の身ぐらいは自分で守れ!」

 それはおじさんだった。

 横の少し離れた場所には矢で射抜かれた魔物が倒れ、すぐに弾けるようにして一瞬でその姿を消し去る。

「わ、わたし…」

 混乱状態の私とは対照的に、おじさんは襲い掛かる魔物にその弓を引いていく。

アアアアァァァァーーーーッ!


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 再び発せられる化け物の咆哮に私は思わず耳を塞ぐ。

 空気が震え、咆哮が風のように体に当たってくる。

 そんな中でも、魔物は自由に動いて私たちに襲い掛かってきていた。

 しかも誰が未熟で誰が熟練した相手なのかを理解して、優先して私たち未熟者に襲いかかっていく。

 さっきまでは大人の人達の助けもあって何とかなっていたけど、今の咆哮で全員の動きが止まり、その後は当然無傷で済む事はなかった。

 ある者はそのまま首を噛みちぎられ、ある者は助けられても大人が庇う形で負傷し戦力が削られる。

 咆哮はその瞬間、その時点での形成を逆転させた。

 自分を止めるモノの無くなった化け物が、私たちを越え、杭へとたどり着く。


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 進める足を緩める事なく、そのままの勢いで杭に体当たりをし、化け物の体は原形をなくして液体のようになると、そのまま杭に纏わりついた。


 瞬間、今度はゴゴゴッという地鳴りが起きる。

 それは次第に大きな地揺れへと変わり、立っていられないモノへと変わった。

 いつの間にか犬型の魔物は姿を消し、視界が大きく揺れる中で、何が起きているのかわからなかった私はその場に座り込んで、ただただ頭を守るように手で抱える。

 そんな時、視線を封印の杭の方へ向けると、その姿に異変が生じ始めていた。

 杭にヒビ割れのようなモノができていて、それが発光し、揺れる視界の中でもその存在を確認できる程強い光を放つ。

 そのヒビは、最初は小さく、次第に大きくなって杭全体に広がっていく。


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 地響きと地揺れが収まる頃には杭全体にヒビが入り…、今までそこにあったモノの形が崩れ始めた。

 まるで一瞬で溶ける氷のように、初めからそんな形では無かったかのように一瞬にしてその形を崩し去り、その封印の杭だったモノは周囲に水のようになってそれを飛び散らせた。

『ギャアアァァーーッ!?』

『ヤアアァァーーッ!?』

 比較的杭の近くにいた人たちにその飛び散ったモノがかかると、尋常ではない叫び声を上げ、それが周囲に響き渡った。

 その液体がどんなモノなのかわからなくても、その叫びから良い事が起きない事は容易に想像できる。


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 液体は次第に一か所に集まり始めて1つの大きな球体を作り出すと、その中で犬型の魔物が液体から体を作り出した時とのように、球体の中で何かの形を作り始める。

 それは巨大で…、長い尾を持ち…、どんな巨体でも空を飛ばせる程の翼を持つ、鋭いかぎ爪と牙のある存在。

 実物を見た事はない。

 過去、形を変えても長きに渡って語り継がれてきたモノ、物語の中の存在としか思っていなかったモノが形作られていった。

 その球体は一種の卵…。

 瞬く間にその中身は出来上がり、用を無くした卵の殻はひび割れ、弾け飛ぶ。

 膨大な魔力を集める封印の杭、それを元に出来上がった卵、必要なモノを作り終え余った魔力が行き場を無くして、その卵から出ていった結果だ。

 弾け飛んだその球体、その卵、押さえ込まれていた魔力は例えようのない衝撃波となって、周囲一帯をえぐる様に吹き飛ばし、その対象は私も例外ではなかった

 吹き飛ばされるその一瞬、目に映ったのは黒い魔力を纏った「翼竜」の姿だった。


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