第65話 青いなみだ




 ――……それでも、現在は続く。

 彼らが、過去と言うドキュメンタリー映画を一本みている間にも、あの現実たちは続いてゆく。

 どちらにしろ干渉できないならばと、私の時代を覗き見る黒い少年は、何を思うのか。

 そして私自身も、何を思い出すのか。

 怨恨えんこんと憎悪の集合体と化していた私に、“ボク・・という自我・・”なるものが芽生え始めている。


 ……それは何故なのか。

 ボクは彼と過去を覗き見ながら考えることにした。







【青の集落】


 バシン……と、肌を弾く音が樹の家の中に響いた。


「フミル……!」


 頬を打たれた少女は呆然とし、頬を打った青年のような少年は、眉をつり上げて彼女を睨み付けている。

 彼の傍らの雀茶色の少年も、若葉色の少女と同じ顔をして、同じ表情を浮かべていた。

 罪悪感と怒りに惑い歪む心を隠すことなく彼、アトゥイはフミルにそれらを全てぶつけて、平手で頬を打った。


「今さらっ……いまさら勝手なこと……言ってんじゃねぇ……!!」


 フミルの頬は確かな痛みに疼き、熱を帯び朱色に染まっている。

 ……けれど、彼はきちんと手加減をしていた。

 殴る前の一瞬、堪えきれなかった憤怒の感情を彼なりに抑え込んだのだろう。

 女の顔を殴ることに躊躇ためらいながらも、殴り付けなければ気が済まない、言の葉の暴力が彼女の口からこぼれ出たから。

 アトゥイはただ純粋に人として、少年のつがいとしてフミルを許せなかったのだ。


 ……性別など些細な違いに過ぎないのだから怒り任せに殴り倒しても良かったのに。

 ……そう思うほどの失言をフミルは口にしたのだから。


「お前は……要らなかったんだろ。ペトを捨てただろ」

「! ……っだからって貴方に」

「お前はカントを選んだ! 兄弟を捨てて守護者であることを決めたんだろ!? だったらそれを貫けよ!! 今さら姉貴面してお前こそなんのつもりだ!? 何様だ!!」


 フミルがこれ以上口を挟む余地はない、アトゥイの怒りが増すばかり。

 カントはフミルの肩を掴み寄せて、ペトクルは激昂するアトゥイの腕を掴み止めている。

 ……が、それでもペトクルが彼の唇を塞がないのは、おそらくペトクルもフミルに同じ怒りを覚えたからだろう。


「っ……だからって……! だからって貴方達にくれてやる道理なんかないわよこの人殺しっ!!」

「! フミル、やめなさい……」

「貴方達こそ私達からどれだけ奪えば気が済むの!?」

「フミル!」


 カントの制止の声も虚しく彼女も彼に怒号を浴びせ続けた。


「カントのパパも私達の家族も故郷も! 奪ったのは貴方達青の民じゃない! この虐殺者っ! 略奪者だったも結局ぜんぶ貴方達のほうじゃないっ!」


 アトゥイはぐっと唇を噛み、青の娘達もマーシュも何も言わずに黙って聞いていた。


「あの時……私は確かに捨てたよ! カントと行く以外の全部を切り捨てたわよ! だけど……だからってどうして貴方なんかに渡さなきゃいけないの!? ぺティは私の大事な弟! 私は当然の」

「黙れよ」


 フミルを遮る低い声、それは青年のような少年のものではない。

 ”略奪者”や“殺戮者”と言われた瞬間、少女、フミルに手を上げるほど荒ぶっていた彼、アトゥイの怒りの感情は、悲しみに負けてしまっていた。


 ……黙らせたのは雀茶色の少年だ。


「……黙れよ、女」


 そう言い放つ少年の低い声は、フミルの知らぬ音色をしていた。

 フミルは聞き覚えのないペトクルの声に眉を寄せる。男子特有の声変わりも経験しただろう、しかしそれを想定しても低く、地の底から深く響く声だ。


 ……雀茶色の少年もまた怒りを露にしている。

 それも青年のような少年にではなく、目の前の少女に対してだ。それを示すかのようにペトクルはフミルの前に立ちはだかり、大きな彼を小さなその背中で守る。

 フミルを睨み付けるペトクル、シン……と静まり返った室内で彼は更に口を動かす。


「アトさんの言う通りです。貴女は家族よりも何よりも……誰よりも彼女カントこそ大事な存在だと自ら選んで、決めて、それ以外は捨てた筈でしょう?」

「そ……っだけどぺティ! 私は……」

「ならば死ぬまで意思を貫け。……ボクも、ボクのために貴女に言わなきゃならないことがある」


 ペトクルの低い声、軽蔑するような憐れむようなその眼差しをうけ、フミルはぐっと固唾かたずを飲んでから唇を動かす。


「な、……なぁに? ぺティ」

「これ以上アトさんを傷付けるつもりなら女でも容赦しない」

「! ……ペ、ティ……」

「ボクは彼ほど甘くないから、手加減なんかしてやらないよ? 殴られたくなきゃ口を慎め、女」


 ……ペトクルは彼女を、彼女らの名を頑なに呼ぼうとしない。

 たとえ愛称があっても、それを覚えていても、今は頑なに呼ぼうとしない。

 少年の決意は少女のそれより遥かに強く固く、揺らぐことはない。


 睨み合う双子の姉弟きょうだい

 歪み合う双子の兄妹きょうだい


 二人の空気に堪えかねて、最初に駆け出したのは……青年のような少年だった。


「……! アトゥイ!」


 無言で去り行く背中を見て、ペトクルはすぐに彼を呼び追い掛けた。

 外へ出てゆくだけならいい、しかし今の、彼の冷静ではない状態のままでは結界の外まで行きかねない。

 茫然自失のフミルにはカントがいる、そして彼女らをよく知り、彼女らもよく知った存在、デューがいる、こちら側になんの問題もない。


 ……ペトクルの判断は正しい。

 アトゥイには誰も居ないのだ。

 ここに父の血を分けた姉妹がいても、尊敬する仲間がいても、彼の事実を知る者は、ペトクル以外には存在しない。


 それは、本人以外誰にも理解できないであろう、アトゥイの過去であり、重すぎる事実。

 ……しかし、彼と言う歪んだ存在から生まれた希望は、確かにこの世に存在している。

 それもまた他ならない、紛れもなく希望と呼べる事実だった。






 *






【青の集落】(?)



 静かに佇む木立の隙間。

 もたれ掛かるように倒れ込んでいる大木。

 横這いの木に苔むす緑の絨毯、その下で静かに流れている水の音、水溜まりで水浴を楽しむ小鳥達のさえずり。


 何もかもが動き始めた今。

 何もかもが懐かしく感じる。

 美しい大自然の世界、それなのに……


 水神の寵愛ちょうあいを受けた少年、大地に人々に水の恩恵をもたらす青年のような少年は、生命を遠ざけるように身を潜めている。

 自らが張った水の結界と、その足元で咲き誇るカミツレの花に気付いて、彼は足を止め木陰にもたれて俯いている。


 カササ……、と新緑の葉が風にさらわれ音を立てる。

 音に紛れて人の気配が近付いてくると、彼は一瞬、肩をびくっと跳ね上げて身を強張らせた。


 足音を隠すことなく近付いてくる。

 青年のような少年にはそれが誰なのかすぐにわかる。

 ……ストン、と横たわる樹の幹に、その少年は座り込んだ。

 無言のまま、顔を覗き見てくる雀茶色の少年、顔を確かめられてしまい更にはふっと失笑されてしまう。


「……相変わらず仕方のない人ですねぇ」


 そう言って視線をそらす少年、木漏れ日に双眸を細めながら空を仰ぐ。


「どうして怒ると泣いちゃうんでしょうね、アトゥイは」


 彼は眉間に深い皺を刻み、下唇を噛み締めて、瞳を見開いたままぼろぼろと大粒の涙を溢している。

 鼻を啜る音は隠せても、彼の涙は大地に落ちると草木を育んでしまうから隠せない。

 それが悲しみか苦しみか、寂しさか喜びか、怒りであろうが彼が感情を涙に変えて溢せば溢すほど草木は立派に生い茂る。


「……め、ん、ごめん、ごめんペト……!」


 アトゥイは、理由も言わずに声を震わせて謝り始める。

 だから少年は理解する。

 今彼が流している涙は怒りからではなく、悲しみや後悔から来るものだと理解する。

 そして、笑う。


「謝らないで下さいよ、貴方がやらなきゃボクが全力で殴ってましたし!?」

「っ……そ、だけど……でもお前に、お前にあんなこと……言わせるつもりじゃ……」


 双子の兄妹を、自らを姉と盲信しているあの娘をその弟が否定したこと。

 それが今彼が涙を流す理由。それから、女性に手をあげた自分への悔しさにも涙を流しているのだろう。


 ……彼の感情はいつだってこうだ。

 独り、人知れず涙を流す。

 喜びにさえ涙を流す。

 強くて情に弱い、弱くて我慢強い、アトゥイとはそんな存在だ。


「貴方はボクのために、ボクの代わりに女を殴ってくれた。それであのが貴方に何を言うか、ボクにわからないとでも思った?」


 アトゥイからの返事はない。

 しかし肩が強張り、その後小刻みに震えはじめたのを見てペトクルは続ける。


「あの娘はああいう人ですよ昔から。ボクが勝手に、誇り高い妹だ、なんて夢見ていただけ。でも……」


 ペトクルは見上げた空から目を逸らし、アトゥイへ顔を向ける。


「貴方はボクの夢を護ろうとしてくれた。護りたいからこそ手が出たんだろ? ボクの夢を壊したあの愚かな妹に」

「っ……そんなつもりじゃない!」


 アトゥイは顔をあげ、ようやくペトクルを見る。

 瞳に涙を浮かべたまま、くしゃくしゃに顔を歪ませて言う。


「お前のせいなんかじゃない! オレが、ただ、勝手に……」

「そうですよ」


 言い淀んだ隙にペトクルは口を挟む。


「ボクのせい・・ではありません。ボクのため・・でしょ? まったく! すぐ悪い方向に間違えるんだから、貴方の悪い癖ですよアトゥイ」


 ぐっと唇を噛むアトゥイ、ペトクルは彼の癖を見て苦笑いを浮かべ、横たわる幹から立ち上がり彼の元へ歩み寄る。

 アトゥイは立ち尽くしたまま、抑えきれない涙を細く流しながら少年を見つめる。


 少年はひょいと横這いの樹の上に立つことで目線を合わせ、青年のような少年は彼をわずかに見上げる形となる。

 とめどなく頬を伝う絹糸よりも脆い涙、澄んだ雫が彼の輪郭から落ちてしまう前に、ペトクルはアトゥイの頬を両手で挟み、柔らかく掴んだ。


「っ…!?」


 アトゥイは思わず閉ざした唇を薄く開く。


「ああほら、やっぱり血が出てる。噛みすぎです」


 赤く腫れた唇に滲む、赤い雫に親指で触れる。

 堪えようとすればするほど下唇を強く噛み締めてしまう癖も相変わらずだ。

 歪んだ表情に困り眉、それもよく見た彼の素顔だ。

 他人に強く気高い姿を見せて自分を誤魔化してしまうのも、彼の悪い癖だ。

 少年は額を隠す黒い布飾りに唇を寄せ、それから額を重ね合わせる。

 ペトクルが樹の上に立ったおかげで、少年が顔を下げればすぐに二人の距離は縮まった。


「ありがとうアトさん」

「……、ペト……?」

「ボクの夢を守ってくれてありがとう」

「っ……! オレ、は……ただ……」

「ボクが信じていたものを壊したくなかったんでしょう?」


 そこでアトゥイは言葉を失い、頷く代わりに瞬きをした。

 さほど長くない睫毛を濡らし、零れた涙がペトクルの手を濡らす。

 そうして少年は瞳を閉じ、かつて口にした言葉を思い出して言霊を綴る。


「……『フィーがボクを捨てたのはカントを守るためだ。守護者の責任もあるだろうけどそんなものより何よりも彼女が大事だった。だからそうした。そして一度家族を捨てる道を選んだならば二度と振り向いたりはしない。ボクはボクの妹を誇りに思っている、そしてボクもこの場所で生きる、たとえ独りになろうとも強く在る』」


 ……過去に、アトゥイへ投げつけた言葉を一言一句間違えることなく言い終える。

 ペトクルはゆっくりと瞼を開いて目の前の泣き虫を見て微笑んだ。


「でもこれはボクの勘違いだった」


 悲し気に眉を下げるペトクル、少しずつ渇れ始めていた涙がまた滲み出して、アトゥイの視界を歪ませる。


「妄言だった、妄想だった。フミクルという娘の性格を誰よりも知っていたはずなのに、知らないふりをしていました」


 額をくすぐり、再び頬を垂れる一筋の涙に唇を寄せる。

 そうして少年の瞳に映る、青年のような少年の姿も、ぼやけて歪み出す。


「ボクが貴方に言ったのはただのボクの夢だったんです」

「……ぺ、と……」

「言い訳だったんですよ、貴方があの時言ったように。寂しかったから、寂しくないように言い聞かせてただけだった。強がっていただけだったんです」


 目を見開いたままのアトゥイ、その赤い目尻を指で撫でながら、少年も一筋の涙を溢す。


「……フィーには、そんなつもりはなかった。再会に喜んで笑顔で抱き着いてきたのも、会いたかったと言ったのも、……それが普通ですよ、兄妹に会って嬉しくないはずない」


 少年はたった一粒涙を溢して、それから先は笑顔を見せる。


「ああ、それでもやっぱり……貴方があのタイミングで逃げ出してなきゃ、もう一発ぐらい殴ってましたよ?」


 その後涙を見せないペトクルの代わりに、アトゥイが顔を歪ませてぼろぼろと泣いてしまうから、ペトクルは更に言葉を繋げる。


「貴方を貶めたから、傷付けたから……泣かせたから、許せない」

「! ……ぁ……いや、これは……」

「だって貴方はあの戦いに関与していない。略奪者でも虐殺者でもない。それを理解していながらただ“青の民”だからとひとくくりにして貴方や貴方の一族を見境なく苦しめた……だからボクはあの女を絶対に許さない」


 顔を離す少年、幹の上に立ち尽くして彼を見据える。


「! ……ペト」

「マーシュさんもアトさんも、アトさんの義姉妹きょうだいも傷付けた。ボクを孤独から救いだしてくれた人を悲しませるあいつを赦しはしない」


 睨み付けるような鋭い眼光、栗茶色と深海色の二色が強い意志を持ち、日光を受けてより輝きを増す。

 彼の意思はフミルより固く揺るがない、そしてそれはきっと彼女にとっては……何よりも残酷な事実だろう。

 アトゥイはパリパリに乾いた涙の跡に、少年に口付けられた頬に触れ、相反してふやけた唇を緩く開く。


「……それは…だめだ」


 青年のような少年が、そう呟きこぼした。






 *






【青の集落】(樹の家)




「……なによ……」


 ぼそ、と頬をおさえて少女が呟いた。

 周囲がそれを耳にし、彼女へ意識を向ける。


「なによ……、なによ何よ何よぉおっ!!」

「……フミ」

「私間違ったことしてないもんっ!!」

「……」

「間違ったこと言ってないもん! 嘘だって言ってないよ! なのになんでっ……なんでアイツに殴られるの!?」


 二人が去った場所で沸々と込み上げていた少女の怒りが噴火した。


「ぺティに会えて嬉しいのっ! やっと落ち着いて話しができるの! だから話し掛けたし抱き締めたの! 許せないってことも言った! だってそうでしょ!? よりにもよってアイツの……青の守護者になるだなんて許せないよ!! 私は……私は我慢したもんっ! 怒鳴られる前はすごく冷静だった! そうでしょカント!!」


 呼ばれた少女はびくと肩を跳ね上げて目を見開き、すぐにゆっくりと瞼を伏して眉を下げ、悲し気な笑顔を浮かべる。


「……そうね、貴女はそう努めて頑張っていました」

「っだよね! 私は」

「しかし」


 フミルの声を遮りカントは続ける。


「……例え軽口であろうとも許せないことは誰にでもあります。貴女の言葉のどれかが二人を不快にさせたのもまた事実なんです」


 フミルはぐっと一瞬黙り込む。唇を震わせて怒りに奮え、拳を強く握り込む。

 掌がギリリと痛みを訴えても、心の痛みが遥かに勝りそれに気付くこともない。

 気付かぬフミルの代わりに、一人の男がそっとその肩に触れた。


「! ……あ」

「おひさしゅう御座います、姫神子様、フミクル」

「イーディル……いえ、今はデュー、でしたか?」

「はい、そうお呼びください」


 デューはフミルの手の甲に触れ、彼女に痛みを気付かせた。

 フミルが力一杯握り込んでいた手をゆっくりと開くと、白い柔肌に痛々しいほど赤い爪痕が残っており、徐々に痺れるような痛みを感じてフミルは自らの右手を左手で包み、デューの手を避けるようにカントの隣へ駆け寄る。

 それから少しの間を置いて、彼等は会話を始める。


「デュー、貴方はずっとぺティの傍にいてくださったのですね」

「はい、青の一族に命を拾われて」

「……!? 嘘よっ! だってあいつらは」

「フミル」


 フミルは不快を露にし口を挟む、眉間にシワ寄せ全否定しようとする少女の名を呼び、カントは彼女を止めるため一歩前に出た。

 カントはフミルを背に守るような形でデューと対面し、会話を続ける。


「貴方を救って下さったそのお方は今どちらに?」

「既に亡くなっています」

「……、……すみません、私が無茶をしたばかりに……」


 カントは悲し気に俯いてしまい、デューは焦りながらも笑って言葉を返す。


「あ、お、お気になさらないで下さい姫神子! あの時の姫のお気持ちは理解しているつもりです! それよりもお二人が無事で何よりですよ」


 慌てて喋り続けるデューをカントが見上げる。少しだけ顔を上げて上目に見つめられると、デューは僅かに頬を紅に染め空笑いをして続けた。


「ま、まぁ今の今まで私にもこの記憶はなく……水の一族という事実も忘れて青の一族でいたのですがね、姫様方も記憶の改竄とやらの影響を受けていたのですか?」


 その問い掛けを聞き、カントは左右に首を振る。


「……わかりません。私達が過去に襲撃を受けた。と言う記憶はありましたが……私達も何かを忘れているやも知れませんから、今はなんとも」

「……姫神子は、失った記憶を取り戻すおつもりですか?」

「はい。そしてその結果ウェン……いえ、リムセさんを覚醒させることになるのでしたら、私も最後までお手伝いします」

「! ……っ…」


 カントの背中で気配を感じる。

 フミルが大きく口を開いて何かを言いかけた、しかし瞬時に唇を閉じて言うのをやめてしまう。


「フミクルはそれを望んでいないようですね」


 そんな彼女に代わりデューが言う。

 カントは苦笑いの彼を見て瞬きをし、そっと振り向きフミルに訊ねる。


「そうなのですか? フミル」


 フミルは二人からの視線にぐっと生唾をのみ、意を決して口を開く。


「そりゃあ……反対よ。やらなくても同じなら私はこのままカントと穏やかに生きたい。カントが望むなら一緒に星を渡る気だったから……」


 フミルが眉を下げて言う。彼女の様子を見てデューとカントは顔を見合せ、再び彼女に問いかけた。


「移住すれば今度こそ完全に記憶を失います。そして今より短命になるとチゥクルルは言いましたが、そ」

「それでもだよっ!」


 カントを遮りフミルは声をあげる。


「それでもそこには来世があるんでしょう!? ここで死んだらもう来世は無いんだよ? 魂ごと終わっちゃうんだよ! それに……忘れないかもしれないじゃない! ……いや、カントがここで終わるって決めたのなら傍に居るけど、それでもカントがあの子を助ける必要ない、あの時みたいな無茶する必要ないでしょ!?」

「フミル……」


 フミルはいつになく必死でカントを説得している。

 それもその筈だ、彼女はいつだってカントに迫り来るものをその隣で見てきた、退けていたのだから。



 ……――幼くして美しくあったカント、齢七つにしてその美しさは守護者ははを超え、皆に愛される存在となった。

 育つほどに愛らしく美しくなる彼女を狙っていたのは、なにも青の民だけではなかった。

 彼女の父である先代の神子ですらその蠱惑こわく的な容姿に苦悩していたほどに。


 誘われるように近寄る下劣な男がいた。

 妬み汚そうとする醜悪な女もいた。

 例外は二人しかいなかった。

 卵の中にいた頃から彼女を見守っていた。

 すくすくと成長する彼女を見届けていた。

 毎日毎日、卵を護る揺りかごの部屋に辿り着き、双子の兄妹は見つめていた。

 何度叱られても、抜け道を見つけ出して辿り着いてしまう、双子の兄妹がいた。

 フミクルとペトクルだけが迷うことも惑うこともなく、彼女の傍に居続けていた。

 カントが殻を破り地を踏み締めた時も、その後も傍らに必ず存在していた。


 デューも彼の兄も他の一族も、成熟した男であればあるほど一度は間違いを犯しかけた。

 しかし、いつだってこの双子に止められていた。


 それこそが白くて黒い林檎のお伽噺と似て非なる部分だろう、常に少女を理解する存在がいたから、フミクルとペトクルがカントを守り続けていたからこそ、彼女は怨恨を知らず、穢れなく無垢なまま育った。


 彼女は決して孤独ひとりではなかったから。一人では居なかったから、童話のような痛ましい穢れを知らずに育つことができた。

 ……成長した姿を見つめても相変わらず、藍空あいぞら色の瞳は穢れなく美しいままだ。

 それは、フミルが外敵から守り続けていたからに他ならない。


 フミルは察知している。

 あの黒い少年を救うことも、記憶を辿ることも、カントにとってどちらも危険だと気付いている。

 デューも、それに関してはフミルに同意を示している。

 最大の問題は、カントが全ての記憶を辿ってしまうことだ。

 本来幼い少女に向けるべきではないあの欲望を、向けられた本人が知ってしまうこと。

 それだけは何としても避けたかった。


「知っていますよ」

「……、え……」

「私はもう幼い子供ではありません。十五ほどの娘に成った今でも、周囲の気配に気付いていないと、本気でお思いですか?」


 フミルは瞬きをし、デューはゴクンと生唾をのみ冷や汗を垂らす。

 彼とてかつては幼女に愛慾を滲ませる奴等と同類だったのだ、焦るなと言う方が無理な話だろう。


「……なめられたものです」


 ふふ、と含みのある笑みを浮かべるカント、デューもフミルも眉を下げて黙り込んでしまう。


「私よりも……我々七神子が記憶の旅をすれば彼は必ず干渉してくると言う。そうなれば彼もそれを知ってしまう、それが少し気掛かりではあります。何せ彼はまだ十歳ほどの子供…なのでしょう?」


 カントは眉を下げ困り顔で言い、デューは苦笑いで左右に首を振る。そしてこう答えた。


「リーンが言うには異常を起こしていた二年間を含めて齢十二、もうそういったことを学んで良い時期ですよ」

「そうですか、であれば問題ありませんね」


 安堵したように微笑むカント、デューももう諦念した様子で俯き笑う。フミルだけがまだ諦めていない。


「本気なの? カント……?」

「はい、貴女が止めても私はやります。私には何より知りたいことがあるから」


 フミルとカントは目を合わせ見つめ会う。少女は不思議さに首をかしげ、少女は深く微笑んで言葉を繋げる。


「貴女がどれほど強い意志で私を守り続けてくれていたのか、記憶の旅で知りたいのです」

「! ……カント……」

「私は貴女を知りたい。貴女の全てを知りたい。貴女が私のためにどれほど身を削り続けていたか……どれほど傷付いていたか、何も知らず貴女に甘えたまま終わるなんて、絶対に嫌です」


 カントは双眸を細めて笑う、ただそれだけだと言わんばかりに微笑む。

 フミルは何も言わずに大きな瞳を丸めて彼女を見つめ、カントは照れ臭そうにしながらも言葉を続ける。


「……これからはどうか私にも愛する貴女ひとを守らせて下さいませんか?」


 フミルはその問い掛けに答えない。けれども彼女の瞳からは真珠のような雫が溢れているから、大粒の涙が溢れているから、カントは笑顔で腕を伸ばし、彼女の睫毛を濡らす雫を指先で掬う。


「記憶の旅は悪いことばかりではない、うまく行けばぺティのことも知れますよ?」

「!」


 はっと目を見開くフミル、涙の粒が弾けるように広がり、彼女は強く頷いた。


「………うん。…うん! 知りたい。なんで……どうしてあいつを受け入れたのか、私も知りたい!」


 涙を拭い言いきる少女に番の神子は頷いた。


「決まりですね」


 カントは満面の笑みを浮かべ、フミルはボロボロと泣き崩れてしまう。


「もぉ……ずるいよカント、そんなこと言われたら……ダメなんて言えないじゃないぃ……」

「ふふ、いつになく素直ですねフィー」


 涙声で訴える少女へ満足げに言うカント、それを見ているかつての従者にも様々な記憶が去来する。


 彼は振り向いて蚊帳の外に居た彼らへ視線を向け、意を伝えるよう頷くと金髪の大男が立ち上がる。

 不安げな娘たちに何か告げてから此方へ歩み寄り、閉ざしていた唇を開く。


「そっちも決まったみたいだな! デューさんよ」

「……ああマーシュ。我ら水の一族は記憶を辿るよ、私は彼女らについていく」


 二人の青年が頷きあい、互いの道を確かめ会う。


「そか! なら良かった! 因みに青の民こっちは元から辿るつもりだ。なんせアトゥイはなんにも知らないからな!」


 にかっと豪快な笑顔を向けるマーシュ、放たれた言葉にフミルとデューが目を丸め、カントは眉を寄せて問い掛ける。


「……ではやはり、彼はあの戦争の原因さえも知らないのですね?」

「おう、奴は自分の出生さえ知らん。俺は参戦していたけど、爺どもが侵略しはじめた理由は知らん!」


 マーシュはそう言い切り、次いでの言葉は少し言いづらそうに声量を落として述べられた。


「アトゥイは間違いなく青の輝石から産まれた。……が、あいつの母は当時、守護者でも番でもなんでもなかったんだ」

「……、……え?」

「まぁ詳しいことは記憶の旅とやらで解るだろうが、そんなアトゥイの存在は一部の奴等にとっては希望らしい」

「待っ……待ってそんなの…変じゃない……?」


 フミルが声を震わせ問い、マーシュは頷く。


「ああ変だ。だが俺らが今考えてもわかんねぇ、だから青の民は過去を辿る以外に道はない、そのためには嬢ちゃんらにも手伝って貰わなきゃなんねぇ、だから決まるまで待ってたんだ」


 よろしくな、と一言述べて握手を求めるマーシュに二人の少女は答えない。

 代わりにデューがその手を取り、水と青は記憶の旅を共にすることになった。



 だが、二人には未だせない。


 ……アトゥイは間違いなく輝石の卵産まれ。

 だがその当時、彼の母は青の守護者ではなかった?

 輝石を雫石と卵に分離できるのは神子と番の守護者のみ。

 無事に孵化するためには三ヶ月弱を要し、その間守り抜く必要がある。


 ……孵化した次代の神子は三歳から五歳ほどの幼い姿で産まれることになる。

 成長の差はあれど大概は”確立した自我”を持った時点で殻を破る。

 神子と守護者の遺伝子情報を組み合わせた姿で、だ。


 ……しかし理解せずともカントの中で辻褄は合ってしまった。

 あの時の老人は確かに“青の神子”であり、カントの兄弟であった。

 その時点で、神子を次代の神子へ継承していない。

 次代の神子は、守護者を選ばなければ延々と継承されないままで居続けることになる。


 その“次代の神子”が持って産まれた輝石、そこからアトゥイが産まれたのだ。


 ……だが一体どうやって? どうしてそんなことが可能だったのか。

 老人とアトゥイの間にもう一人、神子になるべき存在がいた。

 彼の父と呼ぶべき存在だ。


 それは…、……。



「………あ…、…」


 不意にカントの脳裏を過る。

 おぞましく赤黒い音色、貪欲な声色。


『手に入れる……なんとしてでもあの娘を探せ……アレ・・が必要なんだ……』


 確かに聴いた。確かに感じたなげきの水の気配。

 間違いない、間違いなくあのおぞましい声の主が……


 次代の青の神子だったのだ。




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