8.ポケットの中の暗号
――警察に根掘り葉掘り聞かれて、ようやく開放されたのは夜も近くなってからのことだった。
こちらは目撃者どころか被害者と言っても過言じゃない立場なのに、パトカーの中に長時間拘束されて事情聴取って……。警察が嫌いになりそうだ。
家に帰り着く頃にはすっかり夕飯時。
一応、母には連絡をしておいたけど、父がいたら「こんな時間まで何をやってたんだ!」と、また「お叱り」を受けるかもしれない。なので、こっそりと玄関をくぐったんだけど……幸いにして父はどこかへ出かけているようだった。
「……疲れた」
自室に入り、ようやく人心地つく。
ヤッさんとの会話、DV男との遭遇、アゲハチョウのジャンパーの男、警察の事情聴取……中々に濃い一日だったように思う。
流石に疲れたので今日は早めに寝よう……。出来ればこのままベッドに倒れ込みたいくらいだけど、母が夕食を作ってくれているので、そちらを放置するわけにもいかない。
とりあえず着替えて――。
「ん?」
部屋着に着替えようとズボンを脱ぎかけたところで……何やら後ろポケットに白い紙のようなものが突っ込まれていることに気付いた。僕には全く覚えのないものだ。
どこかで貰ったチラシでも適当に突っ込んだっけ? そんなことを考えながら引っ張り出してみると――。
「なんだこれ? 『SillyGoRound2009』?」
白い紙に、ボールペンか何かで『SillyGoRound2009』とだけ書かれている。
僕には全く見覚えがないものだ。……なんだか気味が悪い。
どこかで誰かに突っ込まれたのだろうか? でも、誰が……?
”Silly”は確か「愚か者」とか「馬鹿者」とかいう意味だ。”Go Round”は「グルグル回る」とか「一周する」とか、そういう意味のはず。”2009”というのは西暦だろうか?
一応、ネット検索してみたけど、ヒットしたのは何かのアニメソングだけだった。これと何か関係が……?
「……いや。もしかして……」
”Silly”、カタカナにすると「シリィ」。叔父さんの日記の中に度々登場した「案内妖精」がそんな名前だった。
これは偶然の一致だろうか? いや、今日この時に僕の後ろポケットにねじ込まれていたメモ書きなんだ。もしかすると、これは――。
部屋の隅に重ねてあるダンボールの一つから、あるものを取り出す。
――叔父さんが死ぬ前に使っていたスマホ。形見分けとして、幾つかの遺品と一緒に僕がもらっていたものだ。
電話回線は既に解約済み。でも、中身の方はパスコードが分からなくて、まだ誰も見ていない。携帯ショップの方でも中身を見ることは出来ないらしい。
……もしかして、この『SillyGoRound2009』は叔父さんのスマホのパスコードなのでは?
もちろん、何の確証もない。論理が飛躍しすぎてるとは思う。けど、試すだけならタダだ。
叔父さんのスマホの電源を入れ、しばらく待つと、パスコード入力画面が表示される。
そこに慎重に、『SillyGoRound2009』と入力していくと――。
「……あっ」
ロックが、解除された。
やっぱりこれは叔父さんのスマホのパスコードだったんだ! でも、それがどうして僕のポケットに? 誰が? いつの間に?
――そんな疑問を抱きながらも、叔父さんのスマホをいじり始める。
メールやブラウザの履歴、写真を見ることが出来れば、新しい何かが分かるかもしれない。そんな淡い期待は……残念ながら空振りに終わった。
メールボックスは空、ブラウザにはブックマークも履歴も残っていない。写真も一枚だって残っていない。
いくつかプリインストール以外のアプリも入っているようなので、初期化された訳じゃないらしいけど……。
「……ん?」
そのまま、ホーム画面のページを切り替えていると、あるアプリが目に付いた。あまり見覚えのない、アゲハチョウのアイコンのアプリだ――今日は何故か、アゲハチョウと縁がある。
アプリ名は……「異世界ナビ」!?
怪しい。あからさまに怪しすぎる……!
「……一体なんのアプリだろう?」
思わず独り言をこぼしつつ、僕は吸い寄せられるようにそのアイコンをタップしていた。
――アプリが起動すると、画面は一瞬真っ暗になり……しばらくしてから、どこかの部屋の映像に切り替わった。僅かに「ザーッ」という音も聞こえるところを見るに、これは動画か?
部屋には何もなく、年季の入った畳と壁紙だけが映っている。どこかで見た覚えのある部屋だけど……どこだっけ?
そんなことを考えていたその時、画面に動きがあった。
画面内に、誰かがドスドスと足音を立てて入ってきたのだ。その人物は――。
「……叔父さん?」
そう。現れたその人物は、紛れもなく英司叔父さんだった。
無地のTシャツにくたびれたジーンズというラフな恰好。最後に会った時よりもやつれ、頭に白いものも混じっているけれど……間違いない。
叔父さんはそのまま畳の上にドカッとあぐらをかくと、カメラの方を見やり、おもむろに口を開き始めた。
『あー、ちゃんと映ってるかな? ……大丈夫か。じゃ、改めて――いよう! しばらくぶりだな。元気してるか? こっちは見ての通り……って言いたいところだが、あれだな。お決まりのセリフを言っちまうと『お前がこの映像を見ている時、俺は既にこの世にはいないだろう』ってな感じか?
――俺が死んじまってどのくらい経ってるのかね? 一ヶ月そこらじゃねぇよな? 半年……いや、一年くらいは経つかねぇ? あるいは、もっとか?』
――一瞬だけど、「実は叔父さんは生きていて、この動画はリアルタイム中継なんじゃ?」と思ってしまったけど、どうやら普通に録画映像らしかった。そもそも回線が解約されてるんだから、ネットに繋がるわけもない。
叔父さんの遺体は傷みが酷かったので、葬式を待たずに荼毘に付されていた。だから、僕は遺体とは対面していないのだ。
そのせいで、僕は心のどこかで叔父さんの死を受け止めきれずにいたんだけど――。
『――さて、あんまり時間も無いから手短に。まず、この映像を観てるってことは、お前が俺の恥ずかしい過去の数々について、もう知っちまってるってことだよな? まったく、叔父の若気の至りを暴き出そうだなんて……中々の行動力と好奇心だな! 流石は俺の甥っ子だ!』
どうやら、この動画は僕に向けられたもので間違いなさそうだ。
別の誰かへのメッセージだったなら、いたたまれない気持ちになるところだった。
『――もう知ってると思うが、あの日記帳に書いてあることは概ね真実だ。ただし、時系列はバラバラで、同じ場所に居なかったはずの人物同士が関わってるような描写もあるんでな……。ま、我ながら滅茶苦茶だよ。
元々は、頭を強く打って前後不覚のまま、記憶を整理する為に書いたもんだからな。パリ時代の話なんて、二回も出てきてる。……我ながら女々しい話なんだが、あの街の思い出は俺にとっちゃぁ……お、そうだ。エリーズの写真は見たか? どうだ、凄い美人だろう? あいつ以上のイイ女には、中々お目にかかれねぇぞ? ……って、話がずれたな。ええと、なんだっけ?』
そう言えば、叔父さんはこうやってよく、話が横道にそれることも多かった気がする。子供心には、突拍子もないその語り口が逆に面白かったけど。
『――ああ、そうだそうだ。多分、ヤッさん辺りが釘を差してくれてるとは思うが……あの日記帳には、ちとヤバイ出来事も書き記してある。具体的に言っちまうとだな……日記の中で言う黒龍の縁者や盛り場の関係者の中にゃ、未だに俺を恨んでいる奴がいるはずなんだ。ま、名前も場所も伏せてあるからな。そのまま誰かに話したところで問題はねぇだろうが……直接の関係者ならピンと来ちまうかもしれねぇ。
――まさかとは思うが、SNSで俺の写真や名前をばらまいて情報収集なんてやってねぇよな?』
思わずドキッとする。
ごめん叔父さん。それ、やっちゃった……。しかもヤッさんと会ったことまで予見してるみたいだし……。
色々と見透かされているようで、ちょっとだけ背筋が冷たくなった。
『――ま、あんな日記帳を遺す俺が言うのもなんだが、SNSで情報集めるのは程々にな? そっちには若い時の写真しか残してないから大丈夫だとは思うが……万が一、連中に勘付かれると厄介だ。一応、こっちで保険もかけてあるがな……』
――「保険」というのは、何のことだろう?
『――とにかく、パリ時代以外のことは、危ねぇから出来るだけ探るのは止めてくれや。……え? じゃあなんであんな日記を遺したかって? そりゃあ……かわいい甥っ子に何一つ遺せない、不甲斐ない叔父のせめてもの抵抗ってやつさ。やっぱりよ、誰かに俺のことを覚えていてほしいのさ。勝手な話だってのは分かってるがさ』
「勝手なんかじゃない! 僕は……叔父さんのことを知れて嬉しかったよ!」
――届くはずもないのに、ついつい叔父さんに言葉を投げかけてしまう。
「誰かに覚えていて欲しい」、そんな切なる願いを「勝手な話」だなんて、思うわけがない!
『――ああ、あとな。多分、お前が一番気になってることだと思うんだが……何で舞台が「異世界」になってるかって言うとだな……』
――そうだ。それも気になっていた。
過去の体験を、なんでわざわざ「異世界」なんてものの体験に置き換えているのか。僕も、ずっと気になっていたんだ。
『――そっちの方が面白いからさ! ……ああ、怒るなよ? 実際、ごちゃごちゃになった記憶を辿る「旅」ってのは、異世界での冒険じみてたんだよ。それにな、前後不覚になってても、やっぱり「これは書いちゃまずいかもしれない」って出来事もあったからな。適度に伏せるにはちょうど良かったんだ。
それによ? そっちの方が面白いだろ? もしそのまんま「回想録」の
――ちょっと脱力したけど、実に叔父さんらしい理由だ。
合理的かと思えば「面白さ」を優先することもある。ああ、間違いなく僕の知っている叔父さんだ。
『――本物の異世界の冒険譚じゃなくてがっかりしたか? ……いや、もうお前もそんな子供じゃない、か。……ああ、そうだ。「異世界に転移して大冒険だなんてあるはずがない」……もしお前がそう思ってるんなら、言わせてもらうぜ? 「まだまだ子供だな」ってよ』
――はい?
『――世界は広い! お前が思っているよりも、遥かにな! 信じられないような風景やとんでもない連中が、わんさかいやがる! それこそ……「異世界」なんてものもあるかもしれねぇぞ?』
――え?
『――そんな訳で、俺は一足先に広い世界に旅立たせてもらうことにするぜ? 多分、今生の別れだが……運が良ければ、またどこかで会えることもあるかもな? 俺を追って旅に出るのもいいかもしれない。
……だがな、今は駄目だぜ? お前には心配してくれる両親がいるんだ。兄貴……お前の親父もな、堅物で融通のきかない人だが、あれはあれで家族思いなんだぜ? あ、ジジイの方は正真正銘のカスだから気にしなくてもいいぞ? あと、おふくろ……お前のばあちゃんは、そろそろ痴呆も進んじまった頃だろう。しんどいかもしれねぇが、出来るだけ会いに行ってやってくれや……』
――祖母のことを話す時だけ、叔父さんは少し苦しそうな表情を見せた。
今のすっかりボケてしまった祖母のことを知ったら、叔父さんは一体どんな表情を見せるだろうか?
……というか「運が良ければ、またどこかで会えることもあるかもな」だって? 叔父さんは……死んだんだよ、ね?
『――だが、もしも。もしも、だ。お前が一切の後悔なく旅立てるって時が来たら……アゲハチョウを探してみな。きっと力になってくれるぜ?
……おっと、喋りすぎたな。悪いがもう時間だ。これで本当にさよならだな。達者で暮らせよ!
――なお、このメッセージは自動的に消去されるのであった』
叔父さんのそんな言葉を最後に、動画は終わった。
画面が再び真っ暗になり、ややあって元のホーム画面に戻ったけれども……一つだけ変化があった。
例のアゲハチョウのアイコンのアプリ「異世界ナビ」が消えていたのだ。念の為ページを切り替えてみるけど、もうどこにも見当たらない。
僕は狐につままれたような気持ちのまま、しばらく叔父さんのスマホを眺め続けるしかなかった――。
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