6.ヤッさんの「独り言」
――その男が社会に出た頃ってのは、この国が丁度大きな節目を迎えたのと同じくらいの時期だったんだ。
君も知ってるだろう? 「バブル経済」と「バブル崩壊」って奴さ。それまで高度経済成長とやらの浮かれた雰囲気の只中にあったこの国は、たかだか数年の間にすっかりおかしくなっちまったのさ。
とは言え、全てが一瞬にして台無しになった訳じゃない。証券や不動産の業界はガタガタになっちまったが、庶民の暮らしへの影響は、じわりじわりとやって来たんだ。
だから、その男もバブル崩壊とやらを甘く見てたんだな。世間がてんやわんやしている大変な時期に仕事を辞めて、「自分探し」と称して世界放浪の旅に出ちまった。
……流行ったんだよ、昔はさ。「自分探しの旅」ってやつが。
放浪の旅は、おおむね順調だったらしいな。ただ、とある国で一生モノのトラウマを背負い込んじまったらしいが……。まあ、その辺りは俺も詳しくは知らないんで、あまり深くは語れないんだ。
とにもかくにも、
――ところがどっこい、日本は立ち直るどころかますます酷い事になっていたんだ。その男が帰国したのは……そうだな、確か大きな証券会社が一つ、潰れた翌年くらいだったか。
まったく、酷い時代だったぜ。
バブル崩壊の影響から何とか脱しようと、皆で身を粉にして働いて働いて。それでも時代の流れって奴には逆らえなくて、老舗がいくつも落ちぶれていったよ。
銀行もな、バブルの時は頼んでもない融資の話を押し付けてきたのに、バブルが崩壊してからは、ちょっとでも融資先に不安材料があると金を出し渋ったり、はたまた強引に返済を迫ったり。無茶苦茶だったのさ。そのせいで無駄に潰されちまった中小企業も多かった……。
もちろん、銀行だってある意味じゃ被害者だったんだがな……あの時代は誰もが被害者でもあり、加害者でもあった。バブルだ何だと、誰も彼もが浮かれていたツケが回ってきたのさ。
――とにかく、そんな大変な時期に、その男は帰ってきちまったんだ。
大学も出てねぇ。前職は素性の怪しい便利屋で、その後は海外で何年も放浪生活……今の時代なら気にもされないんだろうが、あの当時のこの国はまだまだ保守的でね。帰ってきたその男には、まともな職なんて見付からなかった。
古巣の便利屋もその頃には潰れちまってたしな。お袋さん以外の家族とも仲が悪かったから、その男には帰る場所が無くなっちまってた。
それでも、最初の内は職歴不問のバイトやらなんやらで食い繋いでたんだ。何せその男は、器用だったからな。大概の単純作業はこなせちまった。
でも、バイト代は雀の涙。大の男が都会で暮らしていくには厳しい額しか稼げなかった。爪に火を点す生活が続いて……それも限界にきて、遂には頼っちゃいけねぇ奴に頼っちまった。便利屋時代に知り合った……ロクでもねぇ奴に。
正確には、そいつの所属する組織を頼っちまったんだが――おっと、「どんな組織なのか?」なんて野暮なことは訊かないでくれよ? とにかく、その男は組織の客分として迎え入れられることになったんだ。便利屋時代から、組織の上の方にやけに気に入られててな。目を付けられてたんだよ。
腕っぷしは強いし愛嬌も度胸もある。頭も悪くねぇ。おまけに海外暮らしが長かったから、色んな国の人間相手に意思疎通が出来る。
当時、組織は国内だけの取り引きじゃあ稼げねぇってんで、国内外にいる外国人とも取引をするようになってた。その男みたいな人材は、喉から手が出るほど欲しかったんだな。
「あんまり危ねぇことには巻き込まないから」――組織はそんな調子のいいことを言ったが、現実は甘くねぇ。その男は何度も荒事に巻き込まれて、命の危険が伴う場面も数えられない程あった。
特に、海外での取り引きには危険が付き物でな。日本じゃ考えられないような危険が山のように待ち受けてやがった。
――その男は実家から勘当されてたが、それも仕方ねぇことだったんだろうさ。いつ巻き込まれるか分かったもんじゃねぇ。
そいつ自身も家族に累が及ぶのは本意じゃなかっただろうし、自分から距離を取っていた節もあった。その男はその男なりに、家族に迷惑をかけまいとしてたんだろう。
それでもお袋さんとだけは、こっそり会っていたみたいだがな。そういや、まだ小さい孫を連れて会いに来たこともあったって言ってたなぁ……。そうか、その孫ってのは……なるほどなぁ。
――話を戻そう。
とにかく、その男は陽の光の当たらねぇ世界に半分以上足を突っ込んだ生活を何年も続けたんだ。
パスポートに残らない方法で海外渡航したことだって沢山あった。他人には言えねぇような荒事に巻き込まれたことだってある。
……ああ、そういえばヨーロッパの方に行った時は、珍しく「自由時間が欲しい」って言い出して、数日の間行方をくらましたこともあったらしいな。何をしてたのかまでは知らねぇが、ね。
でもな……その男は元々、荒事が好きな人間じゃなかったんだ。だから、そんな生活を何年も続けていたある日、突然全てが嫌になっちまったのか、組織を抜けたいと言い出した。
本当ならな、簡単に抜けられる組織じゃねぇ。死ぬか、死ぬような目に遭うかして
実際、組織の中にはその男に「筋を通させろ」と主張する連中もいたさ。その男の頭の中にゃ、外に漏らされちゃ困る情報も沢山詰まってたからなぁ。
だがな、その男を組織に紹介した奴やその上役は、男をそのまま抜けさせるようにって強く主張したんだ。「そもそも客分として迎えたんだろう。こちらが筋を通すべきだ」ってよ。そのお陰もあって、男は無事に組織を抜けることが出来たんだ。
――そしてそれから数年間、その男はこの国から完全に姿を消した。
その間、どこで何をやっていたのか、残念ながら俺も知らねぇ。誰も聞いてねぇはずだ。何より、その男自身が話したがらなかったからな。
ある日ふらりと戻ってくると、カタギの仕事がしたいって言って、しばらくの間ファミレスでバイトしていたんだが……それでも昔の仲間が放っておかなくてな。結局、組織の一人が経営してたバーに、バーテンダー兼用心棒として雇われることになったんだ。バー自体は健全経営の店だからカタギには違いないって説得されて、無理矢理引っ張られたようなもんだったがな。
ま、実際バー自体は健全な店だったさ。何も違法行為なんてやってねぇ、普通の店だった。
でも、経営者は真っ黒も真っ黒な奴だったからな……ある日、そいつが警察にお縄になって、店の方も立ち行かなくなって潰れちまった。
その男は、アラフィフにもなって突然無職に返り咲きさ。笑えねえ、全く笑えねぇよな。
それでもその男は……あいつは、二度と組織には頼らなかった。あくまでもカタギの仕事に拘った。だから、周囲もそれを尊重した。
けどな。もしかすると、無理矢理にでも――再び陽の光の差さない場所に引っ張り込んででも、誰かがあいつを繋ぎ止めるべきだったんだ。あいつは結局、誰の手も届かない場所に行っちまったからな……。
これで「とある男の昔話」は終わりだ。
――ん? 結局何が言いたかったんだって? 野暮なこと言わせるなよ……つまりだな、その男の頭の中には、一生胸の内にしまっておかなきゃならんような情報が詰まってたんだ。それに、行方をくらませていた数年間のこともある。墓場まで持っていこうと思っていた秘密を、いくつも抱えていたんだろうさ。
だがな、もし曲がり間違って――それこそ本人が前後不覚になって、それら秘密をまとめて何かの形で書き残しちまってたら? そしてそれが誰か、知られてはいけない人間の目に触れてしまったら?
だからな、もう一回独り言を言うぜ?
――もしそんなものが存在するんなら、決して誰にも見せてはならないし、中身を誰かに話してもいけない。
さ、話は終わりだ。もう帰んな。
……ああ、そうだ。下で店主から土産を貰ってってくれや。お代は俺が払ってある。
なに、けったいな食いもんさ。どこぞのアホタレがどことも知れねぇ場所で覚えてきて、ここの店主に教えたんだと。肉の入ってない肉まん……いや蒸しパンみてぇなもんでな……そのまま食べても美味いが、チャーシューか何かを挟むともっと美味いんだ。
是非試してくれ――。
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