5.仄暗い部屋の中で

 「ヒバリーヒルズ」の店長さんの連絡先はすぐに分かった。

 ご丁寧なことに、芳名帳に「ヒバリーヒルズ■■店店長」と書いていてくれた上に、携帯電話の番号まで記入しておいてくれたのだ。

 早速電話してみると、突然の連絡にもかかわらず、店長さんは親身になって僕の話を聞いてくれた。お葬式の時に一度顔を合わせただけの僕のことも覚えていてくれて、流石は長年接客業をやっているだけのことはあるのだな、と妙に感心してしまった。


 店長さんに「叔父さんと親しかった人間を探している」と相談すると、どうやら一人だけ心当たりがあるらしかった。

 ただ――。


『大きな声じゃ言えないんだけどね。その、ちょっと特殊な職業の方で……おおっぴらに紹介出来るような人じゃないんだ。間違いなく、信用は出来るんだけどね。うん、会ってくれるとは思うけど――』


 店長さんは何やら歯切れが悪かった。「特殊な職業」とは一体なんだろう? 見当もつかない。


 ――そして数日後、僕は店長さんから指定された待ち合わせ場所へとやって来ていた。

 とある駅前の商店街。その片隅にひっそりと建つ、何の変哲もない古い定食屋が待ち合わせの場所だった。

 ただし、その待ち合わせの方法というのが少しのだ。


「いらっしゃい」


 店内に入ると、年季ものの椅子やテーブル、そして同じくらいに年季の入った店主らしきおじいさんが出迎えてくれた。壁には一面、いつ貼ったとも知れぬメニューを書いた紙が並び、「いかにも」な雰囲気を醸し出している。


「ええと……


 僕の言葉に、店主の表情が少しだけ変わる。

 ――実際のところ、僕は予約などしていない。この店に来るのは初めてだし、電話したこともない。

 今のは「合言葉」だった。


 「ヒバリーヒルズ」の店長さんが言うには、指定の時間にこの定食屋で今の合言葉を言えば、僕が探している「叔父さんの友人」に会えるというのだけど……。


「――ええ、ええ。お待ちしておりました。お土産の方はもうすぐ出来上がりますので……どうぞ二階のお座敷でお待ち下さい」


 果たして「合言葉」がきちんと伝わったのか、店主は僕を店の二階にあるお座敷へと案内してくれた。

 通されたそこは、二階にいくつかあるお座敷の一番奥。隣の部屋とはふすまで仕切られているので、元々は二階全体が大きなお座敷なのかもしれない。

 何故か窓は雨戸で閉ざされていて、外が見えないようになっている。照明も薄暗く、部屋の中の様子もろくに窺えない。何となく、不安感を煽る薄暗さだ。

 ……店長さんの言葉を信じてここまで来たけれども、本当に大丈夫なんだろうか?


 ――そのまま、十分ほどの時が過ぎた。

 まだ待ち合わせの相手は来ない。……むしろ本当に来るのだろうか? 等と僕が思った、その時だった。


「――君が英司の甥っ子かい?」


 突然、どこからともなく声が聞こえてきた。

 びっくりして周囲を見回すと……先程まで閉まっていたはずの隣の部屋との間の襖が、ほんの少しだけ開いていることに気付いた。一体いつ開いたのだろう? 全く気付かなかった。

 隣の部屋は、こちらに負けず劣らず薄暗く、中の様子は全く分からない。


「すまないねぇ。あまり世間様に晒せる顔じゃないんでね。襖越しで失礼するよ。――で、君が英司の甥っ子ってことでいいんだね?」

「あっ……はい、そうです! 初めまして、本日はお時間を割いていただいてありがとうございます。……あの、なんとお呼びすれば?」

「ふむ……。そうだな、俺のことは『ヤッさん』とでも呼んでくれ」


 ヤッさんさん……いや、最後の「さん」はいらないか。では「ヤッさん」と呼ばせてもらおう。

 声の感じからすると叔父さんと同年代くらいだろうか? なんだか江戸っ子っぽい喋り方だった。


「で? 英司の昔の話が聞きたいんだったか?」

「あ、はい! その、ヒバリーヒルズの店長さんから聞きましたが、ヤッさんは叔父さんとは古くからの友達……なんですよね?」

「おうよ。腐れ縁ってやつだな。やっこさんが便利屋で働いてた頃からの仲だから、かれこれ……はっ! ぼちぼち数えるのも嫌になるくらい前からのダチだな」


 なるほど。ということは、叔父さんが海外放浪する前からの友達、ということになる。三十年程の付き合いになるだろうか。


「しかし、おっ死んじまった叔父の過去を知りたいって……なんだ? 奴さん、君や君の親父さんに厄介事でも残して死んじまったのかい?」

「いえ! そういう訳ではなく……実は――」


 そうして僕は、ヤッさんに今までの経緯を語り始めた。

 もちろん、異世界云々の部分は伏せた上で、だけど。


「――なるほどねぇ。若い頃のフランスでの思い出を、最近起こったことかのように日記に残してた、と。しかも、日記に書かれている出来事を、奴さんがどこで体験したのか判然としねぇ……ってことでいいかな?」

「はい……。すみません、日記の原本をお見せできれば手っ取り早かったんですが……」

「なぁに、構いやしねぇさ。日記の方は、君が大事に持っときな。……しかし、ふむ。どこの出来事なのか判然としねぇ記録に、大昔のことを最近のことのように書き残している、ねぇ。なるほど、なるほど」


 僕の話に、何か思い当たることでもあったのか、襖の向こうでヤッさんが何度も頷くような気配があった。

 そして――。


「その日記とやらに書かれた出来事が、一体いつ、どこでの思い出を記したもんなのかは俺にも分からねぇが……時間や場所が曖昧、というか滅茶苦茶な理由だけは分かるぜ」

「え!? ほ、本当ですか?」

「ああ……。こいつぁお袋さん……君のお祖母様も知ってたことなんだが。英司の奴、死ぬ少し前に大怪我して入院してたんだよ、一ヶ月くらいな」

「……一ヶ月も入院を?」


 それは初耳だった。祖母は一言もそんなことは言っていなかったけど。


「入院の手配をしたのが他ならぬ俺だからよ、間違いないぜ? 奴さん、アパートの階段から派手に落ちて、頭を強く打っちまったのさ! 病院に担ぎ込まれて暫くの間は、自分がどこの誰で今が何時いつなのかも分からねぇくらい酷い状態でな……怪我が治ってからも、ちと記憶の方が怪しいって言ってたぜ」

「記憶が……怪しい?」


 ――そう言えば、叔父さんの日記にもそんな記述があったような気がする。


『――そもそも、どれもつい最近の出来事のはずなのに、微妙に遠い昔のことのように記憶に靄がかかってしまっていて、詳細を書けないんだがな。歳くったせいか、どうにも最近の記憶があやふやなんだ。

 実はこの日記も、そのあやふやな記憶をきちんと紙に書いて整理したいって気持ちから書き始めた』


 確か、そんなことを書いていたはずだ。


「じゃあ、日記の中の時系列や場所が曖昧なのも……?」

「ああ、記憶障害の影響ってやつだろうなぁ。本人は時系列を追って書いているつもりでも、実際には時間も場所もバラバラ……ってことじゃねぇかな――そうだな、例えばどんなエピソードが書いてあったんだ? 俺も知ってる話かもしれねぇ。ちょいと教えてくれねぇか?」

「あ、そうですね……。ええと、例えば……山奥の村で大きな蜂の群れを駆除した話とか」

「ほうほう。他には?」

「ええと……外国人の若い女性にストーキングされた話、とか?」

「……ふむ、その話ならもしかすると知ってるかも知れねぇな」

「本当ですか!? ええと……他には……あ、そうだ。とある歓楽街を救うためにギャングの親玉みたいな奴を陥れるって話が――」

「……ちょいと待ちな」

「えっ……?」


 ――そこで突然、ヤッさんの雰囲気が変わった。口調にもどこか張り詰めるようなものが感じられる。


「……確認なんだが、英司のその日記は、他の誰かに見せたりはしてないんだな?」

「はい……。少し内容を話すくらいはしてますけど、直接見せたり詳しい内容を話したりはしてないですが……?」

「……そうか。なら、いいんだ。――あのな、これは独り言として聞いてほしいんだが……その日記は決して誰にも見せてはならないし、中身をこれ以上誰かに話してもいけない。君が平穏無事に暮らしたいなら、な」

「……えっ? それってどういう――」

「だから独り言だって。聞き流してくれ……と言ったところで、君は納得しないだろうな。……ああ、そうだな。独り言ついでに、もう少しだけ話をしてあげよう。とある男の、昔話を――」


 そしてヤッさんは静かに語りだした。

 とある男の――叔父さんの、僕の知らない姿を。

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