4.豚男の逆襲

 俺が「ヒバリの丘亭」に雇われてから、早くも一週間が経とうとしていた。当初はどうなることかと危惧していたが、何だかんだで早くもこの街に馴染みつつある。


 大将――俺は店主のことをそう呼んでいる――は相変わらず何を考えているのかよく分からないが、コックのフェイは人懐っこくてすぐに打ち解けられたし、フロア係の女店員・リンも何かと俺を気遣ってくれたので、仕事仲間にはまずまず恵まれたと言っていいだろう。


 フェイは二十代半ば、リンにいたっては十代後半位に見えたので、二人と話が合うかどうか不安だったが……よく考えたらここは異世界なのだ。世代間ギャップどころかがある中で、細かいことを気にしても始まらない。

 そう割り切って、変に取り繕うような接し方をしなかったおかげか、二人とは仕事の後に飲みに行く程度には仲良くなれていた(異世界らしく十代のリンも飲酒OKらしい)。


 食事が口に合うかどうかも少し心配していたが、見事に杞憂に終わっていた。

 この街の料理は中華料理によく似ていた。特に麺料理が盛んで、ラーメンにも似た料理がポピュラーらしい。


 「ヒバリの丘亭」の名物料理である芋料理も絶品だった。

 コロッケ風の揚げ物に、チーズをベースにしたソースをドバっと豪快にかける料理なんだが……これが死ぬほど美味い!

 濃厚なチーズの風味と細かく刻まれたハムの塩ッ気、そしてコロッケ風の揚げ物のホクホク感が口の中で暴れまわる、シンプルながらも奥深い味だ。

 元の世界に戻ったらこの料理で一旗あげようか? なんて考えるほど気に入ってしまった。


 そんなこんなで、俺は想像以上に快適な異世界生活を過ごしていた。だからまあ、ちょっと気が大きくなっていた部分もあったんだろうな。

 盛り場で奴隷の褐色美女に狼藉ろうぜきを働こうとしていたオーク族にケンカを売っちまうなんて。


 まあ、負ける気はしなかったし、褐色美女を無事に救い出して主人のもとへ返してやれたんで、俺も最初は「良いことしたなぁ」なんて呑気に考えていたんだ――オーク連中が俺の居場所を嗅ぎ付けて「ヒバリの丘亭」に乗り込んでくるまでは。


 俺がいつものように厨房で黙々と芋の皮剥きをしている時のことだった。

 フロアの方からなにやら怒声が聞こえてきたのだ。

 なんだなんだ、と扉の隙間からフロアの方を覗いてみると……そこでは数人のオーク族がリンと対峙し、何やらわめき散らしていた。


「だーかーらー! おっさんを出せ! って言ってるブヒよ!」

「お客様~? 当店には『おっさん』等と言う名前の店員はおりません~」


 連中が俺を探しているのは明らかだった。オーク族の顔の見分けなんぞ付かないが、恐らく先日相手をしたオークの仲間だろう。

 リンは気丈にも連中を追い返そうと強気の態度を取っているが……危な過ぎる。

 責任は俺にある。店に迷惑はかけられないと考え、厨房から飛び出そうとしたが――。


「エイジさん、もうちょっと待つといいね」


 二の腕をフェイに掴まれ、制止された。

 フェイは何やら不敵な笑みを浮かべていたが……そんなことよりも驚いたのは、掴まれた腕がビクともしないことだ。フェイはかなりの細身だが、見かけ以上に力持ちらしい。


「待てって……リンが危ないだろう? 連中の目的は俺だ。俺が出ていけば――」

「いいから、フロアの様子をよく見るといいね」


 言われてフロアの様子を窺うと……確かに少々奇妙な光景が目に飛び込んできた。

 相変わらずオーク連中はリンと対峙している。しかしその傍らで、店にいた客達が何やらテーブルや椅子をフロアの端っこの方へと運んでいた。まるで場所を空けるかのように……。

 だが、オーク連中はそのことに気付かぬまま、遂にリンの肩を掴み――。


「ブヒヒヒ、姉ちゃんよく見たら可愛い顔してるじゃねぇブヒか! おっさんの前にお前を可愛がってやるブヒよ!」

「……あらあらお客様、あたしをご指名? では僭越せんえつながらお相手をさせていただきます――ねっ!」


 それは一瞬の出来事だった。

 リンの体が沈み込み、肩を掴んでいたオークがそれにつられて少し前屈みになった――ところへ、すかさず

 オークは口をだらしなく開けていたのでガチンッと音がするほど激しく上下の歯をぶつけることになり――そのまま、もんどりうってあおむけに倒れてしまった。


「ヒュゥ! いつみてもキレのある掌底だね! ささエイジさん、僕らもやるよ~! ノルマは一人二匹ね!」

「ちょっ、フェイ!?」


 戸惑う俺に構わず、フェイはフロアへと踏み込んでいく。

 仕方なしにそれに続くと、リンの鮮やかな一撃を前にポカンとしていたオーク連中が俺に気付き、「いたぞ! あいつだ!」と襲い掛かってきた。

 ――こうなったらやるしかねぇ!


 俺とフェイに向かって、四人(四匹?)のオーク族が襲い掛かる。


 ――余談だが、オーク族は皆一様に黒い革のパンツとそれを吊るサスペンダーだけという半裸同然の恰好をしている。そんな奴らが大挙して襲い掛かってくるのだから、ファンタジーと言うよりは世紀末感があった。


 ――それはさておき。


 四人の内二人の前にフェイが立ちはだかる。

 フェイが手にした得物を見て一瞬だけ警戒したオーク達だったが、体格と数の利があると見たのか、フェイを取り押さえようと掴みかかってきた。

 だが――。


「ひゅっ!」


 フェイは華麗なステップでオーク達の手を掻い潜ると、両手の白刃を目にも止まらぬ速さで振るった!

 容赦のない斬撃がオーク達のでっぷりとした体を斬り裂いた――かに見えたが、違った。オーク達は無傷だ。だが代わりに――。


『ブ、ブヒィ!?』


 をオーク達が咄嗟に手で押さえる。――そう、フェイが斬ったのは奴らのサスペンダーだけだった。オークの達の体を傷付けずにサスペンダーだけ斬ってみせたのだ。凄まじい腕前だった。


「……ちょうど豚肉が足りていなかったんです。お兄さん達、?」


 フェイがいつもの人懐っこい笑顔で、そんなとんでもないことを言ったので、サスペンダーを斬られたオーク連中はすっかり怯えてしまっていた。

 いや、俺も怖いよ!


「ブヒ!? なんなんブヒかこの店は!? くっそう! ならばせめておっさんだけでも――」


 フェイの迫力に及び腰になっていたオーク二匹がやけくそ気味に俺に突進してきた。

 相手が平静なら人数的にも体格的にもこちらが不利だが、奴らは今、著しく冷静さを欠いている。ならば付け入る隙は十分すぎる程ある。


 俺は奴らを迎え撃つべく、ファイティングポーズを取った――。

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