程門立雪ぼるしぇーぶにくズ

大氷結



 陰気で寒いこの国の、とある場所に桜が咲いた。すぐに枯れてしまったが、種子は充分に振り撒かれていた。

 扶桑熱。日本の奇異な巨木がもたらしたという病だが、扶桑に近しいものは他国にも存在している。大っぴらにしないだけで、各国の研究者が血道を上げて研究に精を出した。

 オリガ・イリイーニチナ・シュシュノワもその中の一人であった。彼女はロシアの植物研究所に研究助手として勤めていて、扶桑熱を究めんとするものたちの只中にいた。この国で最も扶桑に近い位置にいるのだと誇りさえその胸に宿していた。

 オリガのいる研究所で行われていたのは、人為的に扶桑熱患者を作れるかどうか。一人の人間にいくつ異能を付与できるか。どこをどう触って弄れば人は異能を手にできるのか。血か、遺伝子か、あるいは……。幸いにしてサンプルは多々用意できた。中国系マフィアから仕入れた素体は、血を流し、体を壊されて、その命すら容易く奪われたが、彼女らに確かなデータを示した。

 非人道的な実験だと気づくのに時間はかからなかった。否、オリガは端から知っていた。探求心を盾に、暗がりのモニターを見つめるのに夢中だっただけだ。きっかけは分からなかったが、彼女は実験体の目を見るようになり、それが脳裏から焼きついて消えなくなった。次第にアルコールに溺れるようになり、実験に付き合いきれなくなったオリガは研究所から逃げるようにして出たが、追われて、シベリアの立ち入り禁止区域、通称、《ゾーン》と呼ばれる場所で生活するようになった。彼女もまた、実験の影響で異能に目覚めつつあったのだ。


「魔法使い(ヴォルシェーブニク)みたいだ」


 狼に襲われていた子供を助けたのは単なる気紛れで、偶然だった。

 命を一つ生かしたところで、殺したものが蘇ることはない。その罪が消えることもない。

「は。そう見えたか」

 だが、オリガは子供を助けて、ゾーンで育てることにした。他にやることと言えば、酒を飲むか、本を読むかしかなかったから、最初は暇潰しのつもりだった。

 子供にはアレクセイ・イリイチ・シュシュノーフと名付けた。存外に可愛らしいところがあって、オリガはもっぱら、彼のことをアリョーシャと呼んでいた。彼の全身は傷だらけで、首の後ろには番号のようなものが焼き印で捺されていた。アリョーシャが自分のいた研究所から逃げ出したのは明白だった。どうせ自分も追われる身だ。オリガはさして気にしなかった。

 一人だった暮らしが、少し賑やかになった。

 たとえば朝。すぐ近くから聞こえる寝息。

 たとえば昼。二人分の食事を用意する時間。

 たとえば夜。ぱちぱちと燃える炎と、本のページをめくる音。

 天気がいい日には二人して外を歩き、吹雪の日には家にこもってたくさんの話をした。当たり前のことが何だかむず痒かった。

「お師匠」と、いつしか、アリョーシャはオリガのことを師と呼ぶようになった。彼女はそのことを煩わしくも面映ゆく感じた。厳しい自然の中、すくすくと育つアリョーシャがいた。オリガはあまり酒を飲まなくなった。もう以前のように、溺れて、虚ろな目をすることも少なくなった。

 幸せだったのか。

 たぶん、幸せだった。

 この頃の思い出は、オリガの胸をいつだって温めてくれた。何年経っても、何十年後でも、死ぬ直前までも、きっと温めてくれるに違いなかった。



 売布警察署扶桑熱患者事件特別対策係、メフでは《花屋》という名で通っている。彼らは公僕だ。犯罪者に敵視され恐れられ、同業からも少し変わった目で見られている。

 そのようなことを気にしていても仕方がないし、意味がない。重要なのは犯罪者を取り締まり、捕まえることで、それ以外の事柄は職務にさしたる影響を及ぼさない。狼森という男はそう考えていた。

 メフでは扶桑熱患者による犯罪が後を絶たない。人が超常の力を手に入れたならば規範を容易く乗り越えてしまう。そうせざるを得ない背景も多分にある。罪を犯したものにも情状酌量の余地があり、誰も好き好んで犯罪に手を染めることなどない。貧困や怨恨、人間である以上ついて回るしがらみに背を押され、がんじがらめになった末に起こることだ。しかし狼森には関係がなかった。彼はただ、犯したものに相応の罰を与える。そも彼は、異能を用いて犯罪を起こす人間は、異能を持ち合わせていなくても犯罪を起こすと考えている。世の中には理由も原因もなく、因果関係をまるっきり無視して殺人を犯す人間もいるのだ。

「暑いねえ」

 警察署の隅にある、スタンド式の灰皿がぽつんと置かれただけの喫煙所で、狼森は気だるそうに紫煙を吐き出した。彼の傍らには蹲ってげっそりとした表情の鍵玉屏風がいた。彼女は狼森を見上げて力なく笑う。

「たばこなんざやめちまえばいいのによう」

「そりゃもっともだ」

「言ったなこの野郎。だったら今すぐ全部捨てろよ」

「たばこをか? もったいねえじゃねえか」

「たばこ吸う時間がもったいねえよ」

「吸わなきゃやってらんねえのさ。お前にだってあんだろ。そういうもんが」

 屏風は悲しそうに呟いた。

「ねーし。オレってば品行方正だかんな」

「そうかい」

 発砲したがりの公僕の、どこが品行方正だというのか。狼森は咥えていたたばこを噛みそうになった。

 二本目のたばこを吸い終わった時、署内から若い男が顔を出した。彼は《花屋》ではないが、狼森たちに悪感情を抱いていないやつだった。

「おお、お前もか」

「いやたばこじゃないっすよ。狼森さん、あんたらに客が来てます」

「客?」

 狼森は訝しんだが、若い男に、とにかくついてきてくれと言われ、たばこの箱を未練がましそうにポケットにしまった。

「客ってな誰なんだよ」

「亜人の女の子っすよ」

 心当たりはなかった。

 署内の廊下にかつかつと足音が響いている。狼森は、自分たちが追っている事件を想起した。彼が追っているのは目下のところ二つだ。

 一つはマンションの住人が皆殺しにされた事件。犯人は複数であり、殺した住人と成り代わるようにして、その一室で数日間を過ごした。

 もう一つは《上》から頼まれている、《バーバ・ヤガー》なる人物の捜索である。ロシアくんだりからわざわざメフに来て身を潜ませているそうだが、狼森は《バーバ・ヤガー》にはあまり興味を持てなかった。そいつがメフで何かをしでかしたわけではないからだ。それから、彼はその存在を鵜呑みにしていない。

 手がかりはいくつかあった。犯人たちが現場に残していったからだ。しかし多過ぎた。一つ一つ丹念に調べていくうち、別の手がかりが薄れて消えて追えなくなる。しかもその間に別の事件が起こった。玖区の喫茶店で起こった殺人だ。その場にいた犯人の内、一人しか捕らえることができなかった。

「…………」

「あ? んだよ相棒。何じっと見てんだよ。オレのことそんなに好きか?」

 狼森はおバカな相棒から視線を外した。

 ただ、喫茶店で捕らえたものからは話を聞けた。《夜鳴鶫》と呼ばれていた男だ。彼は最初こそ口を割ろうとしなかったが、狼森が誠実な態度で何度も何度もお願いすることで素直になった。《夜鳴鶫》からの話を聞く限り、マンションと喫茶店の手口はほとんど同じだった。現場にいた仲間、ピラム、ングじいさん、ヤオガーばあさん、メアリなる四人の名前も出てきた。二つの事件が同一犯の手によるものは明らかだった。しかしその四人は行方知れずだ。《夜鳴鶫》は言わなかったが、彼らには協力者がいる。残りの連中はどこかに匿われているに違いなかった。

「ああ、こっちっす」

「……おお」

 署内の一角にあるソファに一人の少女が座っていた。女性職員に付き添われる形で、じっと俯いている。服が所々破けて、裸足だった。足には血がこびりついている。固まっていて、剥がすのに時間がかかりそうだ。震えているのも見て取れた。少女は日本人ではないようだった。

「ああ、そういうこと」

 屏風はつまらなそうに言った。

「喫茶店にいたやつだ」

 狼森たちはソファの近くまで行き、立ち止まって少女を見下ろした。彼女は、ゆっくりと顔を上げた。

 幽鬼のような、魂が抜け出たような顔だった。少女はまだ十代だ。亜人だが、その証たる角は折られていた。いや、と、狼森は思考する。自らの手で折ったのかもしれない。

「屏風。喫茶店ってことは、この子は」

「オレさまに楯突きやがったやつだよ」

「ついさっきっすよ。この子がここに飛び込んでくるみたいにして来て、何も話さないもんだから『どうしたの』って聞いたんすよ。でもこの有様でしょ。とりあえずここに座らせて落ち着かせようとしてたら、ありゃ、どっかで聞いたことのある風体だなって」

 若い男が事情を説明した。

「それで俺らに通したってわけか」

 間違いなかった。狼森が《夜鳴鶫》から聞いていた特徴とも一致する。この少女はメアリ・リードだ。そう確信した瞬間、彼の全身が熱くなった。今すぐに、殴りつけてでも、足蹴にしてでも、この少女から話を聞き出さなくてはならない。

「狼森さん」

「ん? なんだ?」

「取調室にゃあ階段なんてないっすよ」

 若い男に釘を刺され、狼森は苦笑した。

「しかし、何があったらこんな風になるのかね」

 そういったことも聞き出す必要がある。粘り強く。執念深く。



 八月の朝。夏休みに入ってから日差しがまた強くなった。燦々と照りつける太陽に起こされて、幸は鬱陶しそうに寝返りを打った。三度寝を決め込もうとしたところで机の上から声がかかった。

「ご主人様。睡眠は百薬の長だと思うけど、寝過ぎるのも体に毒だよ。気持ち良過ぎて二度と目覚めなくなってしまうかもしれないからね」

 カエルがけろけろと笑った。幸は鬼無里の言うことを無視していた。

 首なしニンジャライダーや期末テストという問題はあったが、幸たちは無事に乗り越えて夏季休暇を手に入れた。だから三度寝は試練を乗り越えたものへのご褒美であり正当な権利である。幸はそう信じてやまなかった。

「いや、こうして昼まで眠るのも悪いことじゃないとは思うけどね。君は期末の成績もよかった。夏休みに入ってすぐに課題を済ませたし、狩人見習いとしても何度か研修に行っていたね。アルバイトも友人と遊ぶこともやっている。私が学生の時分はもっと自堕落で一人きりでぼんやりしていたけど、君は私とは違う。そうだね。充実しているように思う。だけど、君自身はそうじゃない。君はまだ満たされていないように、私には見える」

「……今日はお喋りですね」

「怒っているのかい。そう邪険にしないで欲しい。何せ私の楽しみと言えばご主人様とのお喋りだからね。反応があるというのは得難いものなんだとこの姿になって改めて思ったよ」

 そのように言われると弱かった。幸は瞼を擦りながらゆっくりと起き上がる。

「起こしてしまったかな」

 幸はぼけっとした頭であることを考えた。机の上の鬼無里がいるのは以前の水槽の中ではない。彼女に促されるまま購入したアクリル水槽の中にいる。水槽の中には水草や苔や石、小物をレイアウトして作られた人工的な自然があった。テラリウムというやつだった。

「鬼無里さんは寂しいんですね」

「ストレートに物事を伝えられるのは君のいいところでもあり、悪いところでもある」

「水槽の中、もっと他の草とか……小魚も入れた方がいいでしょうか」

 鬼無里は首を傾げた。

「いや、私はただ君に構ってもらいたいだけだよ」

「一匹だけだと寂しいかな。そうだ。もう一匹カエルを持ってきたら……」

「ちょっと、待って欲しい。ここは私一匹……いや、一人で大丈夫だ。他のやつを入れるのはやめてくれ。襲われたらどうするんだ」

「でも、こう、やっぱり景観が」

 幸はアルバイトの給料や狩人研修で得たお金をこのテラリウムに突っ込んでいた。環境を保てるように設備もばっちり揃えていた。有り体に言うとめちゃめちゃハマっていた。

「やっぱりコンセプトが定まってない感じがするんです。鬼無里さんはどう思いますか」

「充分だよ。私から言っておいてなんだが、少し驚いている」

「ふうん。あ。鬼無里さんは好みのタイプってどんなですか」

「ええ? そんなことに興味があるのか」

 幸は首肯する。

「そうだな。……いや、少し考えてみたが、私のようなのを好きになる人はそうそういないからね。であれば、私みたいなやつが偉そうなことを言うのもどうかと思うんだ。強いて言うなら、私のことを好きになってくれた人のことを好きになるんじゃないかと思うよ」

「そういうんじゃなくて、もっと具体的に」

「具体的と言われても」

「種類とか。ほら、アマガエルがいいとか、ヒキガエルがいいとか」

 鬼無里は大きめの石の上に飛び乗るや、二本足で立って幸を指差した。

「君はアレだろう。よく女性を怒らせるだろう。しかも自分ではどうして怒られたのかが分からないタイプのやつだ」

 心当たりはあったが、幸はそんなことはないとぶっきら棒に言った。

「研究者は異性の心を分からないとか言われるし、実際、私の周囲にもそういう人は多かったが、それでも今ほど失礼なことを言われたことはなかったぞ」

「異性の心が分からないのって、別に研究者だけじゃないと思いますけど」

「そうやって話を変えようとするのは……」

 鬼無里はハッとした顔になると水中に飛び込み、流木の陰にそっと隠れた。幸が不思議に思っていると、ドアがノックされてむつみが顔を覗かせた。

「なるほど」

「おそよう、幸くん。何がなるほどなの?」

 幸は笑って誤魔化そうとしたが、むつみがいつものようにダラっとした服装ではなく、仕事へ行くときの格好をしていたので不思議に思った。

「あれ。叔母さん、お仕事ですか」

 むつみはご機嫌斜めであった。彼女は長い溜息を吐いて、部屋の壁に体を預けた。

「君はいいね。夏休みがあって」

「叔母さんにも夏休みがあったじゃないですか」

「そういうことを言ってるんじゃないの。私は、君に当たり散らしたいだけなんだよ」

「……ああ、そうですか」

 幸はもう一度眠りたくなってきた。クーラーの出す冷風が心地よくてしようがなかった。

「こんな時間までだらだらしちゃってさ」

「だって、昨日古海さんがしつこかったんですもん」

「……何かされたの?」

 何か思い出すように目を細めると、幸は昨日のことを話した。

「や、ずっと帰りたくないとか言って。ぼくとか、コーチとか、雪蛍さんとかで山から引き剥がすのが大変でしたよ。まるでカブトムシみたいになっちゃってて。家で嫌なことでもあったんでしょうか」

 ああ、と、むつみは重たい息を吐いた。

「たまにあるんだよ、あいつ。家に帰りたくないって言うか、一人になりたくないんだと思う」

「寂しいんでしょうか」

「人はね。誰だってさ、結構寂しがりな生き物なんだよ」

「叔母さんも?」

「まあね」とむつみは短く言った。

「あ、だからぼくを引き取ってくれたんですか」

 水槽の中のカエルが跳ねた。水音がして、むつみはそちらに顔を向けた。

「そ。君をいじめるためにね」

「えへへ」

 幸は笑った。その様子が不気味に映り、むつみは困惑した。

「夜には帰ってくるけどさ、お昼は狩人らしく自分でどうにかして」

「はい。どうにかします」

「うん。そこのカエルでも食べてなよ。……はあ。何だかすごいことになったよね、それ」

「テラリウムのことですか」

 むつみの視線には呆れとか、そういったものが含まれていた。

「やっぱり分からん。なんでペットにお金をかけちゃうかな」

「そうですか? でも、犬や猫を可愛がるのと同じだと思いますよ。叔母さんはそういうの飼おうと思ったことはないんです?」

「ないよ。犬猫飼ったら終わりだって聞くし」

「何が終わるんですか」

「うるさいな」

「ぼく、そんなおっきな声出してませんけど」

「うるさい」

 よく分からないが、どうやら触れてはいけない部分に触れてしまったらしいことは幸にも分かった。

「そいで、何かあったんですか」

 むつみは髪の毛をかき回しながら、何の気なしに言った。

「魔区でまた何かあったみたいでね。私はそこに行かないけど、他のところで穴が開いちゃったからそのフォローに」

「何があったんでしょうか」

「ケモノが出たんだってさ」

 魔区とケモノ。幸の脳裏を馬鹿でかいカエルが過ぎった。

「今、何考えてる?」

「あ」

 気づけば、すぐ近くにむつみの顔があった。彼女は幸の顔を覗き込んでいる。

「お腹空いたかもって」

「そう。お昼作ってってあげようか?」

「いえ、大丈夫です。お仕事行ってらっしゃい」

「やだなあなんか、追い出そうとしてるみたい」

「そんなことないですよ」

 むつみは薄く微笑んで幸から離れた。

「さち君だから宿題とかテストとか、そういうのは心配いらなそうだけど他のことは気をつけてよね」

「はい」

「ん、そいじゃあね」

 むつみは手をひらひらさせながら出て行った。彼女の気配が完全になくなったのを待ってから、鬼無里が水中から声を発した。

「こう言っては何だが、苦手な人だな」

「でしょうね」

 そもそも鬼無里さんカエルだし。とは言わなかったが、幸は何とも言えない顔で鬼無里を見つめた。

「しかし、胸が痛むな。魔区にケモノが出たならその責任は私にある」

「でも、カエルのケモノは粗方片付けたって聞いてますよ」

 あれから、狩人や市役所の人間が玖区を捜索し、新たにできた裂け目の中も調査している。その過程で見つけたケモノの討伐は完了しているはずだった。

「それでも生物を完全に駆除することは難しいんだよ。あのサイズのカエルばかりとは限らなかっただろうし、小さくて賢いやつが隠れ潜んでいたんだろう」

「げろげろ鳴くし、見落とすってことはないんじゃないんですか?」

「カエルにも鳴かない種類のものはいるんだよ。そも、鳴くためには鳴嚢めいのうという器官が必要でね、それを持っているのはオスばかりだ」

「メスのカエルは鳴かないんですか」

「全ての種類がそうだとは限らない。メスにも鳴嚢がある種もいるし、小さな声で鳴くやつもいる。それに普通の個体とは違い、扶桑熱に罹った個体……つまりケモノと呼ばれる個体には知能が備わっている節がある。そうでなくともカエルにはサテライトオスと呼ばれるやつもいる」

 鬼無里は大きな石の上に座り込んだ。

「生き物の本分は子を作ることだ。カエルだけじゃない。繁殖期になると様々な手法で異性を誘って交尾をする」

「カエルの場合は、けろけろ鳴いておびき寄せるんですね」

「そう。しかし中には鳴かないでメスを獲得しようとするやつもいる。体が小さく、力が弱いオスがいたとしよう。そいつはメスを誘おうとしても、もっと体が大きく、力の強いオスにメスを横取りされてしまう。そればかりか縄張りも追い出されてしまうだろう。まあしようがない。それが自然の摂理だからね。でもね、小さいやつは鳴かなくなるんだ。他のオスがげろげろ鳴いてメスを誘うだろ。そうやって鳴いているオスの傍でね、鳴かないでじっと潜む。で、近づいてきたメスを横取りする。それがサテライトオスだ。何も卑怯なことでも何でもない。カエルだけじゃなく、他の生物も同じことをやっている」

「じゃあ、魔区にまた出たってケモノも」

「そういう可能性もある。生き物には不思議が多い。いや、不思議なことばかりだ。分かっていないことの方が多いし、分かっていると私たちが勝手に思い込んでいるだけかもしれない」

「そうですよね。なんか、こうやって話してると鬼無里さんってホントに研究の人だったんだなって」

「そうかな。ふふ、素直に褒められるのも悪くない気分だ」

 鬼無里は鼻から息を漏らした。色んな事を棚上げして少し得意げだった。

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