幸、甘いものが食べたくなる
幸は以前よりも早起きになった。委員長の仕事があるのでいつもより早く学校へ行く必要があったからだ。
「そうそう。狩人になりたいとか言う前にそうやって学校を頑張りなよ」
むつみは気楽そうに言って幸を見送る。彼もまたその通りだと思っていた。卒業まで二年近くある。自分のことを考えるには短すぎるかもしれなかったが、精いっぱいやってみようと思った。
学校についた幸は職員室へ向かう。掲示物や連絡事項を確認するためだ。そうしていると鉄がやってきて、委員長の仕事や、委員会についての話をしてくる。
「委員長になって早々仕事が増えてしまいますが」
今日は放課後に委員会があるらしい。生徒会から各クラスの委員長への連絡や、催し物についての話し合いを行う場だと幸は認識した。
「それから、これは八街さんにだけお伝えしておきます」
幸は小首を傾げる。
「明日、一組に転校生の方がいらっしゃいます」
「そうなんですか? ……ちなみに、男子ですか。女子ですか」
「女子の方と聞いております」
やったぜ。幸は内心で小躍りした。脳内にいる自分が、盆と正月がいっぺんに来たようなはしゃぎぶりで狂喜乱舞している。さもありなん、二年一組の男女比は絶望的だった。男、男、男。どこをどう見ても何度確認しても男子ばかりである。女子もいるにはいるのだが出席率が悪い。しかも毎日のように登校していた水原深咲がいなくなったので、今の一組からは女っ気というものがまるで皆無であった。
「嬉しいですか?」
「何がですか?」
幸は空とぼけた。鉄は追及しなかった。
「転校生の方がお困りのようでしたら、クラスの皆さんでお手伝いなさってください」
「もちろんです」
「それでは、私はこれで」
転校生がどんな人物なのか気になって仕方なかったが、委員長としての職務も果たさなければならない。幸は妙な使命感に駆られていた。
放課後、幸は鉄に言われた通り三年の教室へ向かう。そこで委員会をやるらしい。
「失礼します」
教室の戸は開け放たれていたが、中には誰もいなかった。三年の教室も二年のそれと同じだが、何となく雰囲気があった。幸は適当な椅子に座り、リュックサックから読みかけの本を取り出す。三十分ほど本を読んでいると、戸を叩く音が聞こえて顔を上げた。
「何を読んでいるんだ?」
上背があり、すらりとした体型の男子生徒が出入り口近くから幸を見ている。彼はフレームの太い眼鏡を指で押し上げた。
「ダムの本です」
「ダムの?」
「三峡ダムすごいですよ、色んな意味で」
「ほう、どんなだ?」
「これです」
幸は本を開いて見せた。背の高い男子は興味深そうにそれを見つめる。
「壮観だな。メフにもダムはあったはずだが、さすがに規模が違い過ぎる」
「実物も見てみたいんです。溢れたり、流れてる水をずーっと眺めてたら楽しそうだなあって」
「それもいいが、俺は釣りも好きだ」
「ああ、そういうのもいいですね。楽しそう」
「うん。ところで君は?」
幸は本を閉じて、改めて話していた相手を見た。知らない人だった。
「二年の八街です。ここで委員会があるって聞いたんですけど」
「委員会? ……ああ、そういえばそうだった。用事が重なってな。すまない、待たせてしまったようだ。俺は三年の
幸は目を丸くさせた。
「会長さんでしたか」
「ああ。では始めよう」
「あの、他の人は?」
長田は腕を組み、難しそうな顔で目を瞑った。
「各学年、各クラスに委員がいるはずだが、会長に就任して以来ほとんど見た覚えがないな。ついでに言うと生徒会の副会長も見たことがない」
「大丈夫なんですか、それ」
「憂慮している。しかし改善にも取り組んでいるところだ。……二年と言ったが、何組だ?」
幸が一組だと答えると、長田は低く呻いた。
「そうか、水原君の。……君は彼女を知っていたか?」
「いい人でした。少なくともぼくにとっては」
長田は満足げに頷く。
「しかし、そうだな。委員会を始めたいところだが、実はこれといった議題がない。生徒会の方で調整中の案件はあるが、どうなるかは分からん」
「どんなことを話してるんですか?」
「君はこの学校をどう思う?」
ぼんやりとした質問だったが、長田の表情は真剣だった。幸は誤魔化さないで答えようと考えたが、蘇幌に来てからひと月と経っていない。正直言って分からなかった。それを口にすると、長田は相好を崩した。
「俺はこの学校を変えたいと思っている。部活もそうだが、他校に水をあけられているところは多い。それに、自由な校風とはいうが、自由と無法をはき違えてはならない。俺はそう思う」
「案件っていうのは、そういうのにかかわることですか?」
「そうだ。詳しいことは話せないが、期待してくれると有り難い」
学校の改善とはどのようなものなのかさっぱりだったが、よくなるのなら応援したい。幸はそう感じた。
「もちろん、応援します。ぼくにできることなら協力させて欲しいくらいです」
「おお、そう言ってくれるか。なんというか、すげー嬉しい」
「すげー?」
長田は咳払いしてから威儀を正す。
「忘れてくれ。会長らしい言葉遣いを心がけているのだが、ついな」
「気にしないでいいと思いますけど」
「俺のルールだ。ルールは守らなくっちゃあならない。だろう?」
シニカルな笑みを浮かべると、長田は体を伸ばした。彼は携帯電話を確認して頭に手を遣った。
「いかん、呼び出しを喰らった。生徒会の書記からなんだが、実際、そいつの方が会長に向いているような気もするよ。今度は八街君にも紹介しよう」
「あ、次の委員会はいつですか?」
「そうだな、決まったら予定を掲示板に貼りだしておこう」
長田は教室を出ようとしたが、立ち止まって幸に向き直る。
「俺がいるかどうかは分からないが、よければ生徒会に顔を出すといい。茶ぐらい出そう」
「お茶が出るんですか」
「ここだけの話、結構いい菓子も出る」
長田の笑みは年相応に無邪気なものだった。幸もつられて笑った。
学校からの帰りしな、幸はむつみにおつかいを頼まれてタダイチに来ていた。野菜や日用品をかごの中に入れながら、夕飯は何だろうかと物思いに耽った。
買い物を済ませて店を出ると、通りを颯爽と歩く女性の姿が目に入った。
「あれ? 古海さん?」
声をかけられた女は立ち止まり、幸をじっとりとした目つきで見つめる。
「あ。幸くん? あれ、どしたの?」
幸は持っている袋を掲げてみせた。
「晩ご飯の買い物? へー。お、今日はカレーかな」
「たぶん八宝菜とかだと思いますけど」
「八宝菜! へー。具沢山でさ、体に優しそうだよね。何せ八個も具があるんだもんなあ。ごはんにかけると中華丼になるなあ。あっ、なんかそういう話してたら、こう、なんてーの? えへへ、だよね?」
古海はお腹が減った、ご飯が食べたいと言っている。自分の一存ではどうにもならないので、幸はそれではと立ち去ろうとした。彼女は幸の腕を掴む。咄嗟のことだったのか、古海は笑って誤魔化そうとした。
「ちょっと今月ピンチなんだよね。あと家庭の味とか手作り感に餓えています。お願いっ、幸くんからむつみに言ってくんないかなー」
「じゃあ、ちょっと電話で確認してみます」
「だめっ」
幸の動きを制すと、古海は意地悪い笑みを浮かべた。
「あいつは案外、押せば崩れるタイプだからさ。心の準備させるよりゴリ押しした方が上手くいくんだよね」
今から押しかけるつもりらしい。幸はすっかり困ったが、たまにはむつみの困るところも見たくなってきた。彼の思惑を見抜いたか、古海は意味ありげに幸の肩を叩く。
「なんかごめんね。でもま、ここで会ったが運の尽きということで諦めて」
「気にしてないですよ。古海さんが来ると賑やかで楽しそうですから」
それは本当だった。幸もむつみも基本的には物静かで口数は少ない。
「ホント―? 気ぃ遣わないでいいからね」
「はい。あ、でも緊張はしてます」
「なんで? 私怖い?」
「古海さん綺麗なので。さっきもすたすた歩いてたところ格好良かったですよ。それスーツですか? 似合ってるというか、決まってる感じです」
古海は笑顔のまま固まった。
「お仕事の帰りですか?」
「え、あー、そう。市役所の方で」
「お疲れ様です。市役所ってことは狩人のお仕事ですか。実はぼく」
「ちょっと待って!」
古海は幸の両肩に手を置く。彼は食われんじゃないかなと思った。
「なんだ幸くん。その感じは。君、いつもそういうこと言ってんの? むつみにも?」
「ええ? どういう感じのことですか」
「お疲れ様とかさー、似合ってるとかきれいだとかさー」
むつみには言った覚えがない。そもそも彼女は常に家にいるのだ。お疲れ様だとかスーツが似合っているとは言いたくても言えないのである。
「叔母さんにはあんまり」
「え? そうなん? じゃあその分だけ私に言って」
なんでやねん。
道すがら、古海は一人暮らしの侘しさや寂しさを滔々と語った。大人は大変ですねと軽く流せないくらいまくし立てられた。
「そういうわけでさ、ご飯作って」
家に上がるなり、古海は仁王立ちになってむつみを見下ろした。幸は買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に入れて我関せずを通した。
「お願いだってー、たまにはいいじゃんか。私がこういうこと言うの珍しくない?」
「もう帰って」
「ちょ、本当お願い。だってもうここまで来ちゃったし、完全に八宝菜の口になっちゃってるし」
「帰って」
古海は拝み倒した。根負けしたのか、むつみは仕方ないなあといった風に息を吐く。
「じゃあお湯沸かして」
「おっ、オケオケ、そんぐらい手伝う手伝う」
「戸棚にカップ麺があるから」
「そういうのは食べ飽きてるんですけど」
「お腹に入れば何でも一緒じゃない」
それだけ言うと、むつみはテーブルに突っ伏した。
「少年の差し金だな」
低い声は呪詛のようだ。
幸は、むつみと古海を見比べる。
「ダメですか?」
「ダメだよ」
むつみは起き上がり、心底から鬱陶しそうに、面倒くさそうに口を開いた。
「甘やかしてもろくなことないよ。だいたいいい大人なんだからさ。恥ずかしくないのかな。ごはんとかお金とか自己管理ができていないだけ。第一、この女はこう見えて私より年上なんだよ。一度甘やかすと入り浸るのは目に見えてるし、やかましいし、喋らない分シロアリやダニの方がずっとマシだよ」
「ちょっと。誤解されるじゃない。あんたと一か月しか変わらない同級ですー」
むつみの言い分はもっともかもしれないが、さすがに言い過ぎのように感じられたし普通に可哀想だった。幸は援護射撃を試みた。
「さっさと食べて帰ってもらった方が早いんじゃないですか?」
「……それもそうか」
「ありがとう幸くーん! でもちょっと雑なフォロー」
むつみは夕飯の支度を始めた。幸は古海にお茶を出して、自分も椅子に座る。
「いいなー、ねーむつみー、幸くん頂戴よー」
「いいよ。そんな考えなしな子」
「どういう意味?」
幸は、狩人になりたいことや、それをむつみによく思われていないことを話した。その話を聞いた古海は気楽そうに笑う。
「いいじゃん。なりたいんだからならせてあげれば」
むつみが野菜を切る音が一層大きくなった。
「こっわ。……まあ、うん。わざわざ狩人になることもないんじゃないかな。幸くんだったら他にもっといい仕事見つかると思うよ」
「嫌です」
「そんなになりたいんだ?」
幸は頑なだった。
「でも、狩人って儲からないんですね。古海さん、大変そうですし」
「そ、そうだね」
古海は茶を啜った。
「それは違うよ。そいつが見栄ばっかり張って無駄遣いしてるだけ」
「あんたは張らなさ過ぎ」
「その見栄は古海にどれだけいい思いをさせてくれたの?」
古海の顔が引きつっていた。ここで歯向かうと夕飯にありつけないことは自明の理である。しかし言い返したい。そんな葛藤が分かりやすく表れていた。幸は話題を変えた。めちゃめちゃ気を遣わされていた。
「狩人ってどうやったらなれるんですか」
古海はパッと表情を変えて幸に微笑みかける。
「結構楽だよ? 特に難しいこともないし。あ、でも、正式な狩人になりたいなら話は別かな」
「狩人って、皆さん正式じゃあないんですか?」
「正社員とバイトみたいなもんかな。まず採用試験に通らなきゃ。厄介なのは実務経験かな。一年はやんないと認められないの。そんで、私らみたいな正式な狩人と一緒じゃないとケモノは狩れないし」
「伝手がなきゃ難しいんですね」
「うーん。一応、市も斡旋とかはしてるんだけどね。ほら、どこも人手不足だし、狩人なんか特に人気ないからさ」
幸はまだ話を聞きたかったが、むつみがテーブルに料理を並べ始めた。
一年間の実務経験。狩人としてケモノを狩る。想像するに前途多難である。しかし、やるべきことは見えたような気がして、幸は密かに決意を新たにしていたのであった。
古海が帰った後、むつみは部屋に戻ろうとする幸を引き留めた。
「もうこんなことがないように」
「ごめんなさい」
「せめて連絡して」
幸は小さく頷く。
「それから狩人のことだけど。……あのお喋りからいいことを聞いたって顔をしているみたいだけど」
「してません」
「してる」
むつみは幸を指差して、その指をぐるぐると回す。
「私は協力しないよ。でも、まあ、悪くないんじゃないかな、とは思う」
回していた指をぴたりと止めると、むつみは口の端を歪めた。
「今の君は、ここに来た時よりずっと生き生きしてるように見えるからね」
自分がそんな風に見られていたことが気恥ずかしかったが、嬉しくもあった。幸は目線を逸らして俯いてしまう。
「一応、私は君を預かってる保護者ってのを忘れないように。何も意地悪で言ってるわけじゃないよ」
「それは分かってます」
「よろしい。それじゃ、お休み。……ああ、それから」
むつみは立ち上がり、やおら幸の腹の肉を摘まんだ。
「もう少し鍛えておいた方がいいかな。さち君はただでさえちみっこいんだから」
今のは間違いなく意地悪だった。
翌日、学校の教室で田中たちとカードゲームで遊んでいる幸だが、実際は気もそぞろな思いをしていた。何せ今日、転校生が来る。しかも女子だ。浮足立ってはいたが、委員長としての職務も全うすべきだとやる気にも満ち溢れていた。
ホームルームのチャイムの後、鉄が教壇に立つと、皆の視線がそこここに散った。
「おはようございます。連絡事項ですが、今日は転校生の方がいらっしゃいます」
教室がざわめく。幸は息を呑んだ。
「どうぞ、お入りになってください」
鉄に促されてやってきたのは、長い髪の少女である。瑞々しい黒髪が朝の陽を浴びて照り輝いていた。
「
猪口蝶子なる少女は楚々とした足運びで教卓の近くに寄ると、控えめな笑みを浮かべた。男子の視線は、しみ一つない真白の
蝶子は鉄の指示した席に座り、それから、クラスメートに向けて小さくお辞儀する。男子の心は完全に虜になっていた。
男子連中は休み時間になっても遠巻きにして蝶子を見ていたが、昼休みが終わる頃になると、一人の男子が意を決して彼女に声をかけた。
「いつ越してきたの?」
蝶子は少しの間をとって、二日前だと答えた。教室から感嘆の声が上がる。今度は別の男子がやってきた。
「もう扶桑は見た?」
「はい、車の中で。遠くからですけど」
「センプラとか行った?」
「せんぷら?」
「遊び場。だいたい、そこしかないんだよね」
いつしか蝶子は取り囲まれていた。質問攻めに遭っているが、おびえた様子はない。案外、肝が据わっているのかもしれなかった。幸はその様子を見て、自分が転校してきたばかりのことを思い返していた。
「あの質問は鉄板なんだね」
翔一は小さく笑う。
五時限目の授業が始まってもなお、男子は未練がましく蝶子に話しかけていた。
猪口蝶子は大人しかった。授業態度も真面目で、ノートにずっと書き物をしていた。放課後になり、幸は翔一たちに背中を押される形で話しかけた。自分が深咲にしてもらったように学校の案内を申し出たのだ。蝶子は申し訳なさそうに謝った。
「寄り道してはいけないと言われているので」
教室から落胆の声が上がった。
「ごめんなさいね」
「ううん、何か困ったことがあったらいつでも言ってね」
去り行く蝶子の背中を見送ると、男子どもは円陣を組んだ。
「一組にも春が来たな。それもぽっかぽかの春が」
「この機を逃してはならない。誰ぞ、策はあるか」
田中大が幸に目を向けた。
「相手方は寡兵ながら西国無双の如き傑物。ここはまず、八街委員長を軸にして砦の攻略を進めるのがよろしいかと」
「出方を窺いつつ、隙があればそこを狙う、と」
「つまり、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に、ということだな」
「素晴らしい! じゃあ頼むぜ八街」
「えっ」
「お前にかかってる」
「ちょっと待って」
「大丈夫だって。だってヤチマタさ、デートとかしたことあんだろ? このクラスで一番女の扱いに長けてるってことだもんな? な?」
翔一の目は据わっていた。どうやら彼はまだ根に持っているらしかった。幸は頭を抱えた。
「頼むよー、学校生活に彩りが欲しいんだよー。遊びとか誘ってよー。クラスでなんかやろうよー」
「委員長! 大総統!」
「しようがないなあ」
幸は頼まれると弱かった。
その日以降、幸は蝶子へのアプローチを試みるのだがどれもすげなくあしらわれるのであった。
ある夜、幸は猛烈に甘いものが食べたくなった。学校の課題を済ませて、後は眠るだけのはずだったが、どうしても我慢できそうになかった。
「うああああでも面倒くさいよおおお」
ベッドで悶えているとドアがノックされた。
「うるさいなあ」
「叔母さん、お菓子が食べたいです」
「食べればいいじゃない」
「でもうちには何もないんです」
むつみは眉間にしわを寄せる。
「じゃあ買いに行けばいいじゃない」
「もうタダイチ閉まってますよ」
「寝なよ、もう」
幸は自分がどれだけ甘いものを欲しているのか説明した。最初は彼を邪険にしていたむつみだが、熱の入った口調に感化されたのか次第に様子が変わっていった。
「何だか私も食べたくなってきた気がする」
むつみは少しだけ何かを思案して、玄関の方を指差した。
「買いに行こうか」
午後十時を回るとタダイチは閉まる。コンビニは開いているが少し遠い。そこでむつみは遅くまで開いているドラッグストアへ行くのを提案した。幸は一も二もなくその案に乗り、二人して出かけることになった。
二人が向かったのは、同区のドラッグストア《いかるが堂》である。
「よかった、ちゃんと開いてた」
目ぼしいものを見つけてレジに向かうと、店員からポイントカードの作成と会員登録を勧められた。むつみはぼうっとしていたので、店員に言われるがままペンを持たされてしまう。
「カード作るんですか」
「そうなってた」
幸はむつみからお菓子ばかりのビニール袋を受け取って外で待つことにした。窓に貼られたアルバイト募集のポスターを見ていると、自動ドアが開いた。そちらに目を遣ると、気が強そうな瞳がぎょろりと光り、視線がぶつかる。
「おつかい?」
いかるが堂のスタッフジャンパーを着た少女が幸に微笑みかけた。彼が返答に困っていると、少女はツーサイドアップにした、明るい色の茶髪をかき上げる。
「偉いけど、子供がこんな時間に出歩かないようにね」
「おつかいというか、連れがいます」
「……ああ、レジでカード作ってる人? ふうん。あんまり買い物しないの? 作った方がポイントつくからお得よ?」
「いつもはタダイチで済ませてますから。今日は、もう閉まってたからここに」
少女の目の色が変わる。幸は異様な気配を感じた。
「は? あんたタダイチ派なの? しかもうちにはタダイチが閉まってたから来たですって?」
この少女は店員ではないのだろうか。体は小さいが態度が大きい。彼女は幸に詰め寄った。
「いいこと? 一つ教えてあげる。タダイチで買い物しない方がいいわよ。特に食料品。更に言っちゃうとお肉」
幸は笑みを浮かべた。困った時の癖だった。
「分かったの? 分からないの?」
「だってドラッグストアにお肉は売ってませんし」
「お肉を食べなきゃいいじゃない! とにかくタダイチだけはダメだから」
ダイレクトなネガティブキャンペーンをする少女は幸を指差す。偉そうな所作だが堂に入っていた。
「それじゃあね、気ぃつけて帰るのよ」
少女は店の裏の方へ歩き去っていった。よく分からない人物だったので、幸は、できるならもう会いたくないと思う。往々にしてその種の願いは叶わないものだ。
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