第84話「黒髪の悪魔」

感情というのは、一種の『リミッター』だと思う。

彼の出した理論になってしまうが、これは確かな事かもしれない。

人間とは、一つの感情で動く事もあるという。

それは感情に左右されない人間など、存在するはずがないのだ。

自分の定義と表向きに言っていたとしても、それはそういう感情が動いている。

肯定されるのも否定されるのも、肯定するも否定するも、全ては同じ事。

好きならば好きで、嫌いならば嫌いというものだ。

彼は何を思って、あの者をこの世界に連れて来たのかはまだ分からない。

だがそれでも私は、彼の遺志いしを継ぐ事を約束した身だ。

この見下ろす事の出来る世界から、彼が気にかけたあの者を観る事が遺志。

彼のその意志だけは、まだ私の中に残っているようだ。

「……リン……君は、あの人間の事を好きだったのか?」

存在を肯定し、その存続を望んでいたのか?変革を望んでいたのか?

まだ分からないままだが、いつか分かる時が来る事を信じるしかない。

今の私に出来るのは、あの者の歩む道を観て行くだけなのだから――。


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――背中が熱い。僕は一体……。

霞んだ世界の中で、自分の身体が悲鳴を上げている。

その声は外側から、徐々に内側へと侵食していく。

これは何というのだろうか。

――あぁ、そうか。僕はここで『死ぬ』のか。

傷つけられた部位が軋んでいる。触れていると理解出来る。

指先に付いた赤い液体は、床で水溜りのように流れていっている。

このまま目を塞いでしまえば、楽になれるのだろうか。

『――――』

真っ暗な闇の世界で動く身体は、血を求めて彷徨さまよっている。

視界が動いているという事は、僕の身体が勝手に動いているという事だ。

止めなくてはならない。そう思っても、何かに縛られているかのように動かない。

まるで蜘蛛の巣に囚われている気分だ……。

今の僕は、彼らからどう見えているのだろうか。

どんな風に、映っているのだろうか――。


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「くくくくくく、はははははははっ!愉快、愉快だ。貴様らのような人間が、我を傷つける事など、出来はしない――――崩れろ」

『や、やめてくれ。た、たすけてくれ……ぎぃぎゃあああああああああっ!』

一人の少年は、中空に伸ばした手で兵士の顔を覆う。

その瞬間、その兵士は跡形も無く消滅してしまった。

まるで最初から、その場に居なかったかのように。存在自体を抹消されたように。

「お主は何者なのだ……ただの少年では無かったのか……?」

『王よ!ここは逃げるべきです!貴方だけでも!――う、うわぁあああああああああああ!』

警備兵の断末魔が響き、城内はパニックに陥っている。

それもそのはずだ。

一人の少年が無作為に、無節操に、無造作に、ただ兵士たちを殲滅しているのだ。

しかも剣も槍も通じず、不敵な笑みを浮かべながら歩きを止めようとしない。

「――壊れろ!」

ある者は、何かに引っ張られるように肉体を斬り裂かれる。

「――弾けろ!」

ある者は、内臓が破裂するかのように爆発していく。

「――潰れろ!」

ある者は、その周囲だけが何かに圧縮されるように消滅していった。

殺戮は止まらず、ゆっくりと少年は王へと近づく。

「こ、この悪魔がっ!!」

怯える王の首を掴み、少年は片腕のみで空中へと持ち上げる。

「全ては世のことわりを守る為。貴様をその罪を犯し、多くの者を散らせていった。もはや生きる価値などない」

「き、貴様はどうなのだ!これほどの力を振るい、何故我々を殺すのだ!それこそ、罪ではないか!」

「我がするべき事は、神が選択した事。我が行う事は、神の意志。貴様如き人間が、出しゃばる場ではない。素直に喰われ、その身も、魂も、我に与えれば良いだけだ」

少年の足元から闇が溢れ、まるで死人だけがいるかのように王の身体を掴む。

もがき苦しみながら、抗えば抗う分だけ絞めつけられる。

そのまま王は闇に引き摺られ、少年の足元の影は消えて行った。

だが次の瞬間、少年は両手を挙げて笑みを浮かべるのだった。

「――さぁ、絶望の始まりだ」

ただ一言、呟いて……。


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鎖に覆われた世界。

手足も、胴体も、首も……全てが鎖で繋がれている。

見える物は鎖と真っ白な世界だけだ。

だが僕にはこれだけで、何が起こったのかを理解出来てしまった。

――あぁ、またやってしまったのか。

そう思うしか、今の僕には出来ない。

この状態になってしまった僕の身体は、僕の意志など関係なく破壊する。

絶望という名の虐殺を繰り返し、人々が完全消滅するまで止まる事はない。

この状態になった瞬間だけ、僕の中に『僕』という人格がかえって来る。

フレアという名前の僕ではなく、『如月皐月』という名前の僕が……。

蜘蛛の巣のように張り巡らせられた鎖は、恐らくは僕を閉じ込める為のもの。

今の僕は多分、そのまんま『意志』とか『感情』という事だろう。

……塞ぎ込んでいるのだ。

外を全て遮断してしまえば、灰色の世界に見えるあの頃と同じだ。

何も変わっていないし、何も成長などしていないのだ。

自分の身体が勝手に動くというのは、我ながら可笑しい言い方だ。

傍から聞けば、何を言っているんだと思うだろう。

でも実際問題、それは僕の目の前で起きている現象だ。

映画館に居るような感覚で、自分が見ているであろう視界が見えるのだ。

だけどそこには僕の意志はなく、こうして動けずに繋がれている。

まるでここから出したくないという意志があるように……。

『――――!』

僕が意識を取り戻すのは、数時間後。

「…………」

目を醒ませば、そこには廃墟のようになっている荒んだ場所。

その荒れた大地の上で、僕は灰色に染まった空を眺める。

僕の事を抱き締める彼女の声を聞きながら、僕は静かにまた目を閉じるのだった。




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