第72話 摘発
「あなた」
私は布団に入って、左手の指輪を触る。
「うん?」
左手を布団から出して、智さんの顔の前に出した。
「ほら」
「ああ」
「これで、私はあなたの妻です」
「もっと前から妻だったじゃないか」
「ううん、私も指輪一つでそんなに変わらないと思ったけど、こうやって付けてみると『この人の妻なんだ』って思うの。なんだか、心が満たされるわ」
智さんも左手を出す。
やっぱり、男の人の手だなと思う指には、私と同じ指輪がある。
こうやって、二人で見ると私たちは夫婦である事を実感する。
「そうだな、俺たちはやっと夫婦になったのもしれない。これからも幾久しくよろしく」
「こちらこそ、あなた」
私が抱きつき口付けをすると、智さんは私の服を脱がし始めた。
いつものようにお義父さんに緒川駅まで送って貰い、3人で名古屋から新幹線に乗るけど、私は昨夜の事もあったので、直ぐに眠る。
母は智さんの家に泊まるかと思ったけど、そのまま自宅に帰るという。
母とは、三鷹の駅で別れて、私たちは歩いて自宅に帰る。
私が左手の指輪を触っていると、智さんが聞いてきた。
「彩、指輪に何か違和感があるのか?」
「ううん、ほんとにあるのか確認しているの。無くなったら困るもん」
「そんな簡単に無くならないだろう」
「そうなんだけど、つい気になって…」
自宅に着いて、コーヒーを飲んでいると智さんがしみじみと言う。
「さて、明日からまた仕事か」
「私は、まだ仕事らしき事をやらせて貰えないから、プレッシャーってないから」
「そうだな。下の人間が入って来ないうちはそうだな」
「だとすると、1年間で辞めるなって事ね」
「いや、1年で辞めれば、楽な人生が送れるって事さ」
「それはそれで、人生だめになりそう」
結婚式が終わったとは言え、特段変わる生活ではなく、いつものように月曜日が始まる。
智さんと一緒に会社に行って、広報課の中で社内報について、会議が始まる。
「上田さん、何か社内報に載せるネタがあるかな」
「新入社員特集でどうでしょうか?面白い趣味があるとか、将来どういう家庭を築きたいとか、どういう仕事をしたいとかを掲載するというのは?」
「では、杉山さんの意見は?新入社員なので、今の上田さんの意見はどう思う」
「えっ、は、はい、いいと思います」
「こういう時は自分の意見を言ってね」
上田先輩に言われてしまうが、新参者の私が出しゃばるのも憚れる。
「えっと、あんまり立ち入ると、プライバシーとか言われそうです」
私が結婚していると分かるような事は、ちょっと。
「そうだな、なかなか難しいところもあるな」
そう言うと、みんなが腕組を始めた。
結局、海外派遣社員からの地元紹介とか、国内事業所からの状況報告をメインとして紙面を作成することになって、会議は終了する。
「上田先輩、社内報って言ってもかなかな難しいですね」
「そうねえ、最近、大型受注もないから、こうドーンというトピックスがないのよね」
「大型受注があると違うんですか?」
「それは違うわよ。受注した方も誇らしげだし、それに嫌々、取材を受けるなんてのもないから」
「嫌々取材を受けるなんて、あるんですか?」
「現場の人たちだと忙しいから、特派員報告をお願いすると、写真を撮ったり、文書を書いたりするでしょ。それが結構手間で、嫌がられるのよ」
「そういうものなんですね」
「そういうものよ」
上田先輩とお昼に社員食堂に行くけど、今日は智さんの姿を見ない。
お昼も来れないなんて、お仕事忙しいのかな。お昼は食べられるのだろうかと、心配してしまう。
それからしばらくして、家で智さんとTVを見ていた時に談合のニュースが流れた。
「本日、警察庁は愛知県の国道整備事業に絡む談合疑惑で、東京に本社がある、上野建設、品川建設、大森土木の3社を家宅捜査しました」
これは例の物件じゃないかな?やっぱり、あの入札は危なったんだ。
「あなた、これって、例の…」
「ああ、そうだ」
ニュースが終わると同時に、智さんの携帯が鳴る。
どうやら、部下の方からみたい。
「ああ、今TVを見ていたところだ。うちは入ってないようだな」
ニュースの談合の話のよう。
「明日、この件については話をしよう」
「あなた、ニュースの件ですか?」
心配になって聞いてみた。
「武田係長からだ。TVのニュースを見て、電話してきただけだ。明日、会社で打ち合わせをする事になった」
しばらくすると、また智さんの携帯が鳴る。
「はい、杉山です。あっ、部長、ええ、見ました。その件については明日会社で打ち合わせをする予定です。ええ、はい、その際はお声をおかけします」
「部長さん?」
「そうだ、明日打ち合わせに呼んでくれと」
うちの会社は談合のニュースで社名がなかったけど、大丈夫だったのだろうか。
なんだか、心配になる。
翌朝、会社に入ろうとすると、いきなり呼び止められた。
「あの、今回の談合の件でお話をお伺いしたいのですが」
「あの、私、新入社員で何も分かりません」
智さんが、心配そうに私の方を見ている。
「あっ、いえカーネル佐藤建設さん以外の事でもいいんですが…」
「ちょっと、君、申し訳ないが、彼女はうちの新入社員で、しかも事務員だ。そういう事は聞いても分からないだろう」
智さんが来てくれ、手で行けと合図してくれるので、私はそのまま会社の自動ドアの中に走っていく。
私は自席に荷物を置くと、会社の中の窓から取材の様子を見るけど、智さんと取材チームの周りに人垣が出来ている。
そのうち、一人がスマホを出して何か言っているが、ここからではよく聞こえない。
何か言ったのは、たしか新入社員研修で一緒だった吉田さんだ。
すると、取材チームは機材を片付けて、去って行った。
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