V.TOO MUCH PAIN

V - 01

 午前三時の道路を走っている車はろくになかった。


 警察の検問は見当たらず、ブロックに乗り上げず、対向車とも激突せず、ガードレールが車体を貫通することもなかった。ただ降り続ける雪が道路や窓ガラスを薄く濡らしているだけだった。免許があろうがなかろうが、アクセルを踏めば進む、ブレーキを踏めば止まる、車の運転なんかそれだけだ、と岸田は言った。


 道中、岸田がスマートフォンをハンズフリーにして播磨に通話を繋げる。


 状況説明。

 部屋に誰かわからない男がいて、手錠をかけられた。昔、家を燃やされたらしいが詳細不明。連絡が途絶えた僕らの様子を見に来たドライバーがナイフで刺された。僕がヘアピンで手錠を解いて、そのまま男の鼓膜を突いた。岸田が男を踏みつけた。火は点けなかった。無免許で運転中。

 以上。


 最後に、男の財布から引き抜いた免許証の名前と生年月日を読み上げる。


《一二時に、以前の部屋に来てください》


 電話口の播磨が答えた。


 呆れている、というと変だろうが、呆れているような気がした。

 ツー、ツーとスマートフォンが鳴り、通話終了を知らせた。


 ひどく、空虚だった。

 窮地を脱したはずなのに。


 どこからどこを辿ってあの男が火点け屋まで辿り着いたかはわからないが、あんなことはこの先そうそう起きないだろうと僕にもわかった。執念とか妄執とか、そういうものが結実した結果の偶然だっただろうに、手錠の鍵は簡単に開いたし、男には殺意や勢いが足りてなかった。だから僕に耳を突かれた。


 岸田は死に損ねた。 

 因果は応報じゃない。

 死にたいときに都合よく殺してくれる人間はいない。都合よく偶然は起きない。


「何にもないな」


 岸田が言った。

 左右にも、前にも後ろにも、車も人もない。時折信号機がぽつんと立っては黄色に点滅している。岸田が無意味かつ不用意にウィンカーを鳴らし、ハザードを灯らせ、クラクションを響かせる。


「普通、何か、あるだろ」また岸田が言った。「殺人の後だぞ」

「普通じゃないからだろ」


 僕らが。

 あるいは、岸田が。


 それとも、そもそも殺人なんてこと自体が大したことないのかもしれない。自殺を戒める人間が誰も死んだことがないように、殺人を戒める人間だってほとんどが人を殺したことはない。


 何もない。

 何もないという認識だけがある。


「これで、お前は始めて二年で悪逆非道を一通りやり尽くしたわけか」

「殺しと放火しかやってねえよ」

「そこは逆だろ」


 笑えばいいのかわからない。


 僕はスマートフォンのマップ画面に目を落とす。三〇〇メートル先を左折。車が減速しながらウィンカーの矢印が光る。交通量の少ない真夜中の道路で、全ての信号機が延々と黄色に点滅している。


 僕は尋ねる。


「これからどうする」


 岸田が答える。


「対応待ち」

「そうじゃない」僕は言う。「これからもお前は続けるのかよ、これ」

「やめたって、他に何もねえだろ」


 車は走り続け、一度も降りたことがない駅の近く、コインパーキングに頭から駐車した。僕は服を着替え、紫苑に渡された帽子を目深に被る。午前四時。空はまだ真っ暗なままで空気が冷たい。


「一二時に、前の部屋に来い」


 岸田は言い、僕を解放した。

 解放しようが、僕に逃げ場がないことを岸田はよくわかっていた。


 紫苑の声が聞きたかった。

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