第3話
そこから、私の三畳一間のアルバイト人生が始まるのである。
六曜館を辞める時には既に別の働き場所は決めていた。そこは十店舗を持つ「船団」という会社だった。
私は外神田の船団に入社するのだが、時給は四百円。
それが当時の飲食店では平均的であった。その店では、忙しさだけを知った。そこは座席が六十七席。
それがモーニング時と昼時は満杯になるのだった。とにかく忙しかった。
そこの店長は二十歳。何も知らない社会人。中卒である。頭はバカだし、社会的なルール等何も知らない。
しかし、良く働く店長だった。コーヒーのコの字も知らず、知っているのはただ酔っ払うだけ。従業員の使い方も知らないし、包丁の研ぎ方も知らない。
ただ若さとエネルギーはあった。良く働いた。
仕事は量ではない。その質である。己が店のブレンドの多寡まで知っていなければダメ!彼はストロング珈琲とは何ぞや?と聞かれてアイスコーヒーの粉だ、と答えた。
そうではなく、フレンチコーヒーの焙煎の仕方なのである。その後、私は船団の店を全て回ることになるのだが、全て店長の能力不足は否めなかった。
神田店のあと。私は虎の門の店に配属されたのだが、社長も乗り込んできて言うには、
「神田店の経営は、お前がやっていたのか?」と質問された。
「私の知識は自給四百円では足りないと思います。千円くらい貰わないと、やってられぬ仕事だったのです!」と言った。
社長はその言には反発しなかった。その代わり、「田町店へ行ってくれないか?」と言った。
「アルバイトの連中がコロコロ替わるので、店長に問題があるのでは?」、と言う。
それに、「コーヒーの卸しと売り上げに差異があるのだ」等と言うのであった。
「虎の門店の売り上げにも不正がありますよ」と言った私に社長は何の返答もしなかった。
「お前はこのままアルバイトの身分でいいのか」と社長が言ってきた。
「私は自分の店を持つことを考えているので、今の身分でいいです」と答えてしまった。
その頃、何時に寝て何時に起きたのかの記憶は無い。
しかし、七時半に店は開けるので、その一時間前には起きていたのだろう。
その頃は、まだ眠剤は使っていなかったが、酒は良く飲んでいた。ある日などは、二合トックリを六回変えたことがあった。相当飲んだ。
田町店の帰途酔っ払って山手線の線路に落ちたことがある。その時には、四、五人の駅員が走ってきて助けてくれた。
その日の夜にはビールを八本飲んでいた。
ホームは案外高いのだ!私が自力で登ろうとしても上がれない。
その頃は毎晩飲まなきゃ、やってられなかった。睡眠が十分に取れていたとは思えないが、三畳には万年床が敷かれたままであった。
まだ土曜日が休日になる前の話である。
田町店の前にあるラーメン屋に良く入った。
私はそこでパーコーラーメンなるものを注文するのであった。
それは普通のラーメンの上にトンカツがトッピングされているものだった。田町店店長は、四十歳近くの島さん。
「俺は喫茶店が、こんなにきつい仕事とは思わなかった。」と言っていた。
その島さんもレジの金を私意していた。
その頃、私は店舗を探していた。
「社長、私の店の連帯保証人になってもらう事は出来ないですか!」と不遜なことを聞いた。
その時社長は、
「いちいちアルバイト風情の人間の保証人になっていたのでは、私は首でも吊るしかない!」と言った。
私は、船団の神田店と田町店を乗っ取る方法を考えた。その目的も充分達せられると思っていた。
島店長が、従業員の辞職に耐え切れず、
「鴻巣さんは、私を見捨てて辞めないよネ!」と泣きながら懇願するのであった。
その頃である。友人のクリーニング店経営者の山川氏が
「鴻巣さん、申し訳ないんだが私の客がレストランをやっていて、経営不振になっているので建て直してもらえないか?」と言ってきた。
私は即刻答えた。
「場所、何処なんですか?」
「真宗本願寺近くの東急ホテルのすぐ近くなんです。鴨原さんという女性の経営なのです。」
「承知しました。明日にでも行ってみます。」
ということで、私は船団を辞めた。そして「ポエム」という店を建て直すことに挑戦することになった。
そこには、三ヶ月いた。私は三ヶ月でそのレストランの従業員を集め、経営者の目標である売り上げを達成した。
コックまで私が面接して決めた。
次もまた、西武デパートの戸田市から請われた形で入った「モラエス」、という池袋のスナック喫茶店だった。
しかし、部長の妾の彼女とは意見が噛み合わなくて、半年で私は匙を投げたのである。
彼女とは事々に衝突した。人事、給料、スナックと喫茶店の力の配分と、どれを取っても経営者としての厳しさの無い女と衝突した。
彼女は生活費は、毎月部長から貰っていたはず。そんな気楽な経営者に妥協してまで働く気はなかった。
そこでの私の時給は千円だったが、次の月は五百円になり、その翌月は四百円になっていた。
その上にパーティーがある度に私は、深夜の一時、二時まで働かされたのである。
私に頼んだ部長が、約束通り千円渡すように彼女に告げることによって、私と彼女の仲は険悪になった。
そんな嫌気が差していたある日、富田社長が来店してくれたのである。
「鴻巣さん、申し訳ないんだけど、私の渋谷店を建て直して貰いたいんだが!」という話であった。
「社長、申し訳ありませんが私は店長にはなれないけれど、御子柴さんに店長を頼んでください!その下で良いのなら、すぐに伺います。」と言って、私は己の引き際は潔くありたいと思っていた。
だが己の店での引き際は、汚い所以となってしまった。
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