第74話 僕とボク -04

    四



 夜の病室。

 こんな夜中に面会が許されている訳がない。アメリカという今まで立ったことのない地で迷いに迷って時間を食ってしまい、現地に到着したのが夜になってしまったのだ。それでも佑香に会いたい気持ちが我慢できなかった所、病院内で半開きになっていたを見つけ、そこから侵入したのだ。

 因みに、佑香の病室は偶然見つけた。具体的に言うと、入った空き部屋の隣の部屋が、佑香の病室だったのだ。

 故に僕は、招かれざる客だ。本来ここにはいてはいけない。そのため、目的だけ果たしたら帰ろうと思っていた。

 僕は――佑香に会った。

 謝った。

 ノートを届けた。

 これで僕の目的は果たされた。

 ……なのに

 僕は動けなかった。

 いや、動きたくなかった。

 駄目だ。

 動け。

 帰るんだ。

 僕は帰らなくちゃならない。

 でも

 どうしよう。


 佑香がとても――愛おしかった。


 こんなに近くに佑香がいる。

 ショートカットになっても可愛い佑香がいる。

 すーすーと可愛い寝息を立てている佑香がいる。

 手を伸ばせば触れられる距離に佑香がいる。


 佑香。

 佑香。佑香。佑香。


「離れたく……ないよ……」


 抑えろ。

 この気持ちを抑えろ。

 無理じゃない。

 諦めずに抑えろ。

 止めろ。

 口を開くのを止めろ。

 言葉を出そうとするのをやめろ。

 駄目だ。


 もう、抑えきれない。


「……あのな、佑香。寝ているから聞いていないだろ?」


 僕は小さな声で、話し掛けてしまった。

 返事はない。


「そこにある小説……『Novel title Boku』はな。君との幼い時に交わした約束のものなんだけど……君と出会ってからのことを、登場人物の名前を変えて書いただけなんだ」


 返事はない。


「楽しかった日々を、書いたんだ。だから、それを思い出して笑ってほしかった。そして……君を想う人がいたことを、覚えてほしかった」


 返事はない。


「だが、中には僕の気持ちは明確には書いていない。最後のページで教えるつもりだった。だけどそこは――破り捨てた。もう、ない」


 返事はない。


「だから、今、口で教える。実はね、この小説、内容じゃなくてもっと目立つ所に、君へのメッセージを書いていたんだよ。そう――題名に」


 返事はない。


「そこにメッセージがあるんだ。僕から、君へのメッセージがあるんだ。驚かそうと思って、隠していたんだ。だからさ……」


 返事はない。


「次から言う数字の順に並び替えてみて」


 小さく息を吸うと共に、月が雲に隠れて部屋が暗くなった。


 そして。

 僕は、ゆっくり告げた。


 十四個の――数字を。


「……これで、全部だ」


 もうこれで十分だ。

 佑香は寝ていて、聞いていない。

 それでも、告げて満足だった。

 あの数字なしであのメッセージに気がつくことは、ほぼないだろう。

 だから、大丈夫。

 佑香に背を向け、窓に足を掛ける。


「……」


 最後に一言だけ、言おう。

 僕はそのままの姿勢で振り返り、真っ暗な病室の佑香がいた場所を見て――別れの言葉を口にした。



「さようなら、セリヌンティウス」



 その言葉と共に。

 月が雲から顔を出し、病室が明るく照らされた。

 その瞬間――


「……っ!」


 言葉を失った。

 僕の目には、佑香が映った。


 身体を起こして、こちらを見ている佑香を。

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