(13)地下騒動

 地上のダストボックスは掃き溜めの空間に通じており、古城内で出たゴミを一時的に留めておくための場所のようだった。

 タイル敷の床を囲むように、細い導水路が四方に通されている。その浅いくぼみを越えた先には道が続いている――オークション会場が地下に設けられていたことを振り返っても、古城はある程度の規模を持つ地下空間をようしているようだった。

 人の話し声は、正面にある暗い道のむこう側から、流水音に混じってかすかに響く程度だ。よくよく耳を澄ませてやっと単語を拾えるかどうかで、かなり距離があると推測できる。自分たちが『落下』した音も、おそらくはゴミが投棄された程度にしか思われていない可能性が高い、そうユリアナは判断した。

 ――話し声は、途中で途絶えた。

(聞こえた単語から推測するに、警備兵同士の交代、それにともなう定時報告って感じね。地下の隅々にまで警備を張り巡らせているようだけど……)

 キナアが自分たちをこの場所に誘導した理由はさだかではないが、味方であるというクラエスの発言を信じるならば、「手助け」してくれたと見て良いのかもしれない。それならば、その目的は――?

 ひとり思案するユリアナに背を向け、無言で暗い道を凝視していたクラエスが、そこではじめて彼女を振り返った。

「その……ユリアナ、」

 懐中電灯の細い光のなかで、淡青色の瞳と目が合った。

 言葉を選びかねように、クラエスが押し黙る。そして次に口を開いたとき、彼からこぼれ落ちたのはいつになく弱弱しい声だった。

「あの……生ごみのなかでも、貴方は十分、す、素敵です、から……」

「いきなり何よ、気持ち悪いこと言い出して。喧嘩売るなら後にしてくれない?」

 思考を中断させられた上、突拍子のない発言を受けて、ユリアナは鼻を鳴らした。するとクラエスは不満げに「べつに」と短く呟いて、そっぽを向いてしまった。

「やっぱり貴方なんてちっとも素敵じゃないし、可愛くも何ともないです。この我儘バカ娘、ちんちくりんのペンペン草――いや、そこらへんの雑草のほうがまだ可愛げがありますね」

「――はあ!?」

 突然の罵詈雑言にユリアナは顔をしかめた。しかしクラエスは冷たいまなざしで彼女を睨みつけただけで、暗い道に向かって音もなく走り出してしまう。

(な、何なのよ……! やっぱり今日のクラエスは訳がわからないわ。どっか行っちゃうし……!)

 考えている暇はない。クラエスを追うしかないのだから。

 しかし走ることができないというハンデを負った今、あっという間に距離を引き離されてしまう。幸い、クラエスの向かった方角は一本道で、迷うようなことはなかった。気配を悟られないよう懐中電灯の明かりを消し、壁の感触を頼りに進めば、ユリアナが歩くたびに義足が石床を叩く反響音が鳴る。

 そして時折、遠くから響いた人の呻き声とともに――ある程度の質量を伴った物体が音がする。

 暫く歩くと、三叉路に通じた。ずっと先で、オレンジ色の非常灯が光っている――床に倒れ伏す警備兵と思わしき複数の人間を横目に進み、通路の分かれ目に差し掛かったところで、大の男に跨ってその胸倉を掴むクラエスを発見した。

「――今の私はいつになく機嫌が悪いんです」

 低く、囁きかけるように、クラエスが掠れた声を響かせる。

 おぼろな明かりに照らされた青年の金髪が、薄く輝いていた。その端正な横顔、その眼差しを視界に入れた瞬間、ユリアナの心臓は意図せずねた。淡青色の瞳が、いつか出会った日のような張り詰めた冷たさを帯びていたからだ。

「人質がどこにいるか、さっさと吐いてください。さもないと――わかりますね?」

「ひ、人質……?」

「オークションの《商品》ですよ。まあ、もっともっと悪いことを、この城の主はやっていそうですがね」

 武器を手離した屈強な男の首を強引に揺さぶりながら、クラエスが呟く。

 男は首を振ることさえなく、ただ押し黙った。

「――――」

「言えませんか」

 すると、クラエスが素手で目の前の顔を殴った。

 肉を打つ重く乾いた音が二度、三度と間を置かず響く――ユリアナは息を呑んで、汗ばむ拳を握りしめた。視界の男が血の泡をこぼしかけたところで、喉もとに銃口を突きつけ、クラエスは再度質問を繰り返した。

「《商品》の居場所は?」

 ゆっくりと、子供に言い聞かせるように。

 そして質問の終わりで、銃の引鉄に指をかけた。

 ――男が顔色を変える。

「わっ、わかった……! わかったから……! 《商品》なら地下牢だ……! 今の時間帯ならオークションもけて、そろそろ朝の搬出のために移動させるところだ……!」

 半狂乱になりながら答える男に、クラエスは酷薄な笑みを向けた。嘲笑うような表情を保ったまま、「道は?」と問いを続ける。

「地下牢なら――――」

 男のかすれた声に重なって、道の先から複数の足音が響いた。

 クラエスは「ありがとうございます」と短く言い放ち、男の顎を拳で突き上げた。意識を失った男の頭が、重力に従ってガクリと項垂れる。

 クラエスはユリアナを振り返りもせず、「うしろにいてください」とだけ言った。

「ど、どうするの!? 搬出って……時間がないわ!」

「道を引き返すわけにもいかないでしょうから、強行突破です。今日の私はもうヤケクソですからね」

「何がなんだかよくわからないけど……つまりは乗り気なようで嬉しいわ!」

 ユリアナが答えると同時に、進行方向を含んだ二方から、制服姿の警備兵が二名、姿を現した。それぞれ小火器をたずさえている――

 銃口が向けられるやいなや、ふらりと道の中心に出たクラエスが正面の男に跳びかかった。軸足を中心に身をよじって、弾道かられると同時に男の両手を掴んで銃を奪い取る。と同時に後退をして、背中に向けられた小銃を脇に挟みこんだ。放たれた銃弾が、クラエスの正面に立つ男の肩口をえぐる。血飛沫が飛び、青年の白い頬を汚した。

 硝煙がたちこめるなか、クラエスは迷わず背後の男の顎を肘で突き上げる。相手が昏倒したのを確認すると、ユリアナに声をかけた。

「行きますよ」

 腕を掴んで引き寄せられ、先刻と同じように小脇に抱えられた。

 クラエスが駆け出すと、背後からさらに複数の警備兵が姿を現した。

「くそっ……キリがない……キナアめ、絶対私に対する嫌がらせでしょう……!」

 クラエスの腕に揺られながら、「私に任せて」とユリアナが声を張り上げた。

「いいものを持っているの」

「嫌な予感しかしないのでやめてください」

 クラエスの言葉は聞かずに、ブラウスの前ポケットに引っかけていたボールペンを掴む――ペンだ。カチカチカチ、とペンの頭を三回ノックすると、それを後方にむかって放り投げた。

「四秒よ」

 ユリアナがそう発言した瞬間、ペンが起爆した。

 走りながらオレンジ色の炎に包まれた通路を振り返り、クラエスが唖然とした顔をした。

「な、何てものを持ってるんですか、貴方は……!」

「ペン型の手榴弾よ。ファランドール家御用達のパーティーグッズらしいわ。ちなみに発明者はウルヤナって聞いたわよ」

 何はともあれ、これでけるでしょう? 笑顔で続けたユリアナに、クラエスは顔をしかめただけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る