(6)偽証

 バラドに教えられたとおり、山道を一時間ほど進んでいくと、眼下に軍施設らしき場所を臨めるようになった。背の高い鉄の門、風にはためく帝国ハディージャ軍の旗――あと半刻も歩けば、崖下にあるその場所に行けるはずだ。そう思った矢先、私は背後から強い衝撃を受けた。

 雨でぬかるんだ道の上では踏ん張ることもできず、そのまま崩れ落ちるように座りこんだ私の腕を、何者かがひねりあげる。

 視界の端に、漆黒の軍装がちらついた。

「ユリアナ・ファランドールだな」

 外套マントの留め金の上で、悪竜ヴィシャップの紋がキラリと光る。――皇帝直属軍イェニチェリだ。首をひねって上方向を睨みつければ、視界に見慣れない男の顔が映りこんだ。とたん両腕をひねる力が強まり、私は呻いた。


 ――昨晩の土砂崩れは人為的に起こされたものだ。建前は《難民解放戦線》の掃討だが――その裏で、お前を殺害しようとしていた――


 バラドの声が、脳裏によみがえった。

 かれらは、《リエービチ》を回収することが目的だという。彼の言葉がどこまで真理を突いているのか、正直なところ私には分からない。確かなのは、今自分が、あきらかに不利な状況に置かれているということだけだ。

「ま、待って……! 急に何なんなのよ……!」

 とっさに声を張り上げてみるものの、やはり返答はない。睨まれるだけだ。――こうして拘束された手前、この場で殺される可能性こそ低いと推測できたが、どこに連行されるかわかったものじゃない。

「私の話を聞いて。あなたのせいで服も手足も泥だらけだし、どう責任取ってくれるの?」

 めげずに言葉を続けた。逆光のなか、男が不愉快そうに目をすがめる。

「今、私は大事な文書を運搬中なの。に預けられたのよ。中身はよく知らないけど……これ以上手荒に扱うつもりなら、相応の対応を取ることになるわね」

「文書? そんな話は――」

「あなた下っ端? 伝達ミスか何か知らないけど、まるでお話にならないわね――これだから属領人は粗野でバカで困るのよ」

 滔々とうとうと喋る私を前に、その軍人は腕を握る手に力をこめた。

 あきらかに苛立っていた――私は目を細めて、「痛いわ」とささやいた。

「私、のお気に入りなの。こんな目に遭ったってわかったらあのひと、どう思うかしら。そのせいでこの前もひとり殺されたのよ、信じられる? あなたみたいな属領人ふぜいが、私をどうこうするなんて――身のほどを弁えたら」

 男は激昂したようだった。突如として、両腕が開放される――彼は私を殴ろうとしたようだった。その隙を見逃さず、ぬかるみから身を跳ね起こした。

「……っ」

 しかし寸でのところで後ろ髪を掴まれてしまう。かぶりを振ってその手を払おうとするものの、大の男の腕力には敵うわけもない。必死になって腰をひねると、目の前にあった腹に、渾身の力で「右足」を叩き込んだ――腕の力が緩んだ瞬間、ぬかるんだ斜面に立っていた私は、反動からなすすべもなく地面を転がり落ちた。

 あちこちに体をぶつけ、頭まで泥水に汚れる。それでもいちいちわめいている暇はなかった。めげずに身を起こすと、なりふりかまわず走った。

 どこかに逃げなければいけない。出会い頭に殴られた後頭部がズキズキと痛み、視界がチカチカと明滅した。前後の方向感覚も失われ、それでもなんとか山道を疾走しながら、私はもつれる思考をめぐらせた――ここから、どこへ行けばいい?

 記憶の片隅に地図を掘り起こす。軍施設は山のふもとにあり、幹線道路に面している。本来、私たちが軍用車両を使って通るはずだった道だ。危険な山の中に戻るよりは、クラエスと合流する可能性に賭けて外に出るべきか?

 しかし現状、こうもあからさまに皇帝直属軍イェニチェリが「牙」を剥いてきたことを考えると――今ごろ、クラエスはどうなっているのか。

 私はほんとうに、彼と合流できるのだろうか? 彼はまだ、私の味方なのか?

 一抹の不安がぎった、そのときだった。ふと右足のつけ根に違和感をおぼえる。かと思えば、それまで感じていなかった鉛のような質量が右足にしかかった。ガクンと体勢を崩し、道の中腹で倒れ込んだ。

 ――義足の機能が停止したのだ。

 理解すると同時に、目の前が真っ暗になった――稼働しない《リエービチ》は、バラドも言っていたとおり、ただの重いだけの代物でしかない。

 歩くのがせいぜいで、走ることなど到底。

 ……逃げきれない。

 背後から、あの男が追いかけてくる足音が響いた。絶望に胸が押し潰されそうになりながらも、私は両腕を突いて身を起こした。せめてどこかに隠れなければ。冷静に次の手を考えようとはするものの、頭がグラグラとして、思うように四肢を動かすことができなかった。

 そのとき、ふと頭上に影がかかった。弾かれたように顔を上げた私の視界に、それまで存在しなかったひとの姿が映り込んだ。

 風にそよぐ樹々の木漏れ日を受けて、赤い髪が燃えるように輝く。

 ――エレノアだった。

「――私の部下との鬼ごっこは楽しかったか?」

 数名の軍人を引き連れ、彼女は道の中央に立っていた。

 すらりとした体躯が、ぬかるむ地面に影を落としている。私は山道に座り込んだまま、呆然と彼女の顔を見上げるほかなかった。

「ユリアナ・ファランドール。16歳の小娘にしては、まあまあ頭は回るし、度胸もある。成績も優秀で、将来性のある優れた人材だ――さすがはファランドール家の娘というだけはある。しかし軍務のつらいところといえば、こうした若い芽を摘み取ることが往々にして発生することだな」

 慣れた手つきで安全装置を外し、ゆっくりと銃を向ける――その先には、私の頭。

「――お前の《リエービチ》は

 低く、朗々としたエレノアの声が山中の静寂を裂いた。

「ルスラン・カドィロフが企業向けに発表した販売用モデル、白鳥オデットシリーズ。いずれにしろ現存しない義足であるからして、私たちも欺かれた」

「何の話? ……私の足は本物よ」

「ではなぜ、お前は義足を片足しか持たない? ――《リエービチ》は初代所有者オレーシャに従い、もう片足――左足の黒鳥が無ければ機能しないはずだ。

 私は無言で、自分の右足へと視線を落とした。

「十年前、ふたつの義足が失われた。白鳥は行方不明となり、黒鳥は破壊された。――それが定説だった。

 だが、この十年……ファランドール家は設計図をもとに黒鳥を再現しなかった。

 とすれば義足の所有権はいまだに三人目で止まり、次の人間に解放されていないのではないのか。黒鳥は破壊されておらず、三人目がまだ両方の義足を所有している。――だがお前は黒鳥の在処は知っていても、身につけてはいないと言う。ならばお前の義足は偽証ではないか?」

「偽証じゃないわ。私がその『三人目』よ」

 間髪入れず返事をした私に、エレノアは青い目をすがめた。ゆっくりと歩み寄ってきて、身を屈めると、私の額に銃口を突きつけた。

 ひやりとした金属の感触に、私は唇を引き結んだ。

「命乞いのつもりか?」

「……あなたは私に遺構に向かうように言ったわ。そして黒鳥の場所へ案内しろとも。いま教えてあげる。黒鳥の持ち主は、ウルヤナ・ファランドール。彼がまだ所有しているの」

「彼は死んだ。死者が義足の所持者であるはずがない」

「そうよ。彼は死んだわ」

 ――話にならない、とエレノアは肩をすくめた。恐怖心から、私がデタラメを口にしていると思ったのかもしれなかった。

「……お喋りは終わりだ。どちらにしろ、お前はこの件に関わり過ぎた。所詮は属領生まれの娘。ファランドール家の娘といえども、当主はお前の死を悼まないだろうよ」

 そう言って、彼女は銃の引鉄ひきがねこうとした――私は目を見開き、エレノアの顔を睨みつけた。恐怖心以上に、怒りが先立っていた。

 エレノアの後方から発砲音が響いたのは、その矢先だった。

 舌打ちとともに、彼女が私から身を離す。銃弾は、彼女が立っていた場所を素通りして、私の真後ろにあった木の幹をえぐった。

 銃声音が聞こえたところへと目を向ければ、樹々の間にひとりの青年が立っていた。

「……ユリアナ」

 いつになく厳しい顔をして、クラエスは私の名前を呼んだ。

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