(13)荒野の薔薇《ローザ・ペルシカ》

 ファランドール家の屋敷――与えられた部屋は、静寂に満ちていた。私以外、誰の人影もない。窓の外から、かすかに鳥の鳴き声が響くくらいだ。

 ――〝白昼のクテシフォンを襲った惨劇。《女王派》より犯行声明。〟

 机に載せた小型端末タブレットを操作しながら、私はニュースサイトの過去記事を見返していた。遺失文明期にあった全世界的な巨大な蜘蛛の糸インターネットは、この国では厳しい閲覧制限と検閲によってコントロールされている。こうした情報機器を手に入れることもむずかしく、私はクラエスから借りたものを怖々使用している。

 ――〝属領喜望峰グッドホープにて奴隷兵マムルークによる蜂起。水素関連遺構が爆破される。〟

 思い立って、検索欄に「アラクセス・カラバフ」と打ち込む。すると一覧で表示されたのは、紛争に関する記事ばかりだった。

 淡々とスクロールをするうちに、ある見出しが目に留まる。

 ――〝アラクセス・カラバフの遺構が爆発。死傷者多数。〟

 アクセスして記事に目を通したものの、内容は学校の授業で習った程度のものしか書かれていなかった。流し見をしていると、最下部に関連記事が掲載されている。

 遺構爆発事件の関係者をまとめたものがあり、それをクリックする。すると、一覧でたくさんの人の顔写真が表示された。当時の副王領府関係者、遺構の管理者としてファランドール家の当主の顔もある。そして――。

「ウルヤナ・ファランドール……生没年を見ると、この人が当主の言っていた後継ぎかしら。それから――陳鎮雨チン・ジンウ

 夜色の肌をした青年に並んで、もうひとり、明らかに属領系とわかる面差しをした青年が載っていて、興味を引かれた。どちらも詳細なプロフィールは無く、技術工エンジニアと紹介があるくらいだが――。

「死因が処刑ホクム……。死刑にされたってこと? どうして? ……名前で検索しても、この記事しかヒットしないわね……」

 ふいに、頭の奥がズキンと痛んだ。

 ふたりの写真を眺めれば眺めるほど、頭痛はひどくなるようで――。

 そのとき、後方からガチャリと扉の開く音が響いた。それと同時に、悪い夢からめたかのように、頭の痛みはこつぜんと消え失せる。

 私が視線を向けた先には、キナアの姿があった。彼は無言で扉を閉めると、私のいるテーブルまで歩み寄ってきた。そして脇に抱えていた何かを差し出した――たくさんの黄色い薔薇ローザ・ペルシカだった。

「ありがとう。採ってきてくれたの? そういえば、この家の中庭にも生えていたわね」

 キナアはあいかわらずの甲冑に鎧兜の姿で、コクリとうなずいた。そして手際よく薔薇を花瓶にけていく。私は小型端末タブレットの電源を落とすと、行儀が悪いのを承知で机に両肘を突き、彼のようすを眺めた。

 ――喫茶店でエレノアと会ったあと、クラエスは軍の施設にむかうことになり、私はどこからか呼ばれてやってきたキナアに預けられたのだった。

 喫茶店を出てから、頭の片隅には、つねに《ザムエル・ファランドール》と書かれた『標的』のカードの存在があった。エレノアの口ぶりだと、彼は《女王派》と通じている可能性がある。それもほぼ『黒』だという。

 そのことを思うと、暗いものが胸をめてやまないのだった。喫茶店で彼の名を目にしたあの瞬間――ほんの一瞬、私はそのことを喜ばしく感じた。自分のことを散々痛めつけた男がされることに。

 同時に、そう感じてしまった自分に対して失望したし、いやなきもちになったのだ。

 私は溜息をつく。今はそのことを考えても仕方はない。気落ちした私を見かねてか、キナアは花まで採ってきてくれたのだから……。

 部屋の窓から射す光は傾斜がきつくなり、そろそろ日も暮れようという時間だった。私は黙々と手を動かすキナアの顔であろう部分を見上げ、それから彼の手にある花に視線を移した。

 黄色の薔薇ローザ・ペルシカは、砂漠や草原に自生するバラの原種だ。

 茎がなく、棘のあるの花で、五つの花びらは鮮やかな黄色をしている。その色は中央にむかうほど暗く濃い紫に変わる。この季節は首都のあちこちで陽に顔を向けているこの花の群生を見ることができ、けっしてものめずらしいものではない。

「……この花って、人の手じゃ栽培できないらしいわね。試したことはないけれど――自然のままにしておかないと、花が咲かないって聞いたわ」

 石畳の割れ目から覗くわずかな土、干からびた荒野で根を張る花だ。逆に手をかけすぎると育たないのかもしれないな、と私は考えた。

「誰の手も必要としないしさせないなんて、すごく強い花よね。孤独のような気もするけれど……」

 私の言葉を聞いているのかいないのか、ふと、キナアが花のひとつを手折る。器用につるからトゲを抜くと、その先を私の耳横にした。

 そして、うんうんと深くうなずいてみせる。

「飾ってくれるの? ありがとう」

 おおぶりの花を手で支えながら、私はほほ笑んだ。

「あなたって親切で優しい人ね、キナア。ああ――そういえば、手紙の返事は読んでくれた? クラエスのことだから、いじわるして、届けてくれないんじゃないかって心配しているのよ」

 キナアはこくりと首肯した。よかった、と私は続ける。

「今のはクラエスには内緒よ。――別に本気で思ってるわけじゃないわよ。ああみえて意外と可愛いところあるし……。あ、これも秘密よ。あなた相手だと、ついつい喋っちゃうわね。ごめんなさい、私ばっかり喋って迷惑かしら?」

 キナアはふるふると首を左右に振った。

 ここ最近も災難続きだが、彼の存在はそれだけで気が安らいだ。キナアは見た目こそ厳ついものの《癒し系》だと思う――私もまた、花瓶から垂れさがるつるから花のひとつをちぎる。

 「頭を下げて」そう頼むと、キナアはすなおにこうべを垂れた。

 どこにそうか迷った末、かぶとのすき間になんとか花のつるをねじこむ。キナアが頭を上げると、てっぺんでピョンとバラが跳ねて、なんだかおかしみがこみ上げた。

「ねえ、キナア。あなたって――――」

 言葉を続けようとした矢先、再度、扉が開いた。

 クラエスが帰ってきたのだ。軍装ではなく、普段どおりの恰好をしていたが、別れた時と違って厳重に施錠されたアタッシュケースをたずさえている。

 彼は無言で歩み寄ってきて、それを床に置いた。

「……ただいま戻りました」

 乱れた髪を手でかきあげながら、クラエスは言った。

 いつになく疲労した様子だったので、私は面を食らってしまう。

「……おかえりなさい?」

「ふたりして、ずいぶん楽しそうじゃないですか。見ていて気が抜けますよ。――アホらしくてね」

 私とキナアを交互に見て、クラエスは溜息をついた。

「シャワーを浴びてきます。キナア、もうすこしここにいられますね?」

 キナアがうなずく。クラエスは大事そうにそのアタッシュケースを抱え上げると、部屋を出て行った。



 カラスの行水というべきか、十数分もしないうちにクラエスは戻ってきた。もうひとつの椅子を占拠した彼は、濡れたままの髪をうっとうしげに束ねると、例のアタッシュケースを開いた。

 その中身を一緒になって覗きこみ、まじまじと凝視してしまう――これから組み立てられるであろう銃のパーツに、シリアルナンバーの入った金属製ケースが、整然と収められていた。軍からの支給品だろう。

「――これの出番はまだ」

 クラエスは囁いて、中から別のケースだけを取り出し、アタッシュケースを再度施錠をした。

 それを机の上に置くと、横に座る私にむかって淡青色の目をすがめる。

「……実際の《標的》を狙うためのポイントを見て回ってきたんですよ。視界や距離、実行日時の気象条件や風向きをもとに候補を絞るんです」

「……《標的》っていうのは……ザムエルのこと?」

「ええ。嬉しいでしょう、ユリアナ?」

 クラエスの指摘に、私は目をみはった。

「……そんな言い方……」

「てっきり喜んでいると思いましたが。違いましたか。自分の手を汚さずに、憎い敵に復讐ができるんですよ。――これ以上ない、絶好の機会でしょう」

 言葉を失って、膝の上に置いた手を拳の形に握りしめていると、クラエスは興味を失ったように私から顔を逸らした。机に置いたケースを開いた彼が取り出したのは、注射器と新品の針――そして小瓶に入っただった。

「……それは?」

 クラエスは唇をとがらせ、「皇帝直属軍イェニチェリの宿命」とだけ答えた。勿体ぶった言い方に、私は眉をひそめる。

「秘密ってことですよ、お嬢さん」

 服の袖をまくり、手馴れた動作でクラエスはみずからに注射する。

 その液体が彼の青白い皮膚、その下の血管のなかに吸い込まれてゆくのを――私は困惑しつつも観察した。――薬品であることには違いないだろう。しかしどういう目的で、どういう効能をもたらすものなのかは見当がつかない。なんとなく、良いものではない気だけがする。

 注射を終えると、注射器や針を仕舞しまい、クラエスは何事もなかったように居住まいを正した。

 おもむろに立ち上がると、隣に立つキナアのかぶとを見上げる。

「――キナア」

 そして、いつになく真剣な声で彼を呼んだ。

 クラエスは私を振り返って、「この前の話の続きをしましょう」と淡々と続けた。

「共犯者がいる、という話をしたでしょう。私がずいぶん前から手をかけている『計画』の話です」

「……『計画』?」

 どうして、今になってその話をするのだろう。確かに気にかかっていた内容ではあったし、聞けるものなら聞きたい話ではある。しかしクラエスの口ぶりだと、共犯者というのは、まるで……。

 クラエスは片笑み、無言でキナアの兜に手をかけた。そして――。

「……っ」

 白い指先に力がこもったように見えた瞬間、クラエスの腕が振り払われた。

 予期せず、キナアが彼の腕を拒んだのだ。

「キナア」

 叱咤するよう、クラエスがキナアを呼ぶ。その声には苛立ちが現れていた。

 キナアはゆっくりと頭を左右に振り、クラエスから距離を取った。

「それとも、キナアと呼ばないほうがいいですか。貴方の本当の名前は――」

 クラエスの言葉を遮るように、キナアは腰にいていた半月刀シャムシールを抜いた。金属の刃が、西日を反射して光る。

 私は椅子の上に座ったまま、いつになく緊張した二人の姿を呆然と眺めた。

 彼らの間に何があったかは分からないが――何かしらの認識の不一致があるのは確かだろう。クラエスは脇のホルスターから銃を抜くことはなく、しかし庇うように私の前に立ちながら、その大柄の男を睨みつけた。

 剣の切っ先は、変わらずクラエスに向けられている。けっして遊びではないことは、彼らの態度から分かった。もし何か下手なことが起きれば、キナアは迷わずその剣をクラエスに対して振るうだろうことを予期させる。

「――ここにきて、裏切るつもりですか」

 キナアはうなずかず、だからといって、否定をするようなそぶりも見せない。沈黙を貫き、同僚であるはずのクラエスに敵対するような振舞いを続けていた。

「失望しました。何を考えているかは知りませんけど――すくなくとも、あなたが自分の罪の上塗りをしようとしていることだけは、よく理解しましたよ」

「……クラエス?」

 ――話が見えない。キナアはクラエスに向けていた半月刀シャムシールを下げた。何故かそのとき――かぶとに覆われてみえないはずの目を、私に向けたような気がした。

 背に氷塊を落とされた心地だった。なにか大事なものを見落としているような――そんな気がしてやまないのに、その正体が判然としない。掴めない。焦燥だけが募って、私のこころをかき立てる。けれども私の両足は鉛のように重いままだ。 

 キナアはゆらりと踵を返した。亡霊のように。

 私たちにその広い背を向け、無言で部屋を去っていく。


 絨毯の上に、はらりと黄色い花びらが落ちた。

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