【破】第二章 血の代償

(1)追想とアラス川

 天幕テントの入り口に立つだれかを、私は地面から見上げている。逆光のなか、その顔ははっきりとは分からない――身につけた白衣、その下の襯衣シャツが真っ赤に汚れていて、そこから滴る血ばかりに気を取られていた。

「――見つけた」

 息も切れ切れに、そのひとは呟いた。

 私の前に跪いて、脇に抱えていたおおきな包みを地面に置いた。ボロ布に包まれたそれが気になっていると、目の前で結び目をほどいてくれる。

 ――中にはキラキラと光る『何か』があった。私は歓声を上げる。

「君にすてきな贈り物をしてあげよう。自由に歩ける足、どこにでも行ける足だ。片時も離さず――何があってもけっして、誰にも渡さないでほしい。――この約束を守ってくれるかい?」

 の目をじっとみつめて、私はうなずいた。

 こんなに素敵なものをもらえたならば、言われずとも、誰にも渡さないだろう。けれどもそのひとがあんまりにも真剣な目をして、それが怖いほどだったから、私は何も言わなかった。

「良い子だ」

 すこし間を置いて、彼はほほ笑んだ。優しい笑みだった。

「これを託すよ。――『彼』の意思を、君に継ぐために」


 ――


 夜半、天幕テントの外から銃声が響いた。私は怯えながらも、なんだかひどく嫌な予感がして、入り口の隙間から外のようすをうかがった。

 ――複数の照明灯が難民キャンプを明るく照らしていた。

 そのなかには、黒い軍装姿の人間がたくさんいる。いつのまに、彼らがここに入ってきたのだろう。ひときわ目立つ、赤い髪をした女の軍人が、小銃を脇のホルスターに仕舞う。

「撤退する」

「――よろしいので?」

「《リエービチ》は、ここにはない。既にどこかへと持ち去られたという話だ。……チン鎮雨ジンウの遺体は本国まで護送する。――大罪人の首は皇帝スルタンに捧げるきまりだ」

 山岳を降りる冷たい風が、私のからだを冷やす。かれらがいなくなると、私はその場所まで駆けていった。地面に落ちた血だまりを、じっと、みつめた。

 とても、長い時間。


 ――


 私はひとりの男とともに立っている。

「ファランドールの知能テストを受けるんだ。そうすれば何もかもが好転する」

 彼は荒野にまっすぐと伸びた、駅までの長い道のりを見すえながら、そう言った。私は彼のをみあげて、うなずいた。

「それからもうひとつ。――君の名前はユリアナ」

「ユリアナ。……それじゃあ、あなたは?」

「俺はバラド」

 彼の身につけた白い襯衣シャツの裾が、風にはためいている。私はふと、それが赤く汚れていたひとのことを思い出した。

 顔も名前も、思いだすこともできない――思いだそうとすると、右足のつけ根がひどく痛む。思いだすことを拒むように。

「――何も心配することはないよ、ユリアナ。俺がお前を守ってやる。怖いことなんて、何もない。帝都はアラクセスよりずっと楽しいところだ。君もきっと気に入る」

「……うん」

 私はそのひとの手を握った。すると間を置いて、力強く握り返された。

 そのことが嬉しかった。



 ◆


 不規則な振動に、私はまどろみの底からゆっくりと浮上する。

 何か夢をみていた気がする。しかしその内容をはっきりとは思いだせなくて、胸のざわつきだけが残っていた。

「ようやくお目覚めですか? ――まったく、のうのうと寝こけてくれて、枕にされるこっちの身にもなってくれませんかね」

 眠気で重い瞼を何度かこじ開けようとして、そのたびにこっくりと揺れていた頭に、若い男の声が降りかかった。――眠気が一気に飛んだ。

「――っ!」

 私は弾かれたように頭をもたげ――勢い余って、その先にあったクラエスの顔と激突してしまう。クラエスが低く呻いて、その高い鼻を手で押さえた。

「ちょっと、何するんですか、この石頭! いったい私になんの恨みが?」

「う、恨みなら……大ありよ!」

 反射的にそう言い返しながら、私はぶつけた頭をさすった。クラエスはなおも自分の鼻を撫でながら、不快そうに両目を細めた。

 どうやら私は、隣席のクラエスにもたれかかりながら眠っていたらしかった。それも結構な時間。懐中時計で時刻を確かめると、私は座席で両手足を伸ばした。

 ――そこに、右足はいまだ不在である。

「……悪かったわよ。そんなに睨まないでちょうだい」

 肘をつきながらこちらを睨んでくる彼は、すでに軍装を解いている――生成りの襯衣シャツ、濃い茶のズボンをサスペンダーで引っ張り上げたその姿は、ごく一般的な帝国人のものだ。装備品も今は小銃と専用のホルスターだけだった。

 あくびをひとつこぼして、私は車窓に目をむけた。

 下から突き上げる小刻みな振動、そしてすこし高いくらいの室温が、心地よい眠りへと私を誘っていた。――ここは列車のなかである。アレクサンドリアを出発し、軍用船でベイルートに到着した私たちは、そのまま長距離鉄道へと乗り換えた。

 ユーラシア大陸を横断するこの列車は、帝都までの長い道途にある。汽車は一般に還元された遺失技術ロストテクノロジーのなかでも代表的なもので、乗車料金は依然として高額だが――やはり足というのは何にも代えがたいのか、一般人の利用頻度も高い交通手段だ。

 私が目をむけた先の窓は、吹きつける砂のせいで薄汚れている。延々と続く荒地の風景、空には一点の曇りもなく、鮮やかな瑠璃色をしていた。地平線に目を凝らせば、ぽつぽつと遺失文明以前の遺跡が浮かび上がった。石材を積み上げ、細かに色づけたタイルも剥がれ落ちた――遠い遠い、誰も覚えていないような歴史の痕跡たち。

「あと二時間ほどですかね。まったく、帝都は遠い」

 優雅に足を組みかえて、クラエスは溜息をつく。そしてうっとうしげに、廊下のほうをみやった。ここは一等車の個室コンパートメントだ。出入りするための扉は一部が格子になっていて、外のようすを窺うことができる。廊下には二名の軍人が控えており、そのことがクラエスを苛立たせているようだった。まるで監視されているようだからかもしれない。

 私たちはエレノアの言う『首都への丁重な護送』を受けている真っ最中で――なぜこの男と同席しているのかというと、話は数日前にさかのぼる。

 エレノアに保護された後、私は義足の修理(それができるのは、帝都でも限られた技術工エンジニアだけという話だ)、そしてファランドール家からの面会要求を理由に、帝都へと向かうことになった。

 そしてその道すがら、二つの明確な事実を手にすることになった。

 ひとつ、バラドの反逆罪は事実である。――これに関しては本人からも聞いていたから、さほどの衝撃はなかった。

 そしてもう一つ。私の罪はクラエスによる「濡れ衣」であったということ。

 女学院を出た後、私は失踪扱いとなっていた。もちろん逮捕状は出ていないし、クラエスが言っていた『共謀罪』は真っ赤な嘘だったということになる。――何を目的として? それはまだ分からないし、不愉快なことにクラエスも語ろうとしない。

 そして推測レベルの話がひとつ――私が巻き込まれた騒動には、どうやらこの義足が関わっているらしい、ということ。私は義足を《リエービチ》と呼んだエレノアに対して、疑問をぶつけてみた。彼女からの回答はこうだ。

 ――《リエービチ》とは、ある計画の成果物である。

 ここまでは、桑雨サンウの話と一致した。

 ――本来、この義足は行方不明のはずである。その義足の生まれ故郷というべき場所は、遺構第二〇二。属領アラクセス・カラバフに存在する産業遺構らしい。

 私が話を聞けたのはそこまでだった。彼女はクラエスをどこかに連れて行き、数時間経ったあと、何やら浮かない顔をした彼とともに戻ってきた。

 そして「これを護衛につけよう」と言ってのけたのである。

 「私に似て顔もいいし、腕も立つ。口は悪いが、こうみえて家ではたくさんのテディベアがベッドで彼の帰りを待っている――」というお言葉つきで。「クラエスは私を騙していたのよ」と不信感をあらわに猛抗議してみたものの、結果として、彼は私の護衛としてついてくることになってしまった。ちなみに彼女はその後別の仕事があるとかで、アル・カーヒラで別れた。

「……クラエス」

「何ですか? ――もう私のクマさんいじりは飽きましたよ」

「……貴方最初に、私を共謀罪で帝都まで連行するって言っていたわよね?」

「またその話ですか? 嘘だと言えば何度わかるんですか?」

「そういうことじゃなくて……ふつう、もっと釈明とかするもんじゃないの?」

 窓辺に肘をつき、底意地の悪い笑みを浮かべる男を見上げる。――怒りを通り越して、いっそあきれる。この男、私を散々に扱ったことも覚えていないのか、それすら気にしていないのか。

「謝ってほしいなら、謝りません」

「期待してないわ。理由を偽って私を連行したのには理由があったんでしょう?」

「ええ。……ま、言いませんが」

「《難民解放戦線》のこととか……この義足がかかわっているの?」

 しかし、クラエスは首を振った。

 その後どんなに問い質してみても、彼はのらりくらりと答えを濁すだけだった。

 ますます彼が何を考えているのか分からず、私は困惑する。彼が善人なのか――悪人でさえ判断がつきかねる。そんな人物と、何故一緒にいなければいけないのか。

「大体貴方、私が桑雨の所にいるのを分かって見逃したでしょう」

「飛んで火に入るとは、このことかと思いましたね」

「そこまで分かっておいて、……まあいいわ。どうせ貴方、私を助けてくれるように思えないもの。今度は護衛を名目にまた別の目的があるんでしょう。今のところ、あなたは私を騙そうとする悪い人にしか思えないわ」

「さて、ね。……いえ、私には貴方に生きていただかねばならない理由があるので、その点においてのみご安心ください。アル・カーヒラであの少女を見逃したのも、早急に貴方が殺されるという事態がないと解釈したからで。それに、一応助けには行ったはずですよ」

「そうだけど。……生きて、ね……」

 ――どういう意味だろう? 私の生命問題が、彼の何と関係するのか。

 引っかかる物言いにどう答えるべきか考えあぐね、結局口をつぐむ。

 私は溜息こぼし、居心地の悪さに身をよじった。気晴らしに外でも眺めようとしたところで、ふと、川が見えることに気がついた。

 岩ばかりの荒野を縫うように、ゆったりと流れる大河。

「アラクセス川――帝国ではアラス川ですね」

 その声に振り返る。

 私の黒髪とはまったく違う、光に透ける金髪が目に映る。私はそうね、とうなずいた。アラクセス川は、その名のとおり、属領アラクセスから流れるものだ。

 この列車は、ちょうどその流域を走っているらしかった。

「アラクセス川はクラ川と合流し、カスピ海へと注ぐ。その先はどこへも行かぬ水だ。塩の水は、ただ蒸発して消えるだけのむなしいものだ」

 クラエスは淡々と喋った。私はそれに耳を傾けながら、無言で窓のむこうへと目を向けた。アラクセス川。私の生まれた場所から来たる水……そう考えると、感慨深いような、そうでもないような不思議なきもちになった。

 私に『愛国精神』というものはない。それが根付く前に、帝国人になったから。

 ――そういえば、道中、クラエスが属領のクイーンズランドの出身だという話を聞いた。クイーンズランドといえば、アラクセスに負けず劣らずひどい紛争地帯である。近年の征服以降も、帝国と現地民の衝突は絶えないという話だ。

 彼はなぜ帝国に暮らし、帝国直属軍イェニチェリなどという特殊な組織にいるのだろう。そんな疑問が頭を過ぎったが、当然、口には出さなかった。

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