Alexei01-02


「ベアトリーチェ・チェンチさんだけでなく、駒姫さんまで居る。多分、ご本人だ。昔になくなったはずのね。そして奥様はネサレテさんだという……どういうことなんでしょうか?」


 ベアトリーチェはそっくりに描かれた肖像画がある。

 だから外見で、本人の可能性があると判断は可能だろう。


 では駒姫は?

 はったりか?

 それとも何か会話して気付いたのか?


 微笑むミハイルの表情からは何らかの情報を手に入れられない。

 さすがに諜報関係者だ。

 人の良さそうな仮面の下に何を隠している?


「どういうこととは?」

「これは本国にはまだ報告していないのですが、過去に亡くなったはずの方が、どうやらここには複数生活しているようですね」


 ……気付いたのか。

 気付かれたからといっても、法に触れるわけでもないし証拠もない。

 いるのは事実だが、こちらが協力しなければ事実だと証明することは誰にもできない。

 

「そんなことを本気で思っているのか?」

「ええ、最初ベアトリーチェさんを見た時、どこかで見覚えがあると感じました。これほどお美しい女性です。出会っていたら忘れるはずはない。私は必死に思い出そうとしましたよ。仕事柄、記憶力には自信がありますからね。そして思い出しました。ローマのバルベリーニ宮にあるグイド・レーニの”ベアトリーチェ・チェンチ”肖像画をね」


 やはりあの絵か。

 有名だからな。

 あれに辿り着いても不思議はない。


「……それで、その絵にそっくりな同名の女性だからと?」

「まさか? その時点では疑っただけです。ですが、駒姫さんと歴史の話をして、ああ、おさなさんでしたか、あの方とも話しましたよ。現代に生きる女性としてはまだ不十分な知識しか持ち合わせていないのに、当時の……安土桃山時代の事情はとにかくお詳しかった。何故でしょうね? 歴史の資料を読みこなせる知力があるのに、中等部程度で学ぶ近代歴史はさっぱり知らないという……」


 論理的に推察することはできる。

 だがやはり証明はできない。

 しかし、その程度のことは判っているはずだ。

 ミハイルがこの件を持ち出して何を言いたいのかが判らない……。

 カップからコーヒーをすすり、穏やかな表情を崩さないミハイルからは、その本音は読みづらい。


「それを知ってどうしようというんだ」

「このようなことがどうして可能なのかは判らない。とても知りたいですよ? でも多分ですが、それを知ったらいけない気もしています。勘なんですけどね」


 なるほどな。

 世の中には、知らなければいいことを知って碌なことにならない話はいくつもある。

 ミハイルなりにリスクがあると感じたのだろう。

 もちろん、ベアトリーチェや駒姫達に危害を、もしくは不利益になるようなことをしでかそうというのなら、俺はなり振り構わず敵を排除するつもりでいる。

 その空気を彼は感じたのかもしれない。


「それで?」

「もしまだ可能ならお願いが一つあります。報酬は、この件を秘密にするということで……」

「あなたの依頼を受けなかったら国に報告すると? 構わないと言ったらどうする」

「そうなんですよ。昨日のあなたなら依頼を受けてくれると確信があった。でも今日のあなたなら断るだろうと思います。実はそれで困っているのです」

「諦めたらいいだろう」

「それがですね。どうやら私の中で眠っていた幼い頃からの願いが諦めるなと言うのです」

「願い?」

「ええ、アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフ……ロマノフ朝ロシア帝国最後の皇太子をお救いしたいと……」


 血友病に苦しみ13歳で銃殺されたアレクセイ。

 彼は、助けたい有名人の一人として俺も考えていた。

 それに、興味本位で言ってるような雰囲気ではない。

 表情こそ変わらず穏やかだが、口調はトーンが落ち、目に浮かぶ光も弱々しいものに変わった。

 何か真摯にならざるをえない理由がミハイルにはあると感じる。


 それに、証明できず、危害を加えないとしても、面倒な状況を作ることは、情報関係の職務に就いているミハイルにはできるだろう。

 この際、ミハイルに恩を売っておくのも悪くない。

 いずれ連れてくるつもりでいたから、条件さえあえば、ミハイルの願いを訊いても構わないしな。


 ……ミハイルの話を詳しく聞こうと思うようになっていた。

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