deimos01-07


 気がつくと、目に映る天井は宮殿の広間のものではなかった。

 やや派手な……見覚えのあるシャンデリアは、へラの家のモノだ。

 この家を建てるときに、俺が選んだのだから見間違えようもない。


「ここは……戻ってきたのか……。あ、デイモスはどうなった?」


 身体を起こすと、ネサレテとベアトリーチェがベッド脇の椅子に座り、こちらを心配そうに見ていた。


「駿介さん。良かった……気がつかれたのですね。怪我はアスクレピオス様が治してくださいました。でも、しばらくは休んでいた方が良いとのことです。まだ横になっていてください」


 うん、ジーンとした痺れているような感触が左足にまだ残っている。

 だけど、手で触っても痛みはまったく感じない。


 アレスの拳がめり込んだ腹の方がまだ痛みを感じるくらいだ。

 痛みで苦しむより気絶させていた方が良いと拳をくれたのだろうが、アレスめ、もうちっと気遣いがあってもいいじゃないか。

 ま……こっちも痛みはほとんどないから、今はもういいんだけど、やはりちっとだけ腹が立つ。


 アスクレピオスに、いずれ礼を言わなければならないな。

 ネサレテ達に心配かけないよう、もう一度枕に頭をのせた。


「駿介、お疲れ様。アレス様とアテナ様が褒めていらしたわ。初めての戦いにしてはよくやったと。あ、アテナ様は、元気になったらまたと笑ってらしたが……」

「戦いは? 戦争はどうなった?」

「戦いはひとまず終わりました。戦争も終わりになるようです」


 ネサレテの説明にほっとし、そうかとつぶやいく。


「デイモスは、あの分裂攻撃のあとエリニュスが喰ってしまった」


 ベッドの下側から、クロノスの声が聞こえる。


「じゃあ、あとは……」

「そうだ。あの場に居なかったデイモスさえ何とかできれば……」

「その件は、ガイアとゼウスが追いかけている。他の種族の神々にも依頼しているようだ。いずれ見つかるだろう。その時にはまた働いて貰わねばならぬ。それまでにせいぜい腕を磨いておくのだな」


 クロノスの言葉を遮って、部屋に入ってきたへラが説明してくれる。

 言葉は淡々としているけれど、へラは穏やかな表情をしている。

 その表情を見て、与えられた役割を俺は果たせたのだと思えた。


「へラ様、アスクレピオス様を呼んでくださったのですね。ありがとうございます」


 上半身を再び起こし、頭を下げる。

 珍しくウールの布をゆったりと巻き、ギリシャ神話の神そのものの姿だった。


「何ほどのこともない。養子とは言えおまえは息子だからな。不死身の半神であるおまえなら、放置しておいてもいずれ自然に治癒しただろうが、ネサレテとベアトリーチェ、それにジョゼフとシャルル、他の者達も早く治してと頼むのでな。皆にも礼を言っておけ」

「そうですか……ネサレテ、ベアトリーチェ、ありがとうな」


 二人にも感謝を込めて頭を下げる。

 彼女達はニッコリと笑って「当然のことです」と俺の肩と腿に手を置いた。

 二人の手から伝わる温かさが、心地良い。


 あとでジョゼフ達にも礼を言おう。


「それで、デイモスが見つかるまではだがな……」

「はい、何か用が?」

「ガイアとゼウスとも話し合ったのだが……」


 おお、原初神に神々の王、そして神々の女王の三大巨頭会談じゃないか。

 凄い光景だろうけど、その場には居たくないな。

 ガイアとへラの間で、困り顔しているゼウスが目に浮かぶ。


 本来ならそこにクロノスも加わるのだろうけど、今は俺のペットだからな。

 きっと妙な緊張感漂っていただろうから、その場には行きたくなかっただろう。


「おまえの趣味にエリュニスも同行させることとなった」

「はあ? またどうして……」

「様々な時代でエリュニスに負の感情を喰わせ、デイモスの出現を抑える。出現を止められなくてもデイモスの力を削ぐことが目的だ」

「……それはいいと思いますが、エリュニス様っていつもどこかで負の感情探しては食べてるのではなかったのでしょうか? ガイア様からはそう聞いていたのですけれど」


 そう。

 生き物が存在する限り、怒りや悲しみなどの負の感情はなくならない。

 それらを自身の糧とするエリュニスはいつの時代も忙しく、その所在をガイアもすぐには掴めないと言ってたはずだ。


「ああ、そうだ。だが、人間の文明は発展し、デイモスがやらかすことの影響も大きくなりそうだ。そこでガイアと話し合って、歴史に影響を及ぼさない範囲で、神々はこれまでより積極的に介入することとなった。その一つがエリュニスの参加だ。エリュニス本人も了承している。近いうちに、この家へ来るから、そのつもりでいてくれ」

「マジで……ですか?」

「ああ、真面目な話だ」


 クロノスペットはいいとして、へラ、ヒュッポリテ、それにエリュニスまでもがご近所さんになるってのはどうなんだろう?

 クロノスのように転移できなくても、天上界から扉を開けば、この世界のどこにでもすぐに出られる。

 だから、所在さえはっきりさせておいてくれれば、わざわざ人間界に、それも我が家のご近所に住まなくてもいいと思うんだよな。


「今回、T国で手伝ったエリュニスが我が家で待機しておることになった」


 身近に神が増えてきた。

 どうも落ち着かないよな。


「じゃあ、私達が過去へ赴くときに声をかければ良いのですか?」

「うむ、そうなるな。とにかく今までやったことのないことを試してみようという話だ。そう難しく考えることはないぞ」


 そう言うと、「あとでお茶でも一緒しよう」とネサレテ達に声をかけて、へラは部屋を出て行った。


「また賑やかになりそうですね」

「ネサレテ……そう気楽に言わないでくれよ。相手は女神なんだ。近くに偉いさんが居ると言うのは、俺のような平凡な人間には落ち着かないものなんだよ」

「私は嬉しいな。へラ様もヒュッポリテ様もお優しいし、楽しい方だ」

「おいおい、ベアトリーチェ。相手は神様なんだ。友達感覚じゃいつか痛い目見ちゃうぞ?」

「なあ、駿介よ。我も神だということを忘れてはいないか? もう少し……」

「ああ、判ってるよ。クロノスにはいつも感謝しているさ。後で旨い酒を一緒に飲もうぜ」

「酒を飲ませておけば、我が不満を言わぬとでも……」


 クロノスの様子はベッド下に居るので姿は見えない。

 不満げな物言いだが、怒っていないのは判る。

 ネサレテとベアトリーチェも、俺とクロノスのやり取りに口に手を当てクスクスと笑っている。


 エリュニスが来るのは予想外だが、まあ、何とかなるだろう。

 俺はこの楽しく幸せな生活をこの先も続けていきたい。

 そのための努力をもっとしなくちゃいけないな。


 楽しげなネサレテ達を見ながら、俺は一つのトラブルがとりあえずは解決したことを実感していた。

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