第14話マーガレット・アイリス・ブルーム突撃兵、参る
「勇敢なるマーガレット・アイリス・ブルーム突撃兵に敬礼!」
ダニーが右手を上げ海軍式の敬礼をすると、彼の隣に1列に並んでいた子供達も「敬礼!」と叫んでポーズを取った。
「危険を感じたら撤退するんだぞ! ヒット・アンド・アウェイは戦闘の基礎だ! 一撃必殺! 先手必勝! サーチ・アンド・デストロオォォォイ!」
ダニーにどこかの鬼軍曹が乗り移ったように見える。今にも「この微笑みデブが!」とか言い出しそうな形相だ。
「マージ、マージ、マージ!」
サードが両手を体の横でグルグルと回転させながら私を呼ぶ。
「そんなに連呼しなくたって聞こえてるわよ」
「あのね、あのね、北棟には恐いお医者様がいるんだよ! 恐いお医者様はね、無理矢理押さえつけて脳味噌が溶けるお薬を飲ませようとするんだ! だからね、もしお薬を飲まされそうになったら、舌の裏側に隠して飲んだ振りするといいんだよ! 後でペッて吐き出して枕の下に隠すの! それで大丈夫だ よ! 僕もあそこにいた時は、そうやってお医者様の目を誤摩化してたんだもん!」
サードは鼻を牛のように鳴らすと、私の両肩を励ますように叩いた。ちょっと痛い。
彼は急に真剣な顔になり私をじっと見つめた。彼の瞳が水分を増して潤み、瞳孔の中で何か――オタマジャクシみたいな黒い影――が揺れた。瞳孔の奥で小さな波が立ち、彼の目から涙が溢れ出した。
「ちょ、なんで泣くのよ! わけわかんない!」
彼はパジャマの袖で涙を拭い、小刻みに震える唇から嗚咽混じりの言葉を紡いだ。
「ボク……マージの事忘れないよ! 絶対に忘れないよ! マージの分も幸せになるから! マージはいつまでもボクの心の中で生きているよ!」
感情が高まってしまったらしく、サードは天井を仰ぎ大声で泣き出した。
「そんな死んだ人みたいな扱いされても困るんだけど……」
一応突っ込んでみたけど、大声で泣き喚く彼の耳には届いてないみたいだった。
「馬鹿! マージは帰ってくる! 俺達が信じてやらないで誰が信じてやるっていうんだ!」
床に座り込んで泣き出したサードの肩をダニーが背後から掴んだ。
「そんな弱気でどうすんだ!」
ダニーは窓の外に輝く星をビシッと指差した。
「あの星の輝きを信じろ! マージの命はあの星のようにいつまでも輝いて――」
ダニーが指差していた星がピューンと流れ星になって消えた。
数秒の間、彼らは蝋人形のようにその場に硬直した。
非常に気まずい沈黙が鼓膜を突き刺す中、ダニーは何事もなかったように指をちょっとずらし、さっき落ちた星の隣の星に向ける。
「あの星のように輝いているんだぜ!」
その星もまた流れ星になってピューンと消える。
「うわぁぁぁぁー、やっぱり死んじゃうんだぁー! マージは死んじゃうんだぁ!」
サードは床に倒れ、ガンガンと拳を床に叩き付けた。
泣き叫ぶサードをどう宥めようか――それとも放置しておこうか――考えていると、誰かに後ろから肩を指で突かれる。
後ろに誰かいるなんて全然わからなかったから、驚き過ぎて心臓が喉から飛び出しそうになった。
恐る恐る振り返ると私の後ろにカーチャが立っていた。
さっきまでダニーの隣で敬礼のポー ズを取っていたはずなのに、いつの間に……!
「ロシアでは普通の事デス」
私の思っている事を感じ取ったらしく、カーチャは微笑んだ。読心術まで!
彼女の手は長さ20センチ以上はあるだろう大きなナイフを握りしめていた。蛍光灯の青白い灯りを反射し、凶悪に輝いている。
「マージ、これをお貸しシマス。アタクシのお気に入りなのでス」
彼女はナイフをバトンのように手の中で回転させて、私に柄の方を向けて差し出した。
「人間の急所は体の縦軸の中心にありマす。額の真ん中に窪みがあルのデス。これから鼻筋を真っ直ぐに通って、首、鎖骨、胸、お腹、股間、これ全部急所。もしブギーマンが追い掛けて来たら隙をつイてこれで……」
カーチャはシュッ! と口で音を立てながらナイフを『何か』に刺すジェスチャーをした。
「刺したらナイフは抜かズに捻るのでス。傷口に空気が入って致命傷になるノです。やってみるがイイヨ! 慣れれば心も痛まなくなるデスよ! 心にいつでも永久凍土! ウラー!」
眩しい程に輝く笑顔で彼女は言った。頬がピンク色に染まっている。
まるで『私の彼がぁ、誕生日にぃ、このペアリング買ってくれたんだよねぇ? マジプロポーズとかしてきてぇ、超嬉しかった的なぁ?』と友達に照れながら自慢してる女の子みたいだ。少なくともナイフで人を殺す方法を喋りながらす る顔じゃない。逆に恐い。すっごい恐い。
「ほら、ほら、ほら、持つがいいのです。刺すがいいのです。粛清なのです! ウラー!」
「いらない! 大丈夫! 気持ちだけ! 気持ちだけ受け取っておくから!」
私は両手をバンザイスタイルに持ち上げて顔を左右に大きく振った。
カーチャは心底残念そうに間延びした声を上げる。よかれと思ってやったのになぁ、ってしょんぼりした顔。ちょっと罪悪感を覚えたけれど、彼女の手に握られている凶悪なナイフを見て考えを改める。あんな物、絶対に持ちたくない。
カーチャは少しの間ナイフを見つめてしょげていたけど、何かまた新しいアイディアがひらめいたらしく、パッと顔を輝かせて弾んだ声を上げる。
「もっと『確実』で『簡単』なのがいいでスネ! オケー、オケー、いい物質が準備出来ルですヨ。まかせて下さいなのデスヨ!」
カーチャは自分のベッドに戻ると、ベッドマットの下に手を差し込んで何やらゴソゴソと弄り始める。もの凄く嫌な予感がした。
「あの、カーチャ……カーチャさん? エカテリーナさん?」
カーチャはベッドマットの下を探りながら顔をこちらに向け、また笑顔を輝かせた。
「トカレフはお好きですか?」
カーチャはマットの下から『拳銃にとてもよく似た何か』を取り出した。
喉の奥で小鳥が跳ねて、私の口から「ヒィ」という羽ばたき音を溢れさせる。
「結構です! いりません!」
カーチャはまたしても捨てられた子犬みたいな顔をしたけど、知るかそんなもん!
これ以上ここにいたら、出発する前にくたくたに疲れてしまう。精神的な意味で。
私は皆に「もういくからね」と出発を告げ、扉に向かって歩き出した。
ところが一歩か二歩歩いた所で、誰かにパジャマの袖を引っ張られた。白くて小さな手が強くパジャマの布地を握り込んでいる。
「……今度はあんたなの、ジャック? 何? 何なの?」
ジャックは車椅子に座ったまま、私を食い入るように見つめていた。
「僕も行きたい!」
「……そんなのダメに決まってるでしょ。あんた今朝からずっと体調悪いじゃない」
「全然大丈夫だよ! ほら! 見て!」
ジャックは車椅子から立ち上がり、両手を広げた。最初は真っ直ぐに立っていたけれど、3秒もすると左右にふらふらと体が揺れ始める。
「そんな状態でまともに歩けるわけないでしょ。大人しくしてなさい」
「えー!」
「えー! じゃありません。あんたはお留守番!」
ジャックはまだ諦めきれないみたいで、私のパジャマの袖を掴む手に力を込めた。
「マージ、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいからさぁ! 途中まででいいから!」
「ダメったらダメよ」
「悪い事にはならないから! 責任は持つから! いつかこんなチャンスがないかと前々から思っていたんだよ! 緊張しなくていいんだ! 全てを僕に任せて! 痛いのは最初だけだから! 先っぽだけでいいから! 一発だけ!」
ジャックは潤んだ目で私を見てくる。
「……あんた、どこでそういう言葉を覚えてくるのよ……」
「ん」
ジャックはカーチャのベッドを指差す。
……例の漫画で覚えた言葉か。意味がわかってなさそうなのが救いだ。後でカーチャにジャックには読ませないでって言っておかなくちゃ。
「兎に角ダメなものはダメだからね!」
ジャックは恨みがましい目で私を睨んでいたけれど、私が絶対に引かないと悟ったらしく、やがて大きく肩を落とした。
「……じゃぁ、これだけお願いだよ、マージ。もしブギーマンを見つけたらね、彼にごめんなさいって謝っておいて欲しいんだ」
「謝るって何を?」
ジャックは「うんー」と「うん」なのか「んー」なのかわからない声を上げた。
「彼を見た時、僕、逃げちゃったでしょう? 酷い事しちゃった。だってブギーマンはまだ何にもしてなかったのに、あんな風に怖がって……。彼、きっと傷ついたと思う」
ジャックは悲しげに目を伏せた。心臓に杭でも打ち込まれたみたいな顔だ。
「外見で怖がられたり、気味悪がられたりする事がどれだけ悲しいのかわかってるのに……同じ事をしちゃったんだ。僕を」彼は囁くように「フリークス」と言った。
「そう。僕をフリークスだって言った人達と、同じ事をしちゃったんだよ。マージ」
「あんたはまだ8才よ。ブギーマンが恐いのなんて当たり前じゃない。だって、ほら、あいつは子供を攫うっていうじゃない。恐い奴なのよ。だからその馬鹿共とは全然違うわよ」
ジャックは小さく唸り、首を横に振った。
「前にマージが近所の家の子に幽霊と間違われたって話してたでしょう? ブギーマンもそうかもしれないよ。何にもしてないのに決めつけられちゃったのかもしれない」
ジャックは少し黙ってから先を続けた。
「もしそうなら、ブギーマンはきっととても悲しんでると思うんだ」
私は彼のマシュマロみたいな頬を両手で包むように持つと、彼のおでこに私のおでこをコツンとぶつけた。
「大丈夫よ、ブギーマンは大人だから、私達みたいな子供の言葉で傷ついたりしないわ」
ジャックはまたしても首を横に振った。
「そんな事ないよ。大人になっても子供になっても、怖がられたら悲しいよ。嫌な事は嫌だよ。僕だってそうだよ。僕、こんな体だから、フリークスだから」
「あんたはフリークスなんかじゃないわ。一体何を言い出すのよ、ジャック」
「でも、他の人は皆僕を……」
「他の人なんかもう放っておきなさい。何にもわかっちゃいないのよ。……っていうか、何にもわかんなくていいんだわ」
私はジャックの白い髪の毛を両手でかき混ぜる。ジャックは不意にちょっかいを出された猫みたいに嫌な顔をしたけど、私の手にされるがままになっていた。
「あんたは地球上の8才の男の子の中では最高級品、ダイヤモンドボーイだわ。アフリカの星みたいよ」
私は少し声を低くする。
「もしあんたをフリークスと言うような馬鹿共にあんたの価値がわかっちゃったら、あんたはあいつらにバラバラにされて、普通のつまらない子供達み たいにカッティングされちゃうわ。そして『常識』っていう指輪や『普通』ってネックレスにはめ込みやすい形に整えられてしまうの。つまらない連中の言う 『素晴らしい形』にね。私はあんたがそんなつまんない子じゃなくて良かった。あんたもそう思うでしょう?」
ジャックは小さく頷いた。私は彼の顔から両手とおでこを離す。
「よろしい」
もう一度私は彼のおでこに私のおでこをぶつけた。
「……忘れないでね。ブギーマンに会ったら僕が謝ってたって伝えて。お願いだよ」
「はいはい、見つけたらね」
「本当? 約束してくれる?」
「約束するわ」
「小指に誓えるかい?」
ジャックは小指を立てて私の前に差し出した。
「誓うわ。ママの小指にだって誓える」
私は彼の小指に自分の小指を絡める。
ジャックはやっと安心したみたいで、安堵の表情を浮かべた。彼の顔を覆っていた灰色のベールが消える。ジャックは小指を離し、大切な秘密を明かすように口を開く。
「ずっと考えてたんだ。人よりずっと長生きするって事は、きっと幸せじゃないと思うんだ。だって、皆自分より先に死んでしまうんだよ。僕、そんな 寂しいのは嫌だ。ブギーマンだってきっと寂しいと思う。もしも彼が噂通りに子供を遠くに攫っていくとしてもね、それはきっと寂しいからなんだよ。誰かに側にいて欲しいのさ。だからね、ブギーマンに伝えておいてよ。攫われるのは嫌だけど、一緒に遊ぶくらいは出来るよって、友達になろうって」
私は彼の想像力に半ば呆れ、半ば感心していた。世の中にはサンタクロースの心配を――『今年は寒いけどサンタさんは風邪ひいてないかな?』とか――する子供は大勢いるだろうけど、子供を攫う怪人を真剣に心配するお人好しの子供はジャックしかいないだろう。
「わかった、もしブギーマンに会ったなら、そう伝えておくわ」
私が言うとジャックは顔をくしゃくしゃにして笑った。
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