鍵と扉 3
闇の塊はコンフェッティを追うように、じりじりと動いている。動きが鈍いのだけは感謝さえ覚えた。コンフェッティは痛む腕をかばいながら、列柱から列柱へと身を隠すように移動し、様子を伺う。
時折強く吹き付けてくる風には、潮の香が入り混じっている。コンフェッティは叫んだ。
「おいおっさん、あいつを止めろ!」
「生憎それができるのはミディだけだ。もっとも、今の彼女にはそんな術はないだろうがね」
サンジェルマンは鍵を持ち上げて見せる。
「その棒を手放せば、あんたもやばい立場になるんじゃないのか」
「コンフェッティ君。君にそれができると、私は思っていないのだよ。若者はどうも血気盛んでいけないね。それにその、『自分でなんでもできる』と思っているところもだ。反吐が出る――おや、失礼?」
頭上に広がる夜の闇は、星屑をちりばめた空に満月が姿を取り戻していた。中庭に凝り固まる闇は、夜よりはるかに濃く、そして確実に、間合いを詰めてきている。
サンジェルマンは腕を組んでニヤニヤと高みの見物を決め込んでいる。
「強き者、力のある者に、難しい『なすべき仕事』が集まるのは、世のならい。なさねばならぬことは、誰かがなさねばならぬのだ。そのためには、多少の犠牲はつきものだろう?」
「大した自惚れだ、英雄にでもなったつもりかよ」
「悪くないな」
盛大な舌打ちを響かせて、コンフェッティは次の列柱の陰に身を踊らせる。
コンフェッティは一瞬目を瞑り、呼吸を整えた。
すばやく四方に目を走らせる。
入り口は二つ。礼拝堂から続く道と、この先の、修道僧らの食堂や図書室につながる階段だ。
ミニュイと修道院を歩いた記憶を必死にたどる。食堂や図書室につながる空間の方が、逃げ隠れする場所は多いだろう。かつて要塞としても名をはせた遺構は、逃げるには有利に違いない。
だが、距離がある。階段にたどり着くまでには、あの風の刃で手足の数本を失っていそうだ。コンフェッティは、じんじんと熱を帯びる腕をそっと押さえた。
となると、道はひとつ、礼拝堂に向かうしかない。階段に比べれば、距離が近い。全力で走り抜ければ、攻撃を受ける前に滑り込めるだろう。だが、礼拝堂に広がる空間も、その先のだだっ広いテラスも、逃げ隠れするには適さない。いずれは全面的に相手と対峙することになるだろう。魔力も腕力もどちらも誇れるようなものではない。どちらにしても、最終的には手詰まりな状況しか、思い浮かばない。
「俺は、面倒事はごめんだってのに」
コンフェッティは小さく舌打ちすると、走り出した。背中に咆哮が轟く。腕を振るたびに、風に触れた腕の傷口が痛み、コンフェッティの目を冴えさせた。
礼拝堂の入り口に飛び込んだコンフェッティは、何かにぶつかり、よろめいた。衝撃よりも、それと同時に聞こえた小さな悲鳴に、目を見開く。
「ベス?!」
ベスはコンフェッティの顔をまじまじと見つめると、花がほころぶように笑顔を咲かせ、コンフェッティの手をとった。小さくやわらかな手の感触に、コンフェッティは一瞬緊張の糸が緩む。
「リュシアン! またお会いしましたね」
「リュドヴィックだ」
「まあごめんなさい。わたし、人の名前を覚えるのが苦手で」
「どうしてここへ?」」
「ハーブを摘みに来たんです。この修道院では中庭で栽培されているんです!」
「こんな時間に?」
「昼間は人がたくさんいらっしゃるので、よい子が真似しないように配慮しています」
綿菓子のようなふわふわの癖毛を揺らして、ベスが軽やかに微笑む。そのかろやかな笑顔にとろけそうになるが、つまりはまた花盗人に来たというわけだ。
獣のような声が、石造りの建物に共鳴して大きく響く。
鳴き声は強い風となって容赦なく吹き付けてきた。コンフェッティはその風からベスを守るように立つ。
「聞こえるだろ? 危険だ。引き返した方がいい」
「でも私、ハーブを」
「少なくとも今日は無理だ」
「いいえ、駄目です。月食は特別な満月ですから、どうしても今日、摘み取らなければ」
ベスは、コンフェッティの手を振り払って、中庭へ続く回廊へ向かう。その入り口が、濃い闇に包まれているのを見て、ベスは首をかしげた。
「あら? もう月は元の満月に戻ったのに、真っ暗ですね?」
「ベス、離れろ!!」
コンフェッティの叫びが、礼拝堂にこだました。
中庭へ続く入り口の上部から、赤いアーモンド色の目がのぞく。
床を蹴って、コンフェッティは両手を伸ばした。ベスの華奢な体をコンフェッティの腕が捉えた時、闇の塊が大きく咆哮した。
――間に合わない。
コンフェッティは身を翻して闇に背を向け、目を瞑った。
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