アニス 3

「もう、いい加減にしてくださいよ」

 ホテルの部屋に戻ると、ミニュイは、デレデレと不甲斐ない相棒を、バスルームに押し込んだ。

 ホテルはどこも急な坂に立っていて、エレベーターもない。足取りすらふらふらとおぼつかないコンフェッティを追い立てるようにして四階まで階段を上らせるのだけでも、一苦労だった。

 シャワーでも浴びて、頭からたちのぼる湯気をさまさないことには、話もできない。アニスもアニスで、面白がって調子に乗せるものだから、コンフェッティはどんどん熱に浮かされて、もはや使い物にならなくなった。


 おかげで、運ばれてきたこの地方の名物だという、塩風味のプレサレ子羊のローストも、なんども取り落としては、ミニュイの胃袋に収まる羽目になった。

 メニューを見たときには、モン・サン・ミッシェルの大草原で育った羊の肉に、ほのかな潮の香りがあり珍重されているとの説明書きに大いにはしゃぎ、調子に乗って三人前も注文したというのに。


 バスルームからは、調子の外れた鼻歌が聞こえる。

 有名なシャンソン、たしか「薔薇色の人生ラ・ヴィ・アン・ローズ」とかいう歌だ。

 ミニュイは呆れたように大きなため息をまたひとつついた。

 おめでたいコンフェッティの頭の中はさぞかし薔薇色だろうが、自分はいったい、何色の人生を歩いているのだろう。少なくとも、頭が薔薇色の相棒と組んでいる以上、薔薇色どころか明るい色彩にはなりえないのは明白だが、単色に例えることさえ難しそうだ。

 コンフェッティとの日々は、めまぐるしく色合いを変幻させ、まるで絵具をありったけ並べたパレットで、混色を続けているようにも思える。


 ――単色に染まる方が、幸せと言えるのだろうか?

 ミニュイは自問する。少なくともミニュイは少し前、最果てを出るまでは、そうだと思っていた。そのこそが、公務員になって安定した収入を得、自らの能力を活かせる仕事に生を捧げることだった。稀少な職である扉番に任命された際には、成功の二文字を冠した輝かしい色彩が、ミニュイの生活を満たしたはずであった。扉番は彼にとっての天職と言えた。

 強い魔力を持ち合わせながらも、出力ムラのあるミニュイの魔力は、最果てでこそマイナス要因と見られていたが、人間界では月の満ち欠けに伴って、ある程度能力を見積もることができた。


 ふとミニュイは、アニスの話を思い返した。ミディが「太陽の恩恵を受けている」との話が気がかりだった。祖母から聞いたことと、符合するのだ。

 月に影響を受けるミニュイの魔力の性を見出だした祖母が、たびたび言い聞かせていたことがあった。これだけ魔力に波が生まれるのは、「対」があるのだろう、と。長い時の流れのなかで稀に生み落とされる、太陽と月をそれぞれ司る魔獣は、対をなして偉大な力を持つという。「大きな使命」を成すために、常とは違った能力を持つものなのだと。

 周囲の嘲りも、祖母の言う「大きな使命」を果たすために、と考えれば歯を食い縛ることができた。いつしか、それは祖母の優しさが生んだ物語なのだと、ミニュイは理解してきた。だからこそ、世に役立つことのできる自分であろうと、ミニュイは努力を重ねてきたつもりだった。

 だが――

 アニスの言う「太陽の魔獣」とはまるで、祖母から聞いた、あの話のようだった。


 コンフェッティが、髪から雫を滴らせたまま、バスルームから現れた。そのままつかつかと窓に歩いていく。バスローブに身を包んでいても、どことなく貧相な体格の持ち主だと、ミニュイは思った。あれだけの食欲を抱えながら、コンフェッティの体躯には、その名残が少ない。栄養状況でさえ効率が悪いのかと、同情を禁じえない。


「ミニュイ、客だ」

 コンフェッティが指さす先、大通りグランド・リュ側の窓に、ガーゴイルが張り付いていた。つぶれた蛙のような滑稽なポーズにコンフェッティは吹き出して、窓を開ける。

 ガーゴイルは、妙に肩をすくめて、あたりをきょろきょろと見渡しながら入ってくる。部屋の中を一瞥して、ほっと安堵の息を漏らすと、麻袋から封書を取り出して、コンフェッティに渡した。

 ひょいと覗き込んだミニュイが、サインを見つける。

「ニケ様からですね」

 コンフェッティは頷いて「珍しく督促じゃないぞ」と顔をほころばせる。その顔は、読み進めるにつれて、次第に曇っていった。

「扉を……近隣の扉を緊密に開く指示は、ヘルメスから出ているそうだ」

 ミニュイがきょとんとする。

「ヘルメス様は雲の峰の12柱のお一人ですし、交流省の実権を握っておいでですが……、今までヘルメス様ご自身が修理する扉の具体的な指示なんて、出してこられたことはないですよね?」

「ああ、それが妙だと、ニケも感じているようだ」

「他にはなんと?」

 コンフェッティは先を読み進め、手紙を机に放り投げた。

「ミカエルによろしくと」


 読み終えて見てみると、ガーゴイルは、まだ何かを警戒しているようだった。

「……どうした?」

「ああ、いえあの、あっし、ここが苦手なもんですから」

「オムレツ屋がか?」

「この島がでさぁ。いつどこから何が飛んでくるか、わかったもんじゃありませんからねぇ」

 何が、と問いただしても、ガーゴイルは言葉を濁し、目を泳がせるだけだ。

 コンフェッティはトランクから薄荷煙草を数本取り出して、ガーゴイルに差し出す。ガーゴイルは歓喜に口を耳元まで引き上げた。

「ミカエル様でさぁ。あのお方、短気で有名でしてねぇ。あっしの仕事が遅いってぇと、いろいろとその、お励ましっていうか、ちょっと過激な喝をですね、いれておいでになるので。あのう、ミカエル様って、足元の龍を踏み潰していらっしゃるでしょう……、あっしら、あれが自分のように思えて、肝を冷やしとるんですわ」

「修道院のてっぺんにいる、あのミカエルか?」

「ええ。あの、剣以外にもお友達といっろいろと研究に励んでいらっしゃるんで」

「友達? 一人で宙に立っているわけじゃないのか?」

「最近は聞かねぇですが、剣だの、武器だのがお好きなガールフレンドがいらして、時々ここに遊びにいらしてて」

 ガーゴイルは薄荷煙草を嬉々として取り上げ、爪の先で太ももを擦って、火をつけた。

 コンフェッティは腕を組み、尋ねる。

「その、ガールフレンドは、見たことがあるのか?」

「ええ。こんくらいの髪の、華奢な感じなんですが、なかなか粋なパンツ姿で」

 ガーゴイルは顎のあたりに両手を添え、その両手で宙に女性の輪郭を描いて見せた。

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